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藤の屋文具店

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恋愛実践講座 1~7




           【恋愛実践講座】

              能書き


 文学と呼ばれるもののほとんどは、恋愛と無縁でないものが多い
ように見えます。小説短歌和歌俳句川柳、SFだって私小説だって
アクションものだって、作家の未熟ゆえにただのセックスシーンに
堕しているものもあるにせよ、たいていのものにはラブストーリー
が織り込まれていますね。

 恋愛とは、これほど普遍的な魅力を持ったものであるようなのに、
これを有意義に実行していくことは難しいように思えます。たとえ
ば、たくさんの女性とセックスをしたと威張る老人などがよくいま
すが、そのような「性豪」とか自称されるひとたちを客観的に眺め
た場合に、そこにわたしが感じるものは寂しさ以外の何物でもあり
ません。
 ちょうど、前科15犯とかいって威張る犯罪者が、じつは15回
もドジを踏んだトンマなやつであるのと同じ理由で、このようなひ
とたちもまた、常に相手に見捨てられ続けてきた、一生を供にする
には値しないような、恋愛の敗残者であるようにすら、見えます。

 異性に恋愛感情を抱くのは、誰にでもできる簡単な行為です。そ
れが難しい等という人は、単に人目を引きたいために奇矯なことを
言っているだけか、あるいは特殊な嗜好のひとびとですね。特殊な
嗜好の人については、わかりませんしあまりわかりたいとも思わな
いので、触れません。堪忍してください。

 好きになった相手とどうしたいか、これは状況や個性によってい
ろいろであるでしょう。とにもかくにもセックスさえしちゃえば満
足な人、相手との間に精神的な絆がなくっちゃ我慢できない人、相
手から献身的な奉仕を受けないと満足できない人、相手のわがまま
に振り回されてつくすことで満足する人、まさにさまざまですね。
 どの場合にも言えるのは、相手と自分との間に、ほかの誰かとは
明確に違うレベルの、きわめて特殊な深い関係を持ちたいと願う事
です。僕は君の事をとても愛しているけれど、お互いにその他大勢
の関係でいようね、なんてことをいいさらすやつはいない、と、思
います。

 この、「自分とだけ」という部分が、いろいろとやっかいな事件
をひきおこす原因になります。これさえなければ、よほど生理的に
嫌な相手を除いて、みんなで好きな人と適当に相手しあって、男も
女も楽しく暮らせるのですが、現実はそうではありません。
 恋愛が壊れるとき、相手が印象とは違ってどうしようもなくひど
いカスであると気がついて、という場合はどのみち救いがないので
すが、そうでない場合、すなわち、現在の相手に縛られる事で、他
のもっと理想的な相手との可能性が閉ざされる、そんな漠然とした
不安による恋愛の終わりは、後の人生に悔いを残す事が、ままあり
ます。
 カードゲームで札をチェンジするときの決断にも似た恋への決別、
同時進行がいつまでも許されるならば、どれだけたくさんの心が救
われることでしょう。いや、かなわない恋があって初めて、成就し
た恋が輝くのだ、そういって諭す人たちの無責任な慰めは、あたか
も大型バイクの難しい試験を通った人が、バイク免許制度の改革に
反対してぶつ演説のように、持たざる人々の心に突き刺さります。

 かように難しい恋愛という行動について、うわべだけの綺麗ごと
を並べただけの精神論や、稚拙なテクニックを開陳する程度のノウ
ハウ本には載らないような、恥ずかしくもそらおとろしい現実の恋
愛の姿を、気の向くままに少し書き留めてみたいと思います。


           【恋愛実践講座】

            アプローチ


 恋愛をとり行うにあたって、最初に必要なのは相手を見つけるこ
とです。ひとりきりでお部屋に閉じ込もり、TVを見ながらポテト
チップスをむさぼっていては、白くてほたほたした、恋愛とは無縁
の未来がお迎えにやってくるだけですね。異性間の引力は天体のそ
れとよく似ているので、近づけばどんどん強くなる反面、遠ざかれ
ば遠心力に負けて、彗星のごとく久遠の彼方へ遠ざかっていってし
まうのです。
 恋愛のできない人に多いパターンで、弟思いの星飛雄馬のねーち
ゃんのように柱の陰からそっと見守っている・・だけ。というのが
あります。自分のほうでは相手を嘗めるように丹念に観察している
にもかかわらず、相手はまったく自分を見ていない、まるで道ばた
の小石のように、目に映った自分の映像のほうはフィルターで消去
されて背景として処理される、そういうアンバランスな認識関係で
す、他人が見れば喜劇ですが、当事者にとっては悲劇ですね。

