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やさぐれ同盟

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映画評

May 16, 2006
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カテゴリ:映画評
忘れないうちに書いておかねばなりません。映画『ラスト・デイズ』についてです。この映画は『グッドウィル・ハンティング』で大ヒットを飛ばし、『エレファント』でカンヌを取ったガス・ヴァン・サント監督による新作です。内容は94年に自殺したニルヴァーナというロックバンドのリーダーであるカート・コバーンにインスパイアを受け、その自殺直前の風景を描いたものと言われています。

さて…まず断っておかねばなりませんが、僕はガス・ヴァン・サントという監督が嫌いです。そしてニルヴァーナは僕の青春に最も影響を与えたと言っても過言でないほど大好きなバンドです。だから僕は観る前から、この映画が酷いものであることは、ある程度、予測しておりました。どれだけ酷いものかを確認するためだけに映画館に足を運んだのです。こんな僕は、だからまあ、観客として最低なのですが、世間の評価も大体、似たり寄ったりなのではないでしょうか?

できるだけ冷静に書こうとしているのが、お分かりでしょうか? まあこの映画、一言で言ってしまうと糞映画ですね。それ以外の何物でもありません。ヘロイン中毒のロックスターである主人公が森の中をぶつぶつ言いながらさ迷い歩く・・・ただそれだけ。無意味な長回し、無意味なゲイ描写、無意味な時間軸の交差の連続。本当にまったく意味がわかりません。あげく主演のマイケル・ピットの自作(!)の歌を弾き語るシーンに辟易。気付いたら死んでる主人公の死体から魂が抜け出し天に上っていくという呆れた演出。最後は警察が主人公の死体をストレッチャーに乗せようと持ち上げたら、重くて落しちゃうシーンまで撮っている。反吐吐きそうな不快感と怒りが込み上げる。画面が暗転し、「この映画はフィクションであり…」云々のテロップ、しかし、次のテロップでは「この映画をカート・コバーンに捧げる」とくるのです。ガスよ…お前一体何がしたいわけ? まったくもって意味がわからない! 

観終わって映画館を後にする時、率直に「死ね!」と思いましたよ、僕は。でもまあ、そんなことは全部、予測内の出来事。どうでもいいのです。純粋に映画として退屈なんだから、これ誉める人がいたら、その人のことは「白痴」と思ってまず間違いないでしょう。思うにガス・ヴァン・サントという人は、もはや表現の動機を失っているのでしょう。自身の問題である「ゲイ」「ドラック」という動機をキャリアの初期に消化してしまって『サイコ』完コピという暴挙というかマスターベーションに走ったりしてる時点で、それは明白です。そもそも、ガス・ヴァン・サントには、カートよりも、描かねばならないミュージシャンが存在するはずなのです。そう、その人物の名はエリオット・スミス。ガス・ヴァン・サントの出世作『グッドウィル・ハンティング』の主題歌を歌い、一躍スターの座に登った、とても繊細な歌を歌っていた吟遊詩人。彼もまた自ら命を絶ってしまったのです。少なくとも、ガス・ヴァン・サントにとって、カートの死よりも、エリオットの死を描くことのほうが必然性があるではありませんか? 

とにかく、これほど不快な映画を観たのは久しぶりでした(多分、『ハムナプトラ』以来…)。






Last updated  May 16, 2006 11:00:33 PM
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May 2, 2006
カテゴリ:映画評
『七人のマッハ』を観る。冒頭10分にしてすでに、とんでもない事態が起こっている。
タイ国境近くのとある村にチャリティーでやって来たサッカー選手や新体操選手やテコンドー選手やセパタクロー選手やラグビー選手などのアスリート達。子供や老人とほのぼの過ごしていると……突然、銃撃! 武装ゲリラがやって来て、いきなり村人を撃ち殺しはじめる! 平和な村は突如、阿鼻叫喚の地獄絵図。ソンミ村の虐殺もかくやと思われる惨劇に! 殺されなかった村人達とアスリート達は村の中央に集められ人質に! 武装ゲリラは首相に「麻薬王の将軍を解放しなければ村人を殺してメディアに放送するぞ」と要求。特殊部隊が村に近付くけれど、見せしめに村人達は次々に殺されていく! 首相はついに麻薬王を解放することを決定する。しかし人質の中に主人公である秘密捜査官が紛れ込んでいた。彼は武装ゲリラが核ミサイル(え?)をバンコクに撃ち込む計画を知り、村人とアスリート達に「殺されるか、戦うかだ」と無茶発言。当然、尻ごむ人質達…。その時、ラジオからタイ国歌が流れ出す・・・

