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やさぐれ同盟

子豚物語

      子豚物語

豚豚豚豚豚豚豚豚豚豚豚豚豚豚豚豚豚! どいつもこいつも糞豚野郎だ。すえた腐臭で蒸せ返った井の頭線の車内で俺は吐き気を堪えるのに必死だった。目黒区にあるくたばりかけた高校への通学途中、俺の精神はいつも拷問に耐えなければならない。東京の人口密度の高さを身をもって味わわされるラッシュアワー、電車の揺れによってその場に倒れ込み、何人もの重量に押し潰されるのを何としても避けるため、手すりを掌の皮膚が擦り剥ける程に握りしめる。渋谷まであと3駅、丁度その当たりで脳の血管が千切れそうな感覚に襲われ、背中に嫌な汗をかく、それはいつものことだった。充血した視界に映るものすべてを憎悪しながら俺は喉元に込み上げる嘔吐感を誤魔化す為に目を閉じた。ここで一言でも叫び出せたら、どれだけ気分がいいだろう? だが実際は心の中でぶつぶつ呟くだけの俺だった、(…あくびして死ね!…あくびして死ね!…あくびして死ね!…)。 糞っ垂れ! 隣のデブ女のハイヒールが俺の足を踏みにじる。「ごめんなさい」「いえ」やりとりはそれだけ。だが俺は心の中でこの女の破滅を願って罵詈雑言の有りったけをぶちまけていた。(このデブ! デブのくせにハイヒールなんて履いてんじゃねぇよ! それはデブ用の靴じゃねぇんだ! デブはデブってだけで世の中の良識に反してるんだから、せめておとなしくしてろっ! 貴様がそこに居るだけで世界の貴重な資源の損失なんだ! 失せやがれ! 死ね! 自殺しろ! それが流行りの環境保護だ!) 
電車は終点の渋谷に着き、扉が開くなり人間が絞り出されるように駅のホームに雪崩込む。もう意識が判然としていない俺は、人の流れに乗っかったまま改札を出て乗り換えの東横線のホームを目指す。ふと時計を見ると午前8時20分だ。授業が始まるのは8時半だから、どう考えても間に合わない。どうせ、もう遅刻だ、だったら急ぐ必要はない。俺は東横線の座席に身体を投げ出すように座る。吐き気は治まってきたが、今度は手足の神経痛に悩まされる。リスが声を押し殺して泣くような痛みだ。車窓外で流れ去る胸糞悪い高級住宅街に向かって32回ほど死刑宣告を下した頃、ようやく電車は目的地に着いた。ホームに下りた時、俺は学校へ行くべきかどうか迷い始めた。いまさら1時間目に顔を出すのも気が引ける、仕方がないから2時間目から出ることにして、駅のベンチに座り込んで時間をつぶすことにした。何本かの電車が通り過ぎた後、俯いた俺の視界に女の足が立ち止まるのが見えた。女は「ネロ君?」と話しかけてきた。同じクラスのY子だった。クラスメイトだからといって別に親しいわけじゃないが、Y子は特別に社交性に富んだ、誰にも気兼ねなく話しかけ、仲良くなれる希有な才能の持ち主だった。俺は力なく挨拶し、聞かれた訳でもないのに、こんな所に座っていることの言い訳を始めた。自分でもうんざりするぐらい、ぎこちなく説得力のない話を、人なつっこい表情でいちいち相槌打ちながら聞いていたY子は、「気分が悪いなら一緒に居てあげる」と言って、俺の隣に座り込んだ。はっきりいって俺には親切にされる覚えがない。この女、何を考えているんだ? 恩を売る気か? だがY子はそれから5分間、頭を抱えて苦痛の波が過ぎ去るのをじっと待っていた俺に対して何をするわけでもなく彼女自身の言葉どおり、そこに居るだけだった。体調が良くなったわけではないが、その奇妙な沈黙に耐えがたくなって俺はもう大丈夫だと言ってみた。すると、Y子は眩し過ぎる笑顔を浮かべ、「じゃあ行こうか」と立ち上がった。有無を言わさず、ほとんど自然に人を従わせてしまう魅力を彼女は持っているようだ。俺は内心では悪態をつきながらもY子と共に歩きだした。

