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藤の屋文具店

第六章 知らされなかった子供たち



【神へ】

第六章

知らされなかった子供たち


滝田清は、空に昇る灰色の柱を見た。直感的に、それが原発の事
故である事を悟った。ラジオもテレビも、地震のニュースしか流さ
ないが、その間に危険な事が起こっていたのにちがいない。
権力者は、いつの時代も大衆に対して冷酷になれる。放射能で死
んだ事を証明することは容易ではない、事故が原因で多くの人が死
んだところで、地震の死者に含めてしまえば目だたなくなってしま
う。おそらくはこの事故についても「わずかな」放射線漏れですま
せるつもりだろう。
しかし、眼前に立ち昇る巨大な水蒸気の柱を見て、彼はその事態
が今までにない深刻なものである事を、肌で感じていた。

「やばいっぴゃ!」

港を覗くと、津波の直撃を免れた船が見えた。彼の船も、吃水が
少し上がってはいるものの無事だった。クルマも無事だ。クルマの
ほうが足が速いが、海岸道路はおそらく波にえぐられているだろう。
 8号線もトンネルが心配だ。恐らくは渋滞だって引き起こすに違
いない。鉄道も給電がストップすれば役には立たない。しばし考え
た後、彼は海に逃れる事に決めた。
加工所の残骸の中から干物をダンボールに詰めて運び出す。子供
達はもくもくと手伝った。衣類を手早くかき集めてトラックに積ん
だ。目と鼻の先にある港に乗り着けると、そこには同じ考えの仲間
達がいた。

「・・いつかはやってまうとおもてたんじゃ・・・・」
「はよせんとほーしゃのーがくるんでないけぇ?」

魚漕のひとつに飲料水代わりの氷を満載し、狭いキャビンに愛す
る家族を載せて、男達の船は次々と港を出ていった。何世代もの間
彼らを守ってくれた港を、もう二度とは戻る事がないであろう港を、
沖から眺める。
誰かが汽笛を鳴らした。
もう一度戻りたい誘惑を振り切るように、男達は汽笛を鳴らした。
涙が流れた。
家族に見られるのが恥ずかしくてこらえているのに、くいしばっ
た歯のあいだから嗚咽が漏れた。
ついに耐えきれなくなって清は泣き出した。涙がとまらなかった。
家族に涙を見せるのは何年ぶりだろう?
泣きながら舵を握ってつったっている彼の肩に、そっと触れるも
のがあった。ふりむくと妻が立っていた。
彼は、妻の胸に顔を埋めると大声で泣いた。妻は、彼の頭を抱き
かかえるようにして支えた。
背中をやさしく妻の手が撫でる。胸の中につかえていた哀しみが、
苦しさが、少しずつ消えて行った。

「いくぞっ!」

自分に言い聞かせるようにかけ声をかけて、彼は舵輪を回した。
第21誠福丸は右舷に大きく傾きながら針路を北東に向ける。他の
7隻の船も彼にならった。
全船が一斉に汽笛を鳴らした。
その音は、ふるさとの死を哀しむ、海の男達のすすり泣きのよう
に河野の山々にこだましていった。

いつもと変わるところのない8月の朝であった。




サイレンの音がだんだん大きくなって、ぷつんと途切れた。
ドアの開く音があわただしく響く。
ストレッチャーの廊下を走る音が、リノリウムとキャスターのこ
すれる音が、病院の中にキュルキュルと反響する。
「また事故だわー」
洋子は感情のない声でつぶやいた。もう、連続3日も事故が続い
ている。二十歳前後のガキが、アホみたいなスピードで走り回って
はそこらへんのものに激突するのだ。
スピードに命を賭けるとうそぶいて得意になっている若者も、実
際にその現場に引き出されると、クソションベン垂れ流して泣きな
がら哀願するのである。
洋子は、クルマに頼りきってスピードを出すだけのボンボンが嫌
いだった。自分達の時代には、走るためにもっともっと努力したも
んだ。キャブのセッティングにはじまって空気圧のバランスからラ
イトの光軸まで、あるいはコーナーでのラインの取り方までを、先
輩から教わりながら必死で研究したもんだ。
・・・レーコにアッコ、ハルヨにオキョウ、みんな元気にやって
っかなぁ、あたいはジャリのせてハコころがしてるぜー・・・

「洋子さん、お願い、ちっちゃい子なんですけどおびえちゃってて
手がつけられないんです・・・」
待機室のドアがばたんと開いて仕事が入ってきた。
「あいよ、ジャリのことならまかしときなー!」
羽織っていたカーディガンをイスの背に掛けると、洋子はさっそ
うと飛び出して行った。人手不足で復帰した職場で、若い看護婦の
手に余る患者は、彼女の「お客さん」であった。若造りの細い外見
に似合わぬ彼女の迫力は、パニックになった若い暴走族でも一発で
黙らせた。ちいさな子どもは母親の威厳で扱う。
「で、なんの事故なの?」
「・・・それが・・・」
「交通事故じゃないの?」
「・・ええ・・・火傷の一種なんですけど・・・」
「薬品?」
「・・・・・・放射能傷害です・・・」
「げ!」
「表皮の露出部分に被爆してます、殖皮手術が必要です」
「・・・・・・・」
「手術には、新型の合成皮膚を使います」
「例のバンソーコー2型ね、ふぅん・・・」
「失明してて、パニックになってるんです・・・」
「・・・・・・」
洋子は、胸の中に冷たいものが走るのを感じた。看護婦にとって
一番つらいのは、直らない怪我や病気の看護をする時だ。光を奪わ
れておびえている小さな子どもの事を思うと、逃げ出したい衝動に
かられた。

