母に捧げる楽天日記・・![]() 本日は母の命日である。今日の日記は自分の記録として書くから、面白くないかもよ。。 昭和62年12月1日。僕の母は亡くなった。享年56歳。原因は「心不全」であった。 『虫の知らせ』って本当にあるんだよなあ。 母は、2週間前階段で転び、骨折していたので、片足が不自由だった。僕はその日、何故か大学に行くのを止めた。何故か母が気になった。いつもの医者に通う為に外出。その時初めてかも。。。 母をおんぶした。 「こんな事、初めてじゃない?」 「そうだねぇ~あたし重いから。フジオには、無理だよ」 (京塚 マサコのような体型してた。。) なんて会話をしながら、かかりつけの医者に到着。。 「!!!なんか心臓の動きがおかしいぞ。一度家に帰って休んだ方がいいよ。。色々当たってみるから。」 と言われた。焦ったが母は全然元気。。帰宅後、心配だったので近所のお世話になっていた、おばちゃんに相談したら 「小田原に心臓に良いものが売ってるらしいから、買ってきたら?」 と言われたので、兄貴の車を借りてとにかく飛ばした・・・ 「ありがとね。気をつけて・・」ドア越しにふすまの隙間から、横になりながら、僕に一言をくれた。これが最後の姿だった。。 もう、とにかく急いだ。。小田原到着。言われたものを買って、電話も入れず(一本入れとけば。といつも反省する)急いで帰った。。 家に帰る前に母の名代で参加しなくてはならない「会合」に出席。。 何かまわりの雰囲気が悪いなぁ~。。と感じながら、 「母の心臓が悪いので、小田原までいいものを買ってきました。これで良くなればいいと思ってます。。」 急にすすり泣く声。。? 担当の方が「林君!お母さん亡くなったぞ!知らないのか!」 一瞬真っ白になった。。 帰りの車中。いろんな事を思い出していた。。 一緒に近所のマルエツに買い物に行って、ハムみたいな「チャーシューメン」を食べた事。。 二子玉川園の「ウルトラマン展」に行った事。 小学校で女の子をいじめて、家に先生が来た後でも、 おいしいホットケーキを作ってくれた事。 3DKで家族6人で住んでいた時、寝るのは僕と兄貴は台所。。 朝起きると母のドカーンと大きな大根足が見えていた事。 「彼女できないの?」って冗談まじりに、質問していた事。 駅前の自転車置き場で、泥まみれになって一生懸命掃除している母の背中が好きだった事。 まあいっぱい思い出した。。 帰ったら、白いハンカチが顔にかかってた。。 人間の死っていうのはあっけないもんだな。。 死んでる顔が笑ってた。。その時、思った。 親の意思を継ぐのが、子供の責任だと。。 「他人のために真剣に行動する事が、最後は自分の為になる。」 母の口癖だった。。。自分なりに努力はしてるが、まだ未熟者。 妻と買い物に行くと、昔ながらの母の知り合いに会う事がある。 必ず「本当におかあさんはいい人だったのよ。お世話になりました」 と言われる。様々なところで全力に生きた母「林 幾子 56歳」 17年の歳月が過ぎても、どっこい生きてますね。おかあさん。。 ただ、孫のさくらは見せたかった。 「おかあさん、ありがとう!」 ジャンル別一覧
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