2時間目は数学だった。何故だが知らないが、いつも白衣を着ている数学教師は禿げかけた中年男のくせに、かっわいい丸文字で几帳面に因数分解を解説している。あまりに退屈な俺は、頭の中で『暗殺リスト』を作成することにした。「浮浪者の足の指の間に挟まった糞よりも糞っ垂れな女優(12位)」、「空っぽな自分の中に自尊心ばかりぎっしり詰め込んで恥ずかしげもなくふん反り返っている似非脚本家(7位)」、「俺の人生の何の足しにもならない歌を歌うゴミバンド(4位)」などでリストは次々に埋まっていった。輝かしい暗殺候補第1位は俺が『糞袋』と呼んでいる同じクラスの柔道野郎だった。周囲に対する思いやりを大切にする優しい人達を、平気で踏みにじって社会的成功を手に入れて偉くなるような奴だ。畜生! 『糞袋』のことを考えているだけで嫌な気分になってきた。そして俺はさらに暗い作業に没頭する。空想の中で『糞袋』を虐殺するのだ。想像力のない俺には12通りの殺し方しか思いつかず、訳のわからない敗北感に胸をつかれ、俺は突然泣きたくなってきた。机に突っ伏して滲んだ視界を塞ぐ、嫌なことばかり思いつく、怖くてしょうがない、無力感と疎外感に苛まれる。そして何より、そんな感傷自体が思春期の麻疹のように、ありふれていて、誰にでも覚えのあることなんだ。そして、それを自覚してる俺は、恥ずかしくて、惨めで、二重に苦しい。「なに寝てんだ! ネロ! 起きろ!」 声が頭の上でして教科書の角で叩かれて、俺は起き上がる。涙ぐんでいても寝ていたせいにできるので少し安心しながら俺は「すいません」と謝った。
3・4時間目は体育だったので俺は保健室に逃げ込んだ。体調が良くないのは事実だったので、堂々とベッドに横になった。夢も見ない眠りを眠り、目覚めるといつの間にか保険の先生は居なくなっていて、かわりにY子が俺のベッドの足の辺りに座ってあくびを噛み殺していた。Y子は「おはよう」などと何気なく言い、自分も体育をさぼって此処に来たことを説明した。「今日は奇遇だねぇ?」「体育ってかったるいよね?」「何でこんな天気のいい日にマラソンなんてしなくちゃいけないのって思わない?」 そんなY子の話を俺はすべて「うん」の一言で済まし、今日はもう帰ろうと決めた。ベッドを抜け出し、外のまばゆい日差しに表情を顰めて俺は「早退するから先生に言っといて」とY子に言い捨て廊下に出た。するりと脇を通って俺の目の前に立ちはだかったY子は「これあげる」と一本のボールペンを俺の胸のポケットに突っ込んで、どこかに消えてしまった。理解できないことは忘れた方がいいに決まっている。俺は俗物製造機である学校を後にする。ふと何かが気になって振り返り、洗練のかけらも感じられない校舎を見つめたが別にそれはいつもと同じ馬鹿馬鹿しさでプチブル家庭の中に紛れ込んでいる、俺は何となく「がっぽり眠れ、インチキ野郎」なんて毒づいて、笑いながら歩きだそうとした。その時、校舎の窓の一つからY子が身を乗りだして俺に向かって、こう叫んだ。
「臆病者!」
――――その通り。