 このような状況では、惚れているほうはどんどん自分の中の恋愛
感情を進展させていく傾向がつよく、相手に対して理不尽な要求を
無意識にしてしまう例が多いようです。自分がこれだけ想っている
のに、どうしてあの人はあんなつまんない奴とてんてんてん、とい
う、どこにでもありそうなアレですね。
 冷静に考えてみれば、たとえそれが相手にとってほんとうに値打
ちのある好意であったにしても、物陰でじとっと見ている人の本心
なんてわかるはずもないのですけど、口うるさい母親が受験生の息
子に抱く不満のように、うだらうだらとよけいなお世話を心の底で
焼いてしまうわけですね。

 恋愛のアプローチで重要なのは、目指す相手に自分のことを好き
になってもらうことです。こちらから好きになるのは簡単なんだか
ら、自分の意志でどうにもならぬことから解決するのがセオリーと
言っても過言ではないですね。でも、なぜかみなさん、相手の気持
ちなんてのをすこっと無視しちゃって、自分が相手のことを好きに
なることばかりがんばっちゃう。どうしてかというと、そのほうが
むちゃくちゃ簡単で、しかも楽しいからですね。
 で、先に楽しくて簡単なことをやっちゃうから、難しくて困難な
ことが残ってしまう。しかも、誰も見向きもしないような相手なら
ともかく、こういう人は好きになりやすい相手を好んで選ぶから、
相手に好きになってもらうのはさらにさらに困難な、そんな競争率
の高い相手になっちゃってたりしてます。
 このような経験をたくさん積んできた人というのは、本人の意識
では「つらい恋愛を経験してきた」という、なんか、人生の重みを
感じさせそうな形容詞がちらちらするのに、世間の評価では、ひと
りよがりのじめじめした奴、なんてものだったりします。本心を語
り合える友人を持たない人だと、いつまでも両者のギャップに気づ
かずに、ああ、本当に世の女(男)達は男(女)を見る目がないよ
なぁ、なんて、ひとりでイッちゃってたりします。

 ではどうすると効果的か? とにかく相手の目に止まることです。
クジャクだってゴリラだってホタルだってそうですけど、とにかく
異性に対して自分の存在をアピールするのがまず第一ですね。人間
の場合は肉体だけがすべてではないので、自分の持っている個性の
中で、異性にアピールしそうなやつをみつくろって採用することが
出来ます。具体的には、財産や家柄、職業や趣味、特殊な才能や豊
富な経験などです。
 ピアノも、それを聴かせる腕もない僕のようなおじさんでも、真
剣に何かに打ち込んでいる姿をずけずけと見せることで、そういう
ことに興味のある女性に、自分の存在をアピールすることができま
す。ただ、ここで注意することがひとつ。インチキはいけません。
 自分の中身を偽って豪華なラベルをこっそり貼っちゃうと、それ
に見合う相手ばかりが寄ってきて、本来の自分の世界のお似合いの
相手を得ることが困難になるからです。親の残した財産しか誇るべ
きもののないぼっちゃんオヤジが、ジョディフォスターさんをイン
チキしてひっかけたところで、すぐに破綻するのは想像がつきます
ね。お座敷犬とオオカミが楽しくやれるわけはないのです。


           【恋愛実践講座】

              誠実さ


先輩面して若い人に体験談をかたるじーさんは、判子で押したよ
うに同じことをいいたがります。おんなは、押し倒すくらい強引に
いかなきゃダメだ、という種類の人生訓ですね。この手のどこにで
もいるとっつぁんは、そのようにしていかに自分が(過去に)もて
たかをとうとうと語るものですが、よく考えてみると、何か違和感
があることに気付きます。
それは、そのような自己申告が真実であるならば、目の前にいる
のはもっと素敵なオジサマでなくてはならないはずなのに、現実は
ただのすけべたらしいみすぼらしいヂヂイでしかないという、言い
逃れのできないはいぱわぁな事実が存在するからです。

