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藤の屋文具店

藤の屋文具店

第九章 地上へ



【神へ】

第九章

地上へ


「さとしさん・・・」
勝ち気な亜理沙は、今までに他人を頼った事などなかった。この、
真面目な、おとなしいだけの恋人が、まさか宇宙まで助けにきてく
れるとは、想像だにしなかった。
「・・ありがとう、指示を出すからパイロットの人とちょっと替わ
って」
だが、返ってきた答は、ふたたび亜理沙を驚かせた。
「・・・パイロットはいないんだ」
「え?」
「事故の情報を知って、無断で発進してきたんだ」
「・・・」
「ひらたくいうと、かっぱらってきちゃったんだ、あはは」
「・・・笑い事じゃないわよ、どうやって操縦してきたの?」
「大丈夫、すべてコンピューターとサーボモーターがやってくれる
よ。パイロットはいらない、オペレーターでじゅうぶんさ!」
「・・そんなに機械に頼って恐くないの?」
「ばかやろー! 恐いに決まってるじゃないか、君を助けるには他
に方法がないから、命がけで上がってきたんじゃないか!!!」
「・・・ごめんなさい・・・」
「・・大丈夫だよ、このシステムについては、世界のだれよりも良
く理解してる。それに、」
「それに?」
「君と一緒なら、どんな事でもできる!」
「・・・・・・」
「さあ、データを送ってくれ、NASAの標準コードでいい」
「わかったわ、・・プロトコル、NASAーSS98フォーマット
・・・送信を開始します」

YAMATOは、その巨大な船体を微妙に回転させながら、ドッ
キングポートナンバー3に素晴らしい正確さで近づいていった。
さとしの設計・整備したオートパイロットコントロールシステム
は、どんな熟練した宇宙飛行士もかなわぬ正確な早さで、完璧に作
動している。
だが、亜理沙は知っていた。それは決して科学技術の勝利ではな
い。技術が暴走するのも成功するのも、それを操る人間の責任なの
だ。どんな科学技術も、それを支えるひとびとの信念と責任なくし
ては成立しない。それを忘れて思い上がった連中が科学を振り回し
始めたとき・・・・そのとき、科学は人類を裏切るのだ!

「ボーディングブリッジがでない」
「マニュアルで操作してみて!」
「・・だめだ、どうしよう?」
「宇宙服を着て行きます」
「亜理沙・・だいじょうぶか?」
「まっかせっなさ~い」

ロッカーからスペーススーツを取り出し、亜理沙はその中に潜り
込んだ。ヘルメットを被ってファスナーロックを閉じる。無重量状
態での着用は非常に楽だ。
システムの圧力をコンマ2だけ上げてリークをチェックする。
大丈夫だった。
「気密室のハッチを開けといてちょうだい」
「はい」
さとしは、部下のように素直に亜理沙の指示に従う。そう、こう
いう局面では、亜理沙がリーダシップをとったほうがうまくいくの
だ。もとより、仕事のうえで彼女にかなう男など滅多にいない。
「いまから宇宙にでます」
「亜理沙・・」
「なあに?」
「気をつけて」
「うん、ありがと」

アンドロメダのハッチが開いて亜理沙が船外に出た。白銀の宇宙
服が地球光に青白く照り生える。
背中にしょったスイマー{推進機ユニット}から、炭酸ガスロケ
ットの白いパルスが亜理沙を押し出す。
アンドロメダから離れて、YAMATOに向かう。虚無の宇宙空
間を慣性でゆっくりと移動しながら、亜理沙は下を見た。

エメラルドグリーンの地球の上を、白い雲がゆっくりと流れてい
った。
宇宙に出ると、誰もが詩人になる。何もないと思っていた地上で
のすべてのものが、奇跡としか言い様のない幸運な組み合わせの結
果である事を、感覚として悟る事ができるのだ。
だが、亜理沙は別の事を考えていた。
この、幸運な偶然としか言えないような地球の環境が、もしも偶
然でなかったとしたら?
原生生物から始まって人類に至る進化の道筋が、生存競争の結果
ではなくて仕組まれたものだとしたら?
たとえば、ある化学物質を造るとき、我々は、直接原子を手に取
ってくっつけたりはしない。温度や成分を調整して、目的とする分
子が成長しやすい環境を整え、それでもだめなら触媒を使って加工
するのである。
ブタの胎児がヒトに育たないのは、ヒトとしての情報を持たない
からか、それとも、ブタとして情報がロックされているからか?

