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やさぐれ同盟

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Mar 29, 2006
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カテゴリ:映画評
やっと観てきました、『ホテル・ルワンダ』。1994年のルワンダでの多数派フツ族による少数派ツチ族の大虐殺を描いた『ジェノサイドの丘』の1エピソード、1200人のツチ族を匿い救ったホテルのマネージャーの話を映画化したもの。

ちなみに以前書いた『ジェノサイドの丘』の書評を以下にあげときます。

1994年4月6日、ルワンダで行われた未曾有のジェノサイドの衝撃的なノンフィクション。
ルワンダには、多数派のフツ族と少数派のツチ族がいて、アフリカの多くの国と同じように、冷戦時代の雇われ独裁者の暴政のもと断続的にフツ族によるツチ族への虐殺が続いていた。しかし70年代を過ぎてからは大規模な虐殺は数を減らす。もともとフツ族とツチ族の争いは、人種的なものではなかったと思われる。両部族間の結婚は認められていたし、フツ族もツチ族も一緒に暮らし、働き、学んでいた。だが90年代に入ってから、フツ至上主義党が急速に台頭することで状況は劇的に変化してしまう。愚鈍な大統領ハビャリマナ、政府の実権を握る大統領夫人マダム・アガートとその姻戚組織アカズの傘下で、フツ至上主義は加熱。また、ミッテラン大統領時代のフランスはルワンダを英語圏勢力から死守しようと政府を援助。国連指揮下の援助団体と国連軍は何も出来ず傍観。
そしてわずか3ヶ月の間に約80万人のツチ族が殺された。このジェノサイドは、ナチスによるユダヤ人虐殺とは、まったく性質の異なるものだ。虐殺が始る前、新聞やラジオは「ツチ族を殺せ」とプロパガンダを垂れ流しつづけ、フツ族の人々は兵士達に殺人の予行練習を受けていた。ツチ族もそれを知っていた。殺す側も、殺される側も、その時が来るのを待っていたのである。1994年4月6日、大統領が暗殺される(恐らく政府による謀殺)と、その日のうちに虐殺は始った。市長は市民を殺し、医者は患者を殺し、神父は信者を殺し、夫は妻を殺し、教師は生徒を殺した。女子供の区別はなく。隣人が隣人を殺したのだ。このあいだまで、仲良くやっていた人たちが、突然、別人になってしまうという恐怖。
ジェノサイドが起こる直前。ルワンダにいた国連軍は「とんでもないことが起こりつつある」と報告を送っていた。「最重要」と記されたその報告をみて、当時国連平和維持活動の責任者だったアナン(現事務総長)は軽視し、こともあろうにハビャリマナ大統領に忠告するのみだった。国連本部は政府の管理外の過激派の行動だと甘く見ていたのだ。当時、国連はボスニアで手いっぱいだったのだ。だが後になってアナンはこの件に関して証言を拒否。ルワンダの責任者にも証言を許さなかった。こうして国際社会の知らないところでアウシュビッツ以来の組織的な「ジェノサイド」が始ったのである。
英雄的なカガメ将軍に組織された反政府軍RPFによって、フツ至上主義政府軍は敗れ、ジェノサイドは終わった。しかし、フツ族は復讐を恐れ政府軍とともに難民となって逃亡。各地に難民キャンプが作られ、そこに国際援助団体がこぞってやってきた。フツ至上主義の残党は、難民キャンプ内で、国際援助を受けることで、再組織化を果たし、ゲリラ戦を展開。ザイールの悪名高きモブツの援助を受けルワンダ外のツチ族を虐殺し始める。ジェノサイドを無視し続けた国際社会は、皮肉なことにジェノサイドされた側でなく、ジェノサイド実行者達を保護するという転倒が起きたのだ。RPFは無力な国連に頼らず、アフリカ諸国と連携し、モブツ政権を実力で打倒。このアフリカにおける「世界大戦」によって、欧米列強の力を借りることなく、アフリカ人がアフリカ人によって正義を実行したのだ。
こうして難民は帰ってきた。そして人類史上初めての現象があちこちで発生する。自分の家族を恋人を友人を殺した人々が、また同じ家に帰ってきて、また同じように暮し始める。生き残ったツチ族にとって、これはセカンド・レイプに等しい。事実、各所で復讐が起きる。ジェノサイドを生き残った人達の、その後の生活、感情、思考が本書の後半のテーマとなる。
重い。非常に重い読後感。1994年の出来事だ。日本では、当時ルワンダにおける虐殺は報道すらされなかった。ちなみに当時の国連の高等弁務官は日本人緒方貞子である。
国際援助とは? 人権とは? イラクという絶好のサンプルのある今こそ、我々日本人は考え直すべきだ。

映画は始終、不穏な雰囲気で包まれている。「ゴキブリどもを殺せ」と繰り返されるラジオ放送の内容は時に具体的に個人名とその住所をあげる。全編にわたって銃声が響き続ける。ホテルのマネージャーの話なので、その外での虐殺の全貌が描かれる箇所はあまりない。ある日突然、隣人が隣人を殺すという異常事態が描かれているわけでもない。非常に良い映画なのだけど、原作を読んだ身としては消化不良ではある。「アフリカではよくあること」って、どっかの芸能人が言ってたらしいけど、まあ、当時の日本人も含めた西側諸国の人達の気分っていうのは、そういうもので、たぶん今でもそうなんだろう。映画の中で虐殺の映像を撮った外国人ジャーナリストが、「その映像を見れば外国は援助してくれますね」と言う主人公に「彼らはテレビでこの映像を見て『恐いね…』と言って、ディナーを続けるんだ…」と言うシーンがあったのですが、ここで言う「彼ら」っていうのは、まさしく僕やあなたのことに他ならないのです。一体僕らは、どれだけ多くの人々を見捨てているのでしょう? 
映画は、反乱軍がやって来て、ホテルに逃げ込んだ人達も無事、国外に逃れるところで終りますが、その後の事態は前述の通り。虐殺当事者のフツ族民兵達は「難民」として、国際援助団体の保護を受け、その中で武装しゲリラ勢力と化し、虐殺はルワンダ外で続きます。政権を取ったRPFを中心とした軍隊に敗れるとフツ族難民はルワンダに帰ってきて、またツチ族と一緒に生活を始めるのです。この想像不可能な事態が、その後、どうなっているのか僕は知らないけれど、ある種のことは取り返しがつかない、憎しみを取り除くことなんて不可能なのではないのだろうか? ダメだ。はっきり言って、僕にはこのルワンダの大量虐殺は想像不可能だ。なぜそんなことが起きたのか、なぜ隣人を躊躇なく殺せるのか、さっぱりわからない! そんな時、主人公のホテル・マネージャーの姿を思い浮かべる。最初は自分の家族の無事しか考えてない彼が、こんな異常事態で理性を保つ根拠としたのは正義感でも何でもなく「職業倫理」だった。一流ホテルのマネージャーとして、どんな事態であってもホテルの品位を保つこと…どんな時にも普段通りに生きるということが、どれだけ難しいのか。それがどれだけ偉大なことなのか! きっとそれは、決して他人事ではないのだろう。






Last updated  Mar 29, 2006 08:30:25 PM
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