前略 勇吉様僕の父「林 勇吉」はとにかく、徹する男だった。昭和2年生まれで、江戸っ子 東京大空襲も経験しており 戦争の話もよく、してくれた。。 「B29が焼夷弾を撒く時、自分の頭上で撒いた時は安心だ。 風に流されるからな~」この話が一番記憶に残っている。 戦時中に「東急電鉄」に入社。最後は駅の「助役」までいった。 駅長になるには「上司との付き合い(←まあお酒ですわ) が上手でないと、無理」と生前よく話もしていた。 実は高校卒業後、僕は東急電鉄に入社がほぼ決まっていた。 しかし、色弱であったため、電車の運転手にはなれない・・ そうすると出世はできない。 一生ヒラ社員じゃ、かわいそうだろう。。という事で 入社を辞めたんです。 だから、自分の目の異常が今の「尻ミッター」を生んだんでしょうな。 ある意味、自分の目に感謝です。 話を父の事に戻しましょ♪ 息子が送る「徹する父「林勇吉」自慢! 1、ギターはセミプロ!フラメンコが超うまかった! 2、数十年間、1日40本吸っていた「ハイライト」を1日でやめた! 3、地元の自治会の体育委員をずっとやっていた! 4、レタリングが超うまかった! 5、自分はボケる。と自覚していたので、スーツに緊急連絡先を縫いこんでいた! 6、ピストン堀口のボクシングジムに通っていた! 7、焼夷弾を避けるのがうまい! 8、新聞の切り抜きを、30年間以上毎日欠かさず続けていた! 9、全然お酒飲めません! どうだ、俺のお父さんはスゲエだろ(笑) ただ、母が死んだら一気に弱くなりボケた。 急速に弱る、父の姿を見るにつけ さだまさしの関白宣言の歌詞 「俺より先に逝ってはいけない」 をしみじみと感じてしまった。 毎日、ローソンでお弁当買って朝ご飯。 昼は味の民芸でうどん。 夕方に銭湯 夜は新聞の切り抜きをして、静かに寝る。 僕も仕事が多忙だったので、 ホントに父親孝行もできなかった・・・ごめんなさい。 嬉しかっただろうが、母はもう他界していたので 孤軍奮闘だった姉の結婚式。カッコよかったですよ。 最後は自覚していたようだけど完全にボケて入院しました。 そのボケた父に妻を紹介ができたのが、自分としては嬉しかった 「ふじおは結婚どうなんだ?」と笑って言う父が懐かしい。 懐かしくなって「林勇吉」という名前で検索してみた。 http://search.yahoo.co.jp/bin/query?p=%ce%d3%cd%a6%b5%c8&fr=slv1-wave&h=p&dups=1 でるわ。でるわ♪ 坂本竜馬の部下・大工・ゴルファー 生きてるんですな「林勇吉さん」! 僕も父になりました。 さくらを本当にお見せしたかったです。 ジャンル別一覧
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