廊下の角を曲がったあたりから、子どもの叫び声となだめる若い
看護婦達の声が聞こえてきた。洋子は、深呼吸をひとつするとドア
を開けた。
ベッドの上で暴れるその子を見て、洋子は息が止まった。息子と
同じような年頃のその女の子は、肩まではあったのであろう長い髪
が半分以上も抜け落ち、まばらに残るそれさえも茶色くちりちりに
なって頭皮に食い込むようにへばりついていた。手の指は皮膚が溶
けてくっつき、耳も鼻も踏みつぶした粘土細工のようにひしゃげて
いた。
「静かにしなさい!」
ぴしりと言い放つと洋子はその子を抱きしめた。洋子の白衣に、
血とリンパ液がどろりと染み込む。少女の焼けただれた肌に白衣の
布目がはっきりと転写された。
見えなくなった瞳から涙があふれた。
不自由な指が洋子の背中をしっかりと掴もうとして背中を掻いた。
「だいじょうぶだよ、ちゃんと直してあげるからね・・・」
言い含めるように少女の背中をさする、少女の泣き声は嗚咽にか
わり、やがてこくりとうなづくと、おとなしくなった。

手術台に裸で寝かせた少女の手を洋子は握る、ふくらみ始めた堅
い乳房が白く目にしみる。しかし、下腹部の淡い茂みの奥の生殖器
は、被爆によってもはや役目を果たす事はない。生体を貫通した放
射線は遺伝子をずたずたに切り裂き、欠損のある遺伝子を持つ細胞
はチェックされて切り捨てられる。
卵子細胞は生まれたときに持っているものがすべてなのだ。
顔を失い、光を失い、そして生殖機能を破壊された幼い少女の未
来を思うと、洋子は泣き出したい衝動に駆られた。慰めの嘘しか言
えない自分が情けなかった。
麻酔が効いて少女は眠った。洋子は、少女の手を離そうと指をほ
どいた。強く握られたために白い跡がついていた。自分のてのひら
に残った少女の指の跡をみて、洋子は唇を咬んだ。

手術は、4時間後に終わった。




震災を免れた病院には、2週間を過ぎたころから奇妙な患者がた
くさん運び込まれた。火傷や、風邪や、内臓障害などであった。
医師や看護婦達は、その病名を知っていた。放射線障害である。
生体細胞は放射線に弱い。レントゲンでも分かるように、放射線は
肉体を貫通する。そして、全てが貫通するなら何の害もないのだが、
その一部が生体に吸収されて、そのエネルギーが組織を破壊するの
だ。破壊された細胞は、健康細胞が分裂・増殖してこれを補う。
だが、放射線はその健康な細胞の分裂を阻害するように働く。増
殖の設計図ともいうべき遺伝子の乗った染色体を破壊してしまうの
である。
事故の発表が故意に遅らされたために起こった悲劇であった。1
8時間放置された危険地域で、何も知らない子供達は遊び続けたの
である。

さらに恐ろしいのは、体内からの被爆である。放射線を出す物質
の中には、我々の肉体を構成している物質とそっくりな物質がある。
それらの危険な物質を食事とともに取り込むと、カルシウムやヨウ
素等の代わりに身体に組み込まれてしまうのである。
鉛の塊を飲み込んだところで、一晩たてば排泄されてしまうのだ
が、これらの危険な物質はどんどん体内に蓄積しつつ放射線を出し
続ける。そして、それは新陳代謝のみを行う成人よりも、成長期の
子どもの体内に大量に蓄積し、子どもたちの身体を徹底的に破壊し
ていくのだ。治療法を、われわれは持たない・・・・・。

嶺南地方ではその後、児童の白血病が多発した。カルシウムと間
違えて生体が取り込んだストロンチウムが、血液を造る骨随細胞を、
再生するはしから破壊して行くのだ。溶解した炉心から染み出た死
の灰が地下水脈の中を駆け回り、河川の伏流水となって徐々に地上
に攻めてくる。
爆発によって対流圏に吹き上げられたそれも、複雑な気流に乗っ
て世界各地へ拡散する準備を整えていた。こぼれた水は決してもと
のコップに還ることはない、人類のもぎ取った木ノ実は、二度と枝
に戻ることはないのだ・・・・・。

