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テーマ:介護・看護・喪失(5287)
カテゴリ:脳卒中・闘病・リハビリ
土曜日は、お父さんの状態は安定していて、病室に入ると目を開けていて、私があいさつすると
あいさつしてくれた。 あいかわらず会話がなかなか成立しない。新聞を見せて読むと、聞いているし、カードを見せると、かろうじて読み上げることはできるけど、単純な会話の返事がきちんとできない。 今日は体調は良さそうなので、車椅子に乗って、1階の噴水の前の影で少し外気を吸い、通り過ぎる人の姿をみながらしばらく過ごした後、中に入って新聞を読んだ。 以前のように会話ができないので寂しいなあ。 病室でお父さんに対面するとき、 元気なときの明るくて頑固で楽しい個性的なお父さんを思い出す。 その姿を取り戻したい、という気持ちをしっかり持ち続けるために、病室にも自宅にもお父さんの写真を貼っている。 でも、病室でじっとしている姿とのギャップに、とてもかわいそうで、かわいそうで、なんともいえない気持ちになる。 自分の言いたいこと、したいことが何なのかもわからなくて、与えられた環境をそのまま受け入れているお父さんが本当にかわいそうで、自分の無力さにうちひしがれるときがある。 今現在のお父さんは、まだ自分の変化した状況に気がついていないのでそのギャップに悩んでいる様子はない。 だから、私の心にあるだけで、私自身の問題なんだ、と言い聞かせるのだけど、それでも毎日、ふと悲しく辛くなることがある。 弱い人間は、悲観的になってしまうか、逆に攻撃的になってバランスを保とうとする。 だから、人に優しくいられるためには、自分が強くなければならない、といつも自分に言い聞かせている。 できるだけ強く、明るく過ごすために、自分を奮い立たせているけれど、そうしていられなくなることがある。 豪憲くん殺人事件、高校生の放火殺人事件も、人間の弱さがしたこと。 主婦がわが子をなくしたやるせない気持ちに負けて攻撃的になってしまった。 高校生も自分の辛さから逃れるために、取り返しのつかない攻撃性を発揮してしまった。 こんな事件報道が家で流れると、子供たちに「弱さがなした業。強くならないとあかんで」と伝える。 自分の辛さを乗り越えるためには、強さがいる。 乗り越えられなくても、何とか時間をかけて自然に受け入れなきゃならない。 そうすることで、人間は強くなる。 でも、それができないと、ひどく落ち込んで苦しんだり、逆に攻撃的になってしまう。 大きな事件になっていなくても、人間の弱さによる攻撃性は、あちこちにいっぱい存在する。 そういう自分に気づいて、それを正しく乗り越えていくことで、自分が強く、優しくなれる。 乗り越えた人は、乗り越えるときの辛さを経験しているから、そういう人を見たとき優しくなれる。 私もそう。 これまでの人生でいろいろあったけど、何とか真正面から乗り越えようと努力してきた。 若いときに比べると、少しは強く、優しくなれたんじゃないか、と思う。 でも、それでも今の自分に耐え切れない辛さが押し寄せてくると、ときどきつぶれそうになる。 人生って何も無駄なことは起きない。神様がそう作っている。 今のあなたの状況をどんなふうに乗り越えるのか、あなたが強く優しくなれるかどうかは、あなた自身がどうするのかで決まる。 あなたの乗り越え方しだいで、あなたの人生が良くなるし、悪くもなる。 神様はそう言ってるのだと思う。 自分に言い聞かせている。明るく無理せず、少しだけがんばって乗り越えること。 ああ、とりあえず、家をかたづけないと。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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