タイ国はタイ国民の血肉を集め合わせたもの 
タイ全土はすべて国民のもの 
すべてを維持できているのは 
タイ国民すべてが団結を愛しているから
タイは平和を愛するが、闘うことになれば恐れはしない 
独立は誰にも抑圧させはしない 
国家のためにすべての血の滴を犠牲にする 
タイ国家に栄光あれ

すると人質全員が、立ちあがり国歌を合唱しだす! 「戦おう!」、そして全員丸腰のまま、武装ゲリラに向って全力疾走! 当然、撃たれまくるが、それでも立ち向かう! ここから役者の台詞らしい台詞はなくなり全員「うおーっ!」という叫び声しか発さなくなる。というかキリング・センスに目覚めたアニマルと化す! サッカー選手は(都合良く落ちてる)ボールや、木になってる実を蹴って敵を倒し、新体操選手は平均台キックをかまし、ラグビー選手はタックルでゲリラどもをノックダウン! 老人も子供もムエタイを駆使してテロリストどもを倒しまくる! 武装ゲリラの女幹部はテコンドー選手に顔面に何度も蹴りをくらい、刀に串刺しになって死に、余裕かましてた武装ゲリラのリーダーはロケット・ランチャーの砲弾をくらって木っ端微塵になり、ついに勝利を手にしたかに思えたが、核ミサイルの発射まであと数秒! ゲリラのリーダーの右腕(マッハの最後の敵だった人が演じてます)を殴り倒して、装置を止めようとする主人公! しかし……止め方が分からない(笑)、「うおーっ!」苦悩の叫び! そして核ミサイルは発射されてしまう(ええー?)。「うおーっ!」怒りの叫び。しかし、核ミサイルは海に落ちたので一安心(まあ…そういうことにしておいてあげてください)。

『マッハ』と同じアクション監督だし、タイトルがタイトルなので、似たようなアクション映画なのかな? と思ってたら大間違い。『マッハ』や『トム・ヤム・クン』を観てしまった身としては、単純にアクション的にはトニー・ジャーに及ぶべくもない…とは思いますが、この『七人のマッハ』は、それとは違う次元の映画なのです。意味もなく全編にわたって熱い。熱すぎます! それでいて爽やかなのです! そしてまた、全編にわたって致死性の高いスタントの嵐です、オンパレードです。絶対、何人か死んでると思います。「何もそこまでしなくてもいいよ…」と観てるこっちの方がオロオロしてしまいます。

みんなレンタル・ビデオ屋さんに行こう! 映画に命かけるというのは、こういうことを言うのだと思います(文字通りの意味で…)。でも絶対に真似しないように! そしてタイの国歌は死ぬほどカッコいいね!






Last updated  May 6, 2006 10:20:42 PM
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May 1, 2006
カテゴリ:映画評
映画の日に運良く休みだったので『トム・ヤム・クン』を観に行きました。
『マッハ!』の衝撃さめやらぬ人々は多いのでしょうが、そんな僕もその一人。当然、誰もが『マッハ!』を超えられるのだろうか…? と奇妙な疑念を抱きつつスクリーンと対峙したのでしょう。しかし、杞憂! そんなものは杞憂です。まるでガキンチョのように、ただただ「すげー!」と興奮するしかない大傑作でした。
ストーリーなんて別に誰も気にしてないだろうけど、さらわれた象を求めて三千里の道のりは、訳の分からんストリート・ギャングやら、カポエラ使いやら、青竜刀使いやら、プロレスラーやらが立ちふさがり、我らがトニー・ジャーが邪魔する奴らを情け容赦なくムエタイ暗殺術で倒した後に関節ボキボキ砕き割り皆殺し…という人権無視の動物愛に満ち満ちたお話なのです。
ああ…なんか説明するのもめんどくさい。

ところで、ガス・ヴァン・サントの『ラスト・デイズ』を一ヶ月くらい前に観たのですが、いまだに不快感が抜けきれません! 某SNSの話題を覗き見てみると否定派は「反吐が出る」的な罵詈雑言。実は僕もそんな罵詈雑言に120%賛成なのだけれど、肯定派の人達は「雰囲気が良い」とか「リアルだった」とか「泣けた」とか「カートの最期を思って悲しくなった」とか、挙句の果ては「本当に映画が好きな人なら好きだよ、この映画」ときたもんだ。みんな死ね! ということで、今度、『ラスト・デイズ』について書きます。本当に映画が好きな人はなあ…『トム・ヤム・クン』を観るんだよ、ばああか!