いっぽう、たとえば売春をなりわいとするような海千山千の妖艶
なおねーさんに、理想の相手を教えてもらう機会に恵まれた人は、
誠実な人がいいわ、という、わりと平凡な答えに肩透かしをくった
りします。若いころにちやほやされてさわやかな青年実業家なんか
と結婚し、つまんなくて不倫願望むらむらのおばさんなら全力で否
定するようなことを、よりにもよって人生の裏も表も知り尽くした
おねーさんから聞くとかなり意外な気がするものですね。
でも、プロほど基本に忠実であるということは、何かを真剣に学
んだことのある人なら、わりと理解できるんじゃないかと思います。
羽根の生えたBMWやシルビアのドライバーは、縦列駐車をしく
じってスポイラーにひびをいれたりしますが、F1のチャンピオン
にはそんなトンマはいません。基本を鼻で笑う程度のプロがいると
したら、本職では食っていけずに半端仕事で生活する程度の人だけ
ですね。ピカソの真似をしてチンパンジーと同じ様な絵を描いてえ
っへんするのは、大抵の場合、りんごのデッサンもろくにできない
ちょんぼ絵描きと決まっています。一流のプロは、地味なことを確
実に積み重ねているものです。

どのような世界でもたぶんそうだと思いますが、基本をないがし
ろにして高度なことができたりはしません。恋愛というのは、ひと
とひととがお互いを理解し慈しみあう行為でありますからして、信
頼関係のないところにそれらしいテクニックを持ち込んでも、安定
してそれが成立する可能性は皆無です。
プレイボーイ気取りで聞いたふうなことをぬかすウスラが本当に
「もてた」ひとであるなら、たとえお互いに家庭を持ったとしても、
独立した人格として尊敬しあえるはずですが、相手の女性にその名
をだすと、顔をしかめて呪詛の言葉を吐き捨てることが多いもので
す。もちろん、こんな旦那と一緒になるんじゃなかったわ、なんて
えっへんしている自称プレイガールの残骸の方にも当てはまります
ね。

さて、この「誠実である」ということは、相手の言うがままに何
でもしてあげるということとは違います。たとえば、大切な友人が
人としてしてはならぬ最低のことをしたときに、何も意見せずにへ
いこらする、なんてのは、誰が考えても誠実とはほど遠いこんじょ
なしの行為ですね。このようなのは「ふんどし担ぎ」と呼ばれて、
まっとうな人には軽蔑される愚行です。

誰かに対して誠実であるというのは、自己保身や打算、寂しさや
悲しさよりも何よりも先に、まず相手のことを第一に考えて、勇気
を持って行動するということです。よく、いじめにあっている被害
者を目前にしながら、その子ひとりを犠牲にすればまるくおさまる
からといって傍観する「心優しい」人がいますが、内心でどう思お
うとも、被害者にとっては最低の存在です。この手の腰抜けは、あ
とでそっと被害者に擦り寄っては慰めたりしたりもしますが、敵と
して憎まれてやるだけの誠意すらない、どうしようもないすかぽん
たんですね。いじめるほうの人にとってすらも、付き合う価値のな
いコウモリのような存在です。勇気がないだけの心優しい良い人、
ではなくて、誰からも悪人と思われたくないだけの腰抜けのお調子
者です。

誰かに対して誠実であるということは、相手に嘘を言わないこと
です。正しくない時には正しいと言わない、正しいことを自分の都
合で否定したりしない、できないことをできると言わない、したく
ないだけのことを、何かの理由を貼りつけてごまかさない、そうい
うことであると思います。


           【恋愛実践講座】

              魅力


あなたが異性に心ひかれる時、「朝一番に出会ったひと」とか、
「出席番号が今日の日付のひと」などという選択をして好きになる
ことは、たぶんありませんね。なぜなら、このような選び方をする
のは、公平とか平等とかいったコンセプトに基づく方法であって、
それはおおよそ非人間的な方法の極みであるからです。