何か大事なものがぼんやりと見えたような気がした。

「亜理沙、大丈夫?」
さとしの声が亜理沙を現実に引き戻した。
「・・だいじょうぶ・・」
「ハッチの構造はエンタープライズ級の船といっしょだからね」
「了解!」
手慣れたコントロールで、亜理沙は開いているハッチから気密室
に入った。入り口で反転して足から入る。正面のクッションラバー
に着地するような姿勢で泳ぎ降りた。回収を確認してハッチが閉じ、
セフティーロックのカチリという音とともに空気が満たされ始める。
少し膨れていた宇宙服の腕が、自然な形に戻った。
インジケーターを確認すると、亜理沙はファスナーロックを外し
た。ヘアーキャップを外して軽く頭を振る。深呼吸をひとつして、
宇宙服をロッカーに押し込んだ。

だが、亜理沙は知らなかった。アンドロメダに持ち込んだオリジ
ナルのバチルス・ラジアノイドの一部が、コンテナの爆発と同時に
解放され、宇宙服に付着したまま入り込んでいた事を。
しかも、無酸素・無重量状態で放射性物質のエサを与えられたそ
れらは、オリジナルとは違う種へと密かに変異していたのである。

「亜理沙!」
「さとしさん・・」

気密室のドアの開くのももどかしく、ふたりはひしと抱き合った。
だが、ぐずぐずしてはいられない。一刻も早く浄化細菌を展開しな
ければ・・
「まず、ここのコンテナを回収して」
残存する4つのコンテナの回収は、スムーズに行われた。油圧に
よる触覚センサーとファジー制御のおかげで、マニピュレーターの
操作は素人にでもできる。しかし、それでも時間は刻一刻と過ぎて
いった。
「残りのコンテナは、少し下の軌道を飛び回っているわ。どうしよ
う、時間が足りない・・・」
「コンテナをどうすればいいんだ?」
「大気圏内のポイントで解放するの、だから、迎撃ミサイルに積み
こまなくちゃ・・・・」
「よし、この船でばらまきながら地上へ戻ろう!」
「無茶よ! 軌道の計算に加えて大気圏の気流データだって集めな
いと、着陸できなくなるでしょ」
「地上で演算してもらおう」
「・・・・その手があったわね・・・」

「YAMATOより地上コントロール」
「こちら対策本部」
「この船で大気圏内の展開を行います、最適ポイントのコース算定
をお願いします」
「・・・・・・なるほど、状況はわかった・・・宮沢くん!」
「はい」
「その船の運動性能は設計値通りかね?」
「いいえ」
「どこか不具合があるのか?」
「いいえ、設計値の120パーセントの性能を確認しました!」
「はっは、それは頼もしい。コース算定は任せてくれ、その間に迷
走しているコンテナの回収を頼む。軌道はSL-18からSL-1
7に向かって降下中、その位置からだと約2万キロ後方だ」
「了解、すぐに回収します」

YAMATOのコンピューターは、コンテナのある軌道座標を確
認すると、到達するための時間とエネルギー消費のチャートを提示
した。燃料はたっぷりある、最小時間で到達するプログラムをセレ
クトしてリターンキーを押した。

「YAMATOが軌道を変えます」
「・・・すごい繰艦だ・」
「東郷くん、気象衛星雷神のデータを使って演算してくれ。投入ポ
イントの座標だけでいい、あとはあの船がやるだろう」
「まかしときな!」

若くて生意気なところはあるが、こういう仕事をさせて彼の右に
出るものはいない。
気圧・気温・流速・雲行・地上熱環境などの膨大なデータを処理
するプログラムを、彼はあっという間に書き上げるとコンパイルに
かかった。オブジェクトにダミーデータを放り込んでチェックを繰
り返し、3度目のデバッグでそれは完成した。

「対策本部よりYAMATO、投下ポイント座標の算出終了」
「YAMATOより本部、NASA標準コードでデータ転送をお願
いします」
「了解!」

YAMATOは、現在座標から全ての投下ポイントを通過して地
上に帰還するための最短コースを計算し始めた。絶対温度2度の宇
宙空間で最高性能を発揮する超伝導素子は、素晴らしい早さで、複
雑な軌道変更のシークェンスを、ナビゲーションコンピューターに
送り返してくる。

「本艦は、これよりラディオ・ファージオペレーションに入ります、
作戦空域の全ての航空機を退避させてください」
「了解、すでに作戦領域は確保してある」
「了解しました。大気圏突入時のECMにより、しばらく交信不能
になります」
「Good luck!」
「まっかせっなさーい!」

YAMATOは逆噴射を行うと自由落下軌道に入り、通常帰還コ
ースよりやや深い18度で大気圏に突入した。
大気との摩擦で機首がどんどん高温になる。
やがて、全部で16層にもなる冷却ペイントの第1層が蒸発を開
始した。昇華時に1グラムあたり5200カロリーの熱を奪う高分
子塗料が、真っ赤なガスとなって機体を覆う。
監視衛星が送る映像を見たスタッフたちは、初めて目にするこの
光景に、魅入られたように釘付けになり、つぶやいた。
「まるで・・・火の鳥だ・・・」
伝説の火の鳥を思わせる真っ赤なシャトルは、大気圏内でコース
を微妙に変え、最初のポイントに向かう。