Last updated  Apr 19, 2012 08:47:29 AM
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Mar 29, 2006
カテゴリ:映画評
やっと観てきました、『ホテル・ルワンダ』。1994年のルワンダでの多数派フツ族による少数派ツチ族の大虐殺を描いた『ジェノサイドの丘』の1エピソード、1200人のツチ族を匿い救ったホテルのマネージャーの話を映画化したもの。

ちなみに以前書いた『ジェノサイドの丘』の書評を以下にあげときます。

1994年4月6日、ルワンダで行われた未曾有のジェノサイドの衝撃的なノンフィクション。
ルワンダには、多数派のフツ族と少数派のツチ族がいて、アフリカの多くの国と同じように、冷戦時代の雇われ独裁者の暴政のもと断続的にフツ族によるツチ族への虐殺が続いていた。しかし70年代を過ぎてからは大規模な虐殺は数を減らす。もともとフツ族とツチ族の争いは、人種的なものではなかったと思われる。両部族間の結婚は認められていたし、フツ族もツチ族も一緒に暮らし、働き、学んでいた。だが90年代に入ってから、フツ至上主義党が急速に台頭することで状況は劇的に変化してしまう。愚鈍な大統領ハビャリマナ、政府の実権を握る大統領夫人マダム・アガートとその姻戚組織アカズの傘下で、フツ至上主義は加熱。また、ミッテラン大統領時代のフランスはルワンダを英語圏勢力から死守しようと政府を援助。国連指揮下の援助団体と国連軍は何も出来ず傍観。
そしてわずか3ヶ月の間に約80万人のツチ族が殺された。このジェノサイドは、ナチスによるユダヤ人虐殺とは、まったく性質の異なるものだ。虐殺が始る前、新聞やラジオは「ツチ族を殺せ」とプロパガンダを垂れ流しつづけ、フツ族の人々は兵士達に殺人の予行練習を受けていた。ツチ族もそれを知っていた。殺す側も、殺される側も、その時が来るのを待っていたのである。1994年4月6日、大統領が暗殺される(恐らく政府による謀殺)と、その日のうちに虐殺は始った。市長は市民を殺し、医者は患者を殺し、神父は信者を殺し、夫は妻を殺し、教師は生徒を殺した。女子供の区別はなく。隣人が隣人を殺したのだ。このあいだまで、仲良くやっていた人たちが、突然、別人になってしまうという恐怖。
ジェノサイドが起こる直前。ルワンダにいた国連軍は「とんでもないことが起こりつつある」と報告を送っていた。「最重要」と記されたその報告をみて、当時国連平和維持活動の責任者だったアナン(現事務総長)は軽視し、こともあろうにハビャリマナ大統領に忠告するのみだった。国連本部は政府の管理外の過激派の行動だと甘く見ていたのだ。当時、国連はボスニアで手いっぱいだったのだ。だが後になってアナンはこの件に関して証言を拒否。ルワンダの責任者にも証言を許さなかった。こうして国際社会の知らないところでアウシュビッツ以来の組織的な「ジェノサイド」が始ったのである。
英雄的なカガメ将軍に組織された反政府軍RPFによって、フツ至上主義政府軍は敗れ、ジェノサイドは終わった。しかし、フツ族は復讐を恐れ政府軍とともに難民となって逃亡。各地に難民キャンプが作られ、そこに国際援助団体がこぞってやってきた。フツ至上主義の残党は、難民キャンプ内で、国際援助を受けることで、再組織化を果たし、ゲリラ戦を展開。ザイールの悪名高きモブツの援助を受けルワンダ外のツチ族を虐殺し始める。ジェノサイドを無視し続けた国際社会は、皮肉なことにジェノサイドされた側でなく、ジェノサイド実行者達を保護するという転倒が起きたのだ。RPFは無力な国連に頼らず、アフリカ諸国と連携し、モブツ政権を実力で打倒。このアフリカにおける「世界大戦」によって、欧米列強の力を借りることなく、アフリカ人がアフリカ人によって正義を実行したのだ。
こうして難民は帰ってきた。そして人類史上初めての現象があちこちで発生する。自分の家族を恋人を友人を殺した人々が、また同じ家に帰ってきて、また同じように暮し始める。生き残ったツチ族にとって、これはセカンド・レイプに等しい。事実、各所で復讐が起きる。ジェノサイドを生き残った人達の、その後の生活、感情、思考が本書の後半のテーマとなる。
重い。非常に重い読後感。1994年の出来事だ。日本では、当時ルワンダにおける虐殺は報道すらされなかった。ちなみに当時の国連の高等弁務官は日本人緒方貞子である。
国際援助とは? 人権とは? イラクという絶好のサンプルのある今こそ、我々日本人は考え直すべきだ。