頭の中でしか世界を知らない中途半端な物知りねーちゃんやにー
ちゃんは、理屈コキのひとつ覚えのように、やたら平等や公平とい
う言葉に敬礼してせんずりこきますが、それが現実に通用しない事
は、社会主義や共産主義の国を見れば一目瞭然です。むしろ、不公
平や不平等を、「あるはずがない」と宣伝する国ほど、地獄のよう
な悲惨な状況だったりします。
プライドだけ一流の大新聞がこないだまで人類の理想郷だとわっ
しょいしていた国は、じつは一部の思想貴族が人民を搾取して苦し
めたり、よその国民を人さらいに来たりする、ショッカーかパンサ
ークローのような国であることがバレましたね。

はなしがそれました。人間の社会には本当の平等や公平というも
のは滅多にないのだ、そういうことを言いたかったわけです。そし
て恋愛というのは、そのなかでもことさら不公平で、そして不平等
なものであるのです。
たとえばがっこのせんせの教えなんかでは、努力ばりばりの才能
のない人は、手抜きの天才くんよりずっと素晴らしい人物であるは
ずなのですが、現実の社会ではそうではありません。ましてや主観
のぶつかりあいである人間関係の、わがままの頂点とでもいうべき
恋愛においては、どんなに心を尽しても相手にされないことは珍し
くありません。
勘違いしたとっつぁんの中には、男としての魅力の欠落したまじ
め一徹のBFを断る女の子を、わがままだの上辺しか見ないのと言
ってえらそーに非難するおたんこがいますが、女性をひとりのにん
げんとして決して認めようとしない、思い上がったくそたわけと言
われて当然の人非人ですね。当事者の主観的な評価以上にたいせつ
なことは、恋愛には存在しません。

さて、かような過酷な現実の中で良き相手と仲良しになるには、
相手に好きになってもらえるだけの魅力を持つことが必要になりま
す。魅力といってもいろいろありますね。財産や社会的地位のよう
なものと、かっこよさや優しさみたいなもの、手近にいてアクセス
しやすいなどの条件もそうです。
たとえばみぃはぁなおねーさんだと、ちょっとTVに出ていれば、
おつむの軽いあんちゃんでも「素敵だわ」と思うかもしれませんし、
賢くて男性経験豊富な美人のおねーさんは、男の見た目より心の深
さに魅力を感じたりするかも知れません。ハエはうんこに群がり、
蜂は蜜の豊富な花に群がるものだからです。

いずれにしても、無限に広がる大群集の中にあって、亡びゆく人
や生まれ出る人の中で自分の魅力をアピールするには、デスラー君
やスターシャさんのような個性があることが要求されます。
個性というとよく勘違いされる方が多いのですが、算数が苦手で
あるとか鉄棒が下手であるというのは、ただの欠点でしかありませ
ん。高いところから僭越な説教をしてくださる売れない作家や歌う
たいのしぇんしぇいは、差別だ不公平だといわれるのが嫌で、口先
だけのおべんちゃらを言っているだけです。信じてバカを見るのは
いつも純真な大衆です、だまされてはいけません。なまけものを良
い気分にしてくれるのは、下心のあるインチキ商売のセールスに決
まっていますね。

では、魅力を持った人間になるにはどうするか、効率が良いのは、
自分の長所を伸ばすことです。そのためにはまず、自分の長所を理
解しなくてはなりません。これがなかなか難しいのですが、なぜな
らたいていの人は、他人が聞いたら仰天するようなものを、自分の
長所であると信じていたりするからです。
「優しさ」「思いやり」「賢い」「公正」など、とんでもない人
の口から語られてぎょっとした経験は、おそらく誰にでもあること
と思います。ひがみ根性でうらやましい人の陰口を叩くだけのぼう
やが正義感の強い不器用な青年のつもりだったり、コンプレックス
の裏返しで隣人を小馬鹿にしてるだけのおばさんが、聡明なレディ
と信じていたりしますね。
このような喜劇が演じられるのは、ひとえにプライドの強さに原
因があります。プライドばかりが肥大する人というのは、失敗を人
生経験だといって自慢するばかりで、なんの反省もない人です。偉
いのは失敗にめげずに努力して前進していくことのはずなのですが、
反省も努力もなく同じ過ちを繰り返して威張るゆかいな人たちは、
いつの世も後を絶ちません。