もう、何人の子どもたちをこのベッドから送り出したのだろう?
洋子はシーツを取り替えながら窓の外を眺めた。
入院してきたときは、ほんの少し元気がなかっただけの子どもた
ちが、やがて全身の苦痛を訴えだし、苦しみもがいては衰弱してい
く。きっと直るよと偽りの言葉で励ましながら、足早に死に向かう
子ども達を眺め続けて、洋子は自分が死神になったような気がして
いた。毎日毎日、患者の親がすがるように手を握る。
しかし、看護婦はおろか医者にだってなにも打つ手はないのだ。
痛みを止める注射と抗ガン剤を打ち続け、副作用で髪が抜け、下痢
とおう吐にのたうちまわる子ども達を、死なせるために看病するこ
とだけが、それだけが・・・・彼女にできる唯一の仕事であった。
洋子は、この一ヶ月で自分が老人になったような気がした。



「おばさん、」
「おねーさんと呼びなっ!」
「・・おねーさん」
「なぁに?」
「あたしの足、切らないと死んじゃうの?」
「そうだよ、身体全部がくさっちゃうんだよ」
「お嫁に行けなくなっちゃう・・・」
「足がなくったって、ちゃんと結婚して幸せになってる人はたくさ
んいるよ」
「・・・歩けなくなっちゃう・・・」
「見てもわからないようないい義足があるよ、ちゃんと歩けるさ」
「手術、痛くない?」
「痛いよ」
「・・・恐い・・・」
「ぜいたくいうな、みんなはしんじゃったんだぞー」
「・・・・・」
「あんたは、みんなの分までしっかり生きていかなくっちゃ!」
「・・・・・・・・・・・・・・・うん・・・・・」
「じゃ、麻酔かけるからね、ゆーっくり数をかぞえるんだよ」
「・・おばさん・・」
「あばさんじゃねーやいっ!」
「あは、ごめん・・おねーさん・・・」
「なぁに?」
「やっぱ、恐いよぉ・・・」
「・・・・泣いてもいいよ・・・」
「・・・・」
「・・・・・・・」
「おばさん?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「泣いてるの?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「ねぇ、しっかりしてよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「泣かないでよ・・」
「・・みえちゃん・・・手術・・やめようか・・・・・」
「・・いゃ! 死にたくない!!!」
「・・・・・でも、足、なくなっちゃうよ・・・」
「・・・死んだらみんななくなっちゃうもん・・・・・・・」
「手術、きっと痛いよ・・・」
「生き残るためなら我慢する!!!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「だから・・・・だから麻酔かけて」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「あたし、どんな事でも我慢するから」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「ねぇ、約束するっ!」
「・・・・じゃ・・・ゆっくり息をして・・・」
「・・・うん・・・・」
「・・・・・いいかい?・・・・いーち・・・・・・にーい・・・
・・・さーん・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・」

かたく握りしめる美恵子の手から力がすっと抜ける。洋子は、そ
の小さな手を両手で握りしめるとその場に崩れ落ちた。

・・・・・もういやだ、こんなつらい仕事をしたくない、可愛そ
うな子供達を見たくない、わたしにだって幸福な家庭があるのよ。
こんな、こんな子供たちを見ながら、楽しくおかしく暮らすなんて
できないじゃない・・・

処置室を出た洋子は、休憩室のソファに惚けたように座った。つ
け放しのテレビがおちゃらけを流している。
関西の芸人が、ボケた老人の動きをおおげさに演じて、観客の若
い娘たちがおもしろそうに笑う。美しく着飾った健康そうな娘たち
には、何の罪もない。何の罪もないのたが・・・・洋子は娘たちに
憎しみを感じた。
チャンネルを変えた。おばさんレポーターが不幸な人たちにマイ
クを向けている。いかにも他人の不幸を理解できるような顔をして、
口先だけの同情をふりまく。

ひとの・・・・・ひとの心の痛みなんて、誰にもわかるわけがな
いじゃない!

いかにも、わたしにはあなたの気持ちがわかるといわんばかりに
うなずくその女を見て、洋子は腹が立ってきた。この女は、放送が
終われば不幸な人々の事などさっぱりと忘れて、次の獲物を求めて
ハゲタカのように飛んで行くのだ。
ひとはみな、他人の不幸を楽しみのために消費しようとしている。
こんなものの、どこが報道の自由なのか? 事故が起きれば責任ば
かり追求して声高に「正義」を叫ぶ。被害者が失ったものは、そん
な事では返ってこない。どうして、悲惨な事故が起こるまで真実を
報道しないのか? 危険だとわかってさえいれば、あの少女は死の
灰の積もった公園で遊ぶ事などなかったはずなのに・・・・・

手術中のランプが消えた。
麻酔が効いて眠ったままの少女が、静かに病室へと移される。
若い看護婦がワゴンをしずしずと押してくる。
大皿の上には、白いシーツをかぶせられた美恵子の右足が、載っ
ているはずなのだ。地表からの放射線で骨随がぐしゃぐしゃに腐り、
増殖したガン細胞によって膝下5センチのところまでが手がつけら
れなくなっていた・・・・・・・どうして、どうして事故の発表を
あんなに遅らせたのか・・・・・・・・・・・・。

ふと、鏡を見た。
そこには、鬼のような顔をした女が、今にも泣き出しそうにじっ
とこちらを見つめていた。




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