映画は始終、不穏な雰囲気で包まれている。「ゴキブリどもを殺せ」と繰り返されるラジオ放送の内容は時に具体的に個人名とその住所をあげる。全編にわたって銃声が響き続ける。ホテルのマネージャーの話なので、その外での虐殺の全貌が描かれる箇所はあまりない。ある日突然、隣人が隣人を殺すという異常事態が描かれているわけでもない。非常に良い映画なのだけど、原作を読んだ身としては消化不良ではある。「アフリカではよくあること」って、どっかの芸能人が言ってたらしいけど、まあ、当時の日本人も含めた西側諸国の人達の気分っていうのは、そういうもので、たぶん今でもそうなんだろう。映画の中で虐殺の映像を撮った外国人ジャーナリストが、「その映像を見れば外国は援助してくれますね」と言う主人公に「彼らはテレビでこの映像を見て『恐いね…』と言って、ディナーを続けるんだ…」と言うシーンがあったのですが、ここで言う「彼ら」っていうのは、まさしく僕やあなたのことに他ならないのです。一体僕らは、どれだけ多くの人々を見捨てているのでしょう? 
映画は、反乱軍がやって来て、ホテルに逃げ込んだ人達も無事、国外に逃れるところで終りますが、その後の事態は前述の通り。虐殺当事者のフツ族民兵達は「難民」として、国際援助団体の保護を受け、その中で武装しゲリラ勢力と化し、虐殺はルワンダ外で続きます。政権を取ったRPFを中心とした軍隊に敗れるとフツ族難民はルワンダに帰ってきて、またツチ族と一緒に生活を始めるのです。この想像不可能な事態が、その後、どうなっているのか僕は知らないけれど、ある種のことは取り返しがつかない、憎しみを取り除くことなんて不可能なのではないのだろうか? ダメだ。はっきり言って、僕にはこのルワンダの大量虐殺は想像不可能だ。なぜそんなことが起きたのか、なぜ隣人を躊躇なく殺せるのか、さっぱりわからない! そんな時、主人公のホテル・マネージャーの姿を思い浮かべる。最初は自分の家族の無事しか考えてない彼が、こんな異常事態で理性を保つ根拠としたのは正義感でも何でもなく「職業倫理」だった。一流ホテルのマネージャーとして、どんな事態であってもホテルの品位を保つこと…どんな時にも普段通りに生きるということが、どれだけ難しいのか。それがどれだけ偉大なことなのか! きっとそれは、決して他人事ではないのだろう。






Last updated  Mar 29, 2006 08:30:25 PM
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Feb 22, 2006
カテゴリ:映画評
仕事帰りに、ラピュタ阿佐ヶ谷のレイトショーを観る。鈴木則文監督『不良姐御伝 猪の鹿お蝶』。
池怜子とクリスチナ・リンドバーグのポルノ女優東西対決…らしいよ。
雪の降る中、長ドスで何人もの敵と切り結ぶ(全裸で返り血を浴びながら)冒頭から、かっこよすぎる。かっこいいと言えば荒木一郎による音楽も最高だ。
殿山泰司や大泉晃がどうでもいい役で出ているのが、いかにも東映って感じ(笑)。クリスチナ・リンドバーグはお人形さんみたいだし、池怜子は粋だし、演出はお洒落だし、言うことありませんね。
最後、血みどろの戦いを終えて、長ドスを杖がわりにして、降りしきる雪景色の中をふらふらと歩く場面、突如、雪が花札に変わる。敷き詰められた花札とばらばらと降ってくる花札。なんて芸術的な画なんだろう…! 仕事場で眺めてたピカソよりミレーよりローランサンより、よっぽど感動的だ。
鈴木則文監督といえば『トラック野郎』(実は観たことありません…)なのでしょうが、ほとんどDVDどころかビデオにもなってないようなので、こまめに名画座のスケジュールをチェックしておかないといけませんね…。
ラピュタでは今度、『女番長』シリーズやるらしいですよ。