           【恋愛実践講座】

             経験を積む


こどもたちがやっているゲームを見ると、へなちょこのキャラク
ターが、経験を積むことによってどんどん高度な技を使えるように
なる、そういう設定があります。たいしたことのない敵を選んで喧
嘩を吹っ掛けたり、道ばたに落ちているアイテムをネコババしたり、
あるいは老師と語り合ったりしては、自分の経験値を高めていくと
いう「修行」にはげむわけですね。
あまりにも人生の縮図を感じさせるので笑ってしまうくらい、か
くあらまほしかれ、という期待に満ちた人生観を感じさせる設定で
はあります。
現実の人生では、もちろんこんないーじぃなシステムは採用され
ていません。エホバさまは、任天堂やセガのおにーさんよりイジワ
ルだからです。へらへらしたあんちゃんといっぱい経験したり、威
張ったヂヂイの説教を聞いたりしてもろくな大人になれないのは、
身の回りを見れば中学生にだってわかりますね。この世は思い上が
ったあほで満ちています。

経験という言葉に酔うことの危険を語るエピソードに、こういう
のがあります。油絵の具のはなしです。油絵の具には、ベルリンブ
ルーというそれはそれは奇麗な青い色があるのですが、この絵の具
は造るのがたいへん面倒で、大きな銅の鍋に入れた材料を、鉄の棒
でぐわらぐわらとかき混ぜないとできませんでした。小さな鍋で手
早くかき混ぜても奇麗な色が出ないのです。で、経験豊富な職人の
じーさんは、得意そうに、大きな音を出さないとこの色は出ないと
弟子に伝えたそうです。
その弟子は科学的な思考のできる近代人だったので、雑巾をミル
ク瓶に入れてもネズミにはならないことを知っていましたから、音
を聞いて絵の具が青くなるはずはないと考え、理路整然とした推理
と実験によって、銅の粉末が奇麗な青を出現させることを証明した
わけです。

巷を見回しますと、年寄りの言うことは聞くものじゃよ、みたい
なスタンスで語る人の言うことは、ほとんど例外なく、「大きな音
でかきまぜると良い」式のアドバイスであって、なまじそれがわず
かの真実を含んでいるがゆえに、周囲に騒音を撒き散らしエネルギ
ーを無駄に消費し、真実を知るものの忠告を退ける頑迷な信仰のも
とになっているように見えます。
この世には、個人の体験でははかり知れないいろいろなことがあ
るのですが、自分の体験だけを特別であると自惚れて固執している
人は、どんなに多くの体験を重ねても、それが「経験」として身に
付くことはかなわないのです。

あなたが、いろいろな経験を積んだ魅力的なおとなになるために
は、このような、軽いアタマを持ち上げてふんぞり返ったとっつぁ
んの説教を他山の石として、自分だけはそうならぬために、多くの
人の考えに触れることが必要となります。
しかし、ここで落とし穴があります。辛口の意見と称して嫌なこ
とを言う人の多くは、野良犬が電信柱にひっかける小便のように、
ただ自分の存在をアピールするためだけに、稚拙な揚げ足取りをし
ている場合が多いので、嫌な気分になるだけで得るものはありませ
ん。苦いのは、いつもクスリであるとは限らないわけですね。
恋愛においてほんとうに大切なのは、あなたには理解しにくい方
向からのものの見方、男性ならば女性、女性ならば男性の視点から
の意見です。
異性の友人を持たない人は、どうしてもものの見方が一面的に、
ようするに視野が狭くなります。同性の友人の少ない人は結婚相手
として良くない、というのはよく言われることですが、本当にどう
にもならないのは、異性から友人として認めてもらえずに、同性と
だけ徒党を組んで慰めあっているさみしい人たちでなのですね。