「ターゲットポイント到達2分前、後部ゲート、セフティロック解
除シマス」
合成音声が動作を読み上げる。
「ゼロマイナス60、オートシュートシークゥェンス、スタートシ
マス」
ハッチが開いて、気流の乱れによる振動が少し起こった。
「マイナス30・・26・・18・・・6・・・4・・3・・2・
・・1、シュート、・・プラス1・・2・・3・・」
素晴らしい正確さでコンテナは射出され、射出後12秒で減速用
のパラシュートが開く。
「13・・15・・18・・24・・カプセル、テンカイシマス」
カプセルの下部が花のように開き、亜理沙の育てた浄化細菌は群
青の空へ、ゆっくりゆっくりと旅立っていった。後の回収を容易に
するため蛍光性をもたせられた細菌は、オレンジ色に輝く霧となっ
てあたり一面に広がってゆく。
「やったぁ、さぁ、次のポイントにむかうぞぅ!」
YAMATOは、24箇所の姿勢制御モーターを器用に噴射して
角度を調整し、次のポイントに向けて滑空コースを定めた。



順調に作戦は消化され、コンテナは残すところ1個だけとなった。
だが、誰もが成功の甘い期待に酔い始めた頃、「それ」は静かに近
づいてきたのだ。

「警告! 強大ナ放射能反応ヲ確認」
「船外ニ磁場ノ異常ヲ確認」
「ゼンポウ80000メートルニ未確認飛行体ヲ確認」
艦内の空気がピンと張りつめた。
亜理沙は、モニターを眺めた。だが、分厚い雲に阻まれて、そこ
には何も見出せない。レーダーのスキャンを待つ。

いた!

正体不明の飛行体が、YAMATOの前方を低空から駆け上がっ
てくる。
と、その飛行体は突然空中に停止し、次の瞬間ジグザグに飛行し
始めた。まるで物理の全ての法則を無視したかのような、無茶句茶
な動きだ。
「YAMATOより作戦本部、UFOに遭遇、近づいてきます。位
置は・・・・・バミューダ上空、高度1万2000メートル」
「警告! 強大ナ磁気反応ガセッキン、システムガ乱サレ・・ガガッ
ガッガッ・・・ピィイイイィィ~~」
レーダーの画面が真っ白になった。
「大変だ、コンピューターが死んだ!」
さとしが慌ててシステムをチェックする。しかし、RAMの全て
の航法データは、強力な磁気の干渉によって完全に消失していた。
「亜理沙、どうしよう、墜落しちゃう・・・」

亜理沙は、コクピット正面の窓から、前方を食い入るように見つ
めていた。雲の切れ間に、確かに何かがちらりと見えたのだ。
やがて、雲の海をつっきって青空が広がった瞬間、ふたりは、信
じられないものをそこに見た。
ゆうに全長60メートルはあろうかという巨大な生物が、蛇のよ
うな頭を振り乱して翼を広げ、西の空へとゆっくりと飛んで行こう
としていた。

艦が、ぐらりと揺れた。考えるのは後だ、今は地上に帰還しなけ
れば。

「さとしさん、データの復旧は無理なの?」
「・・だめだ、プログラムはCDRAMから立ち上げたけど、航法
データが消し飛んでる・・・着陸できない!」
「あきらめないで」
「うん」
「YAMATOよりNASA、応答願います」
「こちらNASA管制センター、YAMATOどうぞ」
「航法データを消失、そこからの遠隔操縦は可能ですか?」
「こちらにシンクロしてくれれば可能です」
「了解、努力します」
振り向くと、亜理沙は言った。
「さとしさん、さぁ、あなたの出番よ!」
「・・・わかった、既存の宇宙航路に乗せればいいんだな」
「そうよ、信頼してるわ」
「えーと・・・よし、こいつだ!」
さとしは、ディスプレイのデータをいくつか操作して近くの進入
コースを見つけた。マニュアルでデータを入力してコースを変更し
た。不気味な振動が艦を揺する。艦が不安定に回転を始めた。
「恐くないか?」
「大丈夫、あなたならきっとやれるわ」
にっこりと微笑むと、亜理沙はさとしの手をぎゅっと握った。さ
としは、軽くうなづくとデータの修正にかかる。どんな困難な作業
も、なぜか出来るような気がした。
「ようし、あとちょっとだ。回線を開いてくれ!」
「了解、サーキット、コンタクト・・・まだだめだ、コンマ8秒遅
れてる・・・それから、Z軸の慣性モーメントを消してくれ」
姿勢制御モニターを眺めながら、さとしは懸命にキーを叩いた。
何度目かのトライの後に、艦はぴたりと安定した。
「ようし、シンクロした、コントロールを渡せ」
「了解、You have!」
「I have!!」
YAMATOは、ふたたび自動操縦の安定したラインにその赤い
巨体を乗せて、地上へのコースをたどりはじめた。




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