あ、『キルビル』の元ネタ感バリバリだったのはご愛嬌。






Last updated  Apr 18, 2012 11:58:14 PM
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Jan 16, 2006
カテゴリ:映画評
噂のスコセッシ監督によるボブ・ディランの3時間半にも及ぶドキュメンタリーを観てきました。
かの伝説の「ユダ事件」の夜をクライマックスに、60年代のディラン、そしてディランに影響を与えた人々を通じて、ディランの歴史のみならず、アメリカの歴史、アメリカのポップミュージック(ロック以前の)の歴史を明らかにするといった内容です。
驚きなのは、ディランが恐ろしく率直に語っていること。あの諧謔と韜晦の人が…。アル・クーパーやジョーン・バエズはもちろん、なんとスージー・ロトロさんまでもインタヴューに答えてるんだから、これは結構ディランにとっては、しんどいのかも。でもスージー・ロトロさんはいまだに『フリー・ホイーリン』当時の面影を残していて綺麗な人でした。一方のジョーン・バエズは別人のようでしたが…。
しかし、若き日のディランの触れれば切り裂かれそうな迫力といったらない。かっこいい。そして、彼を取り巻く人々も皆、魅力的だ。「自分を超える弟子を持たなければ、本当の師とは言えない」と言い、ビートニクの精神を受け継ぎ、それ以上の存在となったボブ・ディランを、もはや崇拝してるとしか思えない口調で語るアレン・ギンズバーグの姿が印象的でした。
映画は全編、66年のあの夜と過去との時間軸が交錯する形で語られる。フォークの裏切り者(ユダ)とされた66年のツアーでの、ファン達の「彼はインチキよ!」とか「ゴミだ」「胸がむかつく」「あんたは最低だわ」の声。マスコミの馬鹿ぶり(「追憶のハイウェイ61のジャケットに映るバイクのTシャツの意味は何ですか?」とか…)。コンサート会場での大ブーイングと野次の嵐、かつてこれほど敵意に満ちたライブというものがあったのだろうか? そしてそのツアーが、まだ20代の若者だったディランにとって、どれだけのストレスだったのだろう。もちろん、この直後、ディランはバイク事故でウッドストックの地下室に姿を晦ますことになるのですが…。
とにかくボブ・ディランの偉大さが、ひしひしと伝わってきます。そしてディランが音楽家であると同時に、ビートニク直系の文学者だったのだということも再認識できるでしょう。






Last updated  Apr 10, 2012 03:01:57 AM
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Dec 30, 2005
カテゴリ:映画評
『ブレイド3』が借りたくてレンタル・ビデオ屋に行ったのに全部貸し出し。仕方がないので適当に新作を手に取る。『リチャード・ニクソン暗殺を企てた男』。はっきり言って、別に期待はしていませんでした。
まず僕はショーン・ペンが嫌いなのです。次に、これは事実を基にした映画なのですが、その実際に起きた事実が、事件としてショボ過ぎる気がした。

ところが……ところがねぇー! これはすごいですよ。傑作ですよ。泣きますよ。はっきり言って2005年版『タクシー・ドライバー』ですよ! あなたが、嘘と金と偽善と厚顔無恥な権力者を心の奥底から憎む、どうしようもなく孤独で、社会生活をうまく営めなくて、やさぐれてて、情けない、人生の落伍者ならば、絶対に大感動します。嘘じゃありません。私が保証します。