それから2時間後、俺は下北沢のオッシャレなカフェで2杯目のカモミールティーを音を立てないように慎重に飲みながら、カポーティの『遠い声 遠い部屋』のページをぼんやりと繰っている。本は、ほとんど周りに対する見栄のためだけに開いたようなもので、視線は活字の上を漂うだけで内容はさっぱり頭の中に入ってこなかった。店内に流れる静かなボサノバの、ゆったりとしたメロディーに神経が癒される。ヌーヴェル・ヴァーグな映画のスクリーンから抜け出してきたかのようなカップルや、上品で趣味の良さそうな有閑マダムたちの茶飲み話を聞くこともなく聞いていると、少しだけ幸福になれる気がしてきた。目を瞑って鼓動を数えて、自分が取り敢えず生きていることを確認する。なるほど、確かに俺は今ここにいる。しかし、その幸福な自己完結は唐突に肩を叩かれて破られてしまった。振り返ると、そこにはオランウータンのゲロよりも薄汚い野郎『糞袋』が数人と連れだってニヤニヤしていた。俺はアンドロメダ星雲の彼方に思いを馳せ、コールドスリープに入って100年後の世界に、アドルフ・ヒットラーの足の爪の垢よりもけったくそ悪い『糞袋』のいない世界に逃げ出したくなった。しかし、現実はサバンナの象のうんこよりも愚鈍で劣悪だ。考える限り最悪の事態だが、『糞袋』とその仲間達に囲まれて俺はもうすっかり冷めてしまったお茶を不味い顔で飲んでいる。このどうしようもない連中の意味のない話題に付いていけずに俺は早々に退散することにした。「待てよ」と伝票を持ってその場を立ち去ろうとした俺の腕を掴んで『糞袋』は言った。俺は舌打ちして露骨に自分の感情を表現してやった。「悪いけど、俺、用があるから」これが精一杯の誠意というものだ、貴様らごときに割く時間は無いんだ。俺を行かせてくれ、Let Me Go.だが『糞袋』はあっさりと自らの本音とやらを語りだした。曰く、「俺はお前が嫌いだ」 こいつは参った、こっちが言う前に言われちまった。しかし、せっかく相手が心を開いてくれたんだ、こっちも相応の態度で返答しなければなるまい。だが、面倒事は勘弁なので、俺は「ふうん」と上の空で呟いただけで、こんな馬鹿どもを置いて店を出ることにした。そんなわけで下北沢の雑踏に逃げ込もうとしたのだが、裏道に迷い込んでしまったところで、自分勝手にぶち切れた『糞袋』一行に捕まってしまった。やれやれ、どうせ袋叩きにされるなら、言いたいことは言っておいた方が良さそうだ。俺は学校生活の中では慎重に自己規制しているヴォキャブラリーを開放した。「おい! こら! 貴様ら、よおく聞け! 明らかに知能指数の低そうな面してるくせに、どうして、こんな都会を自信満々に闊歩できるんだ? その羞恥心の忘れ方を教えてくれよ! それとも何か? 自分達の存在が便所の落書き並のみっともなさだってことにすら気付いてないのか? おいおいマジかよ? ひょっとして、かっこいいと思ってるの? 自分のこと? 笑えないよ、それ。ほんっとに醜悪だよ、貴様ら。いいか? 将来の日本のために貴様らこそ臨床刑だ! 手前の人格は産業廃棄物的に地球規模で有害だけど、お前の臓器は人様のために役立つんだから、とっととドナーカードにサインして来い! ははん? 言うに事欠いて暴力か? それこそ、脳が不自由なことの証明だ! 頭の中に虫がたかってんじゃねえの? そういえば、お前の脳味噌って臭そうだもんな! 毎夜、見る夢まで下手物趣味の腐りきったミミズ風呂並みに反吐が出そうな代物なんだろうなあ? あ? 何とか言ったらどうなんだよ? 語彙の少なさは、普段、物を考えてない証拠だぜ? どおなんですかあ? 物事を考えて生きてますかあ? 毎日毎日、坊やは何を考えているのかなあ? なあんにも考えないで、ただ悩んでいるだけかなあ? 悩むのは頭が悪いからだと思うけどなあ? 坊やは頭が悪いんですかああああああ?」

――――――人生は糞だ! 違うかい?

路地裏に寝ころんで見上げる空は、うんざりするくらいに綺麗な夕焼けだった。身体中は油の切れたブリキの玩具みたいに痛んだが、悪い気分じゃなかった。俺のようなインテリ気取りのアートかぶれな古典的文学少年は迫害を受けてこそ、自分の正しさを思い知るんだ。社会は、体制は、権力は、いつも股の間に脳味噌をぶら下げたような連中の独壇場だ。この身を削り、奴らの間抜けさを徹底的に暴き出してやるんだ。その時笑っているのは、この俺だ。特別の嘲笑を笑ってやるぜ。立ち上がると、胸ポケットから何かが落ちた。Y子から貰ったボールペンだった。俺はふと思い立って、それを分解してみると、ボールペンの芯には白い粉がぎっしり詰まっていた。なるほど、なるほど。

そういうわけで、世界はこんなにも素晴らしい。

                              (疲れたので終わり)


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