ゲーム終盤になってもいっこうに経験値を上げられず、ただ長時
間うろうろしていただけのキャラクターにならぬよう、心をしっか
りとして行きていきましょう。


           【恋愛実践講座】

           優しいといふこと


まだ結婚していない若い人に理想の相手を尋ねると、だいたいベ
スト3に入るものに「優しい人」というのがあります。思いやりと
か心遣いとか、そういうニュアンスです。優しい人はだいっ嫌いと
いうヘンクツなのは、あまりいませんね。もしいたとしても、それ
はたぶん、人の顔色をうかがう卑屈なタイコモチが嫌いという意味
である場合が多く、自分勝手な冷血漢が好き、というのは、生ゴム
のパンツはいて怪傑ゾロのマスク付けた網タイツのおねーさんくら
いのものでしょう。

優しいというのにもいろいろ種類があります。うるさい姑どもが
いなくなって天下太平のおばーちゃんが、まだ反抗期の始まってい
ない孫に対する態度のような、砂糖どっさりこの田舎料理のような
虫歯キンキンの甘ったるい優しさや、努力すべきときにぼーっと過
ごして何者にもなれなかったおばさんが、自己のアイデンティティ
確立のためにまなじり吊りあげてキリキリ舞いして不幸な人たちに
奉仕する優しさ、実は自分の尻も拭けぬ中年のとっつぁんが、鍛え
てやることが本人のためであると信じこんで嫌がらせをする優しさ
など、まるで素人の抽象画のように、優しさというタイトルを貼り
つけた訳のわからないいろいろなものが、巷にはあふれていますね。
これらの「優しさ」はすべて本物です。どれもこれも、それを必
要としている人にとっては素晴らしいもので、涙を流して感謝した
くなるくらいありがたいものなのですが、困ったことに、それを必
要としない人にとっては、時として拷問になったりもします。
身内の不幸に打ちひしがれている人に群がる宗教屋さんは、頭脳
明晰で自立した心を持つ人にとっては、ぶち殺してやりたいほどに
憎いハイエナのようなくそたわけですし、子離れせずににちゃにち
ゃまとわりつく母親は、自我の確立した青年にとっては、バットで
殴り殺したい悪魔になりますね。
バベルの塔の崩壊とともに、われわれ人類は、言葉の意味をわず
かづつしか共有できなくなってしまったわけですから、自分の感覚
だけで安心してイケイケドンドンをやると、悲惨な結末が待ち受け
ていたりするものです。

あなたが心を寄せている人が、たいしたことのない苦労をおおげ
さに受け止めて育った人であるなら、批判は禁物です。とにかく相
手を誉めて努力家であるとわっしょいすることが、「優しい」と言
われる唯一の方法です。この手の人は、自分がナンバーワンでない
と満足しないタイプが多いので、他人を誉めてはいけません。かと
いって悪口もだめです。本人は他人の悪口を無神経に言いますが、
相づちを打つ以上の事は良い結果をまねきません。でも、注意する
ことはそれぐらいです。簡単ですからすぐに実行できますね。

本当に苦労したり不幸な過去を切り抜けてきた人を好きになった
ら、黙ってバックアップしましょう。口先で調子の良い事を言って
取り入っても警戒されるだけです。なぜなら、このようなお調子者
は、本当のピンチの時には知らぬ顔をして、果ては敵の味方につい
て懐柔するものだということを知っているからです。孤立したとき
に頼りになるような人は、ダカールラリーのサポートカーのように、
普段は距離をおいて見守っているものですね。このような人に優し
くするには、精神的な強さが必要になります。でも、本気で好きに
なれば、たとえ全世界を敵にまわしても平気になれるものですから、
さほど難しいことでもありませんね。恋は男を、あるいは女を、強
く優しく成長させるものです。

いっぽう、逆の立場となった場合、相手の優しさが本当であるか
どうかを見分けるのは、その行為が簡単にできることであるがゆえ
に、判別が困難になります。影の女王様になりたい女はべたべたと
まとわりついて自分の優しさを押し付けるものですし、心優しいと
自称する甘ったれただけの腰抜け男は、へらへらと弱者の味方を気
取って月光仮面の真似をします。
このようなインチキの手段としての「優しさ」は、彼らの近くで
生活している人にはたやすく見破られますが、離れたところからの
識別は困難です。人を理解するということは、わずかな演説や行動
で可能なほど単純で安易なものではないからです。見合いの仲人が
ご近所の評判を聞いてまわるのは、じつはこういう論理的な背景も
あるわけで、身近の人から、好き嫌いはともかく敬意を持たれない
人というのは、ほとんど例外なく、ろくな人ではない場合が多いも
のなのです。


           【恋愛実践講座】

           愛するといふこと


愛という言葉は、時として非常に安易に取り扱われます。あらゆ
るレベルの、あるいはさまざまな種類の行動に愛の名を掲げ、今日
もたくさんの人々が好き勝手なことをやり放題ですね。正義と称す
る行為が人それぞれによって異なるように、愛もまた、それを行う
人の数だけの、異なるかたちがあります。そしてまた、人によって
そのかたちが異なるゆえに、時としてそれは底抜けの喜劇や悲惨な
苦しみを、多くのカップルたちに巻き起こしたりもするわけです。

おさないころからかいぐりかいぐりされて育ったボンやオジョウ
は、愛があふれている世界を当たり前と思って成長するためか、と
かく他人の注ぐ愛に冷淡になりがちです。トイレでうんこをしてし
ばらくすると、鼻が環境に慣れてしまって匂いを感じなくなるのと
似ていますね。
このような幸運な人たちは、ばあややねえやのように、見知らぬ
異性もまたじぶんにそうしてくれるという誤った期待を無意識のう
ちに持ってしまうためか、相手の愛情が足りないという錯覚を感じ
る機会が多くなるようですね。化学調味料にマヒした舌では高級な
スッポンスープを物足りないと感じる、料理漫画のわき役のような
おまぬなことを言い出すわけです。
で、とにかく調味料をどばどば注ぎこんだ料理のような、言うな
ればテレビで宣伝している大量生産の、ローコストで作りやすくて
失敗の少ない、誰かが苦心して考えたものをただマニュアル通りに
真面目になぞっただけの、でも味と値段はそこそこの料理のような
愛ばかりを素晴らしいと感じ、それ以外のものに満足しないような
傾向を強めたりもします。

いっぽう、愛に飢えて育った砂漠の草花のような人たちは、世の
中には無償で尽くすようなお人好しがいるということをなかなか信
じることができず、近づく人はみな、自分の魅力的な肉体や苦心し
て築いた財産目当てのペテン師であるように感じたりして、心を閉
ざしてじゃりじゃりと砂を噛むような味気ない生き方をする例が、
多いように思えます。このような人にとって信じられるのは、取り
引きのようなかたちの愛なのかも知れません。

これは、どちらが正しいのどちらが本当のと言い張るような性質
の違いではなく、どちらの感覚も、その当人にとってはそれこそが
正しい、ほんとの「愛の形」であるわけなのですが、口先で「人は
それぞれ」などと悟ったことを言い放つ物分かりのよさそうな人で
も、いえ、そのような人ほど、自分の感覚ばかりをガリレオを投獄
した無知なあほんぼ顔負けに、一点の曇りもない無垢な信仰に酔っ
て強力に持論を主張し、世界の中心に居座って愛を語り出すことが
とても多いものですね。

ほんとうに大切な真理は、愛は、相手がそれを受け入れてくれな
ければ意味がないということです。相手が嫌だというものを、これ
こそが真実の愛だおれの愛が一番高級だ、あいつはインチキだ口先
で騙しているだけだとわめいて演説するのは、本人以外の総ての人
が即座に理解できるように、まったく意味のないばかりか憎しみさ
え発生させてしまう、あっちょんぶりけな行為であります。

愛というのは、与えるなどという傲慢な態度で取り扱うものでは
なく、相手が主体の感覚、いうなれば「受け取っていただく」とい
う態度で提供するのが、本来の姿ではないかと思います。そういう
姿勢をあほらしいと感じる程度の相手なら、たぶんあなたがその相
手に感じているのは愛ではなく、ただの所有欲だと思います。
愛していると思い込み、与えていると自惚れている心の中の、小
奇麗なパッケージのその中にあるのは、相手を所有したいという欲
望と、それを成就するだけのためにハリの先につけた、羽毛やテグ
スをいじくりまわしてペンキを塗りたくったインチキの餌のような、
愛とは違う何か別のものなのでしょう。

それを愛と呼びたいならば、否定はしませんけどね。




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