妻と子供と別居中の冴えない中年男サム・ビッグは、兄の経営するタイヤ会社で働いていたけれどクビになって、事務用品店のセールスマンになる。すると店長は「ポジティヴ・シンキング」とかの胡散臭いビジネス本(犬には良い名前をつけろ、とか書いてある…)や、カーネギーの啓発テープ(自分を信じろ、と繰り返される…)とかをサムに渡す、「この本とテープがあれば、君も成功者さ!」。そしてテレビに映るニクソン大統領を指して「奴こそ最高のセールスマンだ。奴は国民に自分が最高の商品だと信じ込ませて二回も当選したんだぞ」と言う。作り笑いが引き攣るサム(ああ…可哀想!)。別居中の妻は、セクシーな服着てレストランで酔っ払い相手にセクハラされながらウェイトレスとして働いている。日曜日にサムが家族のもとに行くと、「来る前に電話するっていう約束でしょ?」と冷たい対応。写真を撮ろうとしても、子供達は嫌々な感じ。「ご飯よー」の声で、さっさと家の中に入っていってしまう。「じゃあ、また今度ね」と目の前で閉じられるドア。職場の店長と、その息子のいやがらせにうんざりさせられる日々。親友の黒人とバスを改造してタイヤの移動販売の事業を起こそうとして、銀行に融資を頼む。「返事は郵送されてきます」と言われて、来る日も来る日もポストを覗き込む。希望は夢に託すしかない! テレビでブラック・パンサー党のニュースを見て共感したサムは、さっそくブラック・パンサー党の事務所へ出向く。「白人でも君達の船に乗る奴はいる。だから党名をゼブラ(しまうま)にしよう」と言って、大金をカンパする。別居中の妻がキャデラックに乗った男とよろしくやってるのを発見。そして離婚届と事業の融資の断りの手紙が届く。絶望。テレビでは、ウォーターゲート事件の報道。「いったい、こいつらは何様のつもりなんだ?」「奴らが俺達に何をしてるのか分からないのか?」「いまも奴隷制が存在する。現代の奴隷とは、従業員と呼ばれてるんだ!」。ぶっ殺してやる! サムは拳銃を盗み、ガソリンで爆弾を作り、鏡の前でハイジャックの予行演習(!)をする。そして敬愛するレナード・バーンスタインに犯行声明のテープを録音する。「親愛なるレナード・バーンスタイン様。私はアメリカという砂漠の砂粒の一つのような存在です。しかしもし私に運があれば、砂粒でも奴らを破滅させることが出来ると思い知らせてやれるでしょう。どうか、ありのままの私を世間に伝えてください…」。サムは旅客機をハイジャックしてホワイト・ハウスに突っ込もうと、空港に向った! 

アイ・アム・サム(ビッグ)。あなただってそうだ。そうでしょ? お願いだから自己嫌悪に陥らないで、奴らに一矢報いてください。甘い汁吸うことしか考えていない、薄汚い偽善者どもを憎んでください。革命はまだ起きないでしょう。だから前段階武装蜂起。つまりそれはテロなのです。僕はそれを決して否定しないから、だから奴らをぶっ殺そう! こんな世の中間違ってるんだー!






Last updated  Dec 31, 2005 01:23:46 AM
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Dec 18, 2005
カテゴリ:映画評
昨日はバイト先の人達と忘年会。ほとんど知らない人達ばかりで、気を遣って疲れた。でも飲み過ぎたので、午後に起きだすと、異様な底冷え。部屋がまるで冷蔵庫の中みたいに寒い。我が四畳半の唯一の暖房器具である小さなハロゲン・ヒーターなんかでは、太刀打ちできません。なので取り敢えず電気ストーブを買いに街へ出かける。すさまじい風が吹いていて、ストーブ買ったら、即、部屋へ帰り、箱から取り出し、点火! ああー、あったかい。元気が出てきたので、性懲りもなく映画を観に行こうと考える。さて……『キング・コング』か、あるいは『東京ゾンビ』か、はたまた『七人のマッハ!』か、いやいや『ブレイキング・ニュース』か、さてはて『男たちの大和』か………悩んだ末、ラピュタ阿佐ヶ谷で(遠出したくなかったので…という消極的な理由から…)、『憲兵とバラバラ死美人』を観る。
最近、DVD化されたらしい新東宝の素敵なタイトルの映画。おじいちゃん、おばあちゃんがいっぱい観に来てたのが微笑ましい。だって、あなた、「憲兵とバラバラ死美人」ですよ(笑)。きっと、おじいちゃん、おばあちゃんにとっては青春の1ページなんでしょうね。それって何だかすごく良いよね。
でもなあ……僕は騙されましたよ。このタイトルに。

僕の予想……憲兵が悪逆非道の限りを尽くして、罪もない女性をバラバラに切り刻む、残虐映画。

実際の内容……バラバラ殺人事件を心優しい憲兵さんが誠実な捜査のはて目出度く解決。

普通のサスペンスじゃん……。なんか拍子抜けして家路を辿る。あんま面白くなかったなぁ…。しかし、いつのまにか辺りは暗くなり、寒さはさらに骨身に沁みる…。

夜が更ける……。






Last updated  Dec 20, 2005 10:50:55 PM
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Dec 12, 2005
カテゴリ:映画評
普段は別に考えることもないけれど、企業というのは「法人」なので、「人間」として社会の中ではカウントされている。つまり企業には「人権」というのが認められているのですね。はっきり言ってナンセンスとしか思えませんが…。
仕事が早目に終ったので映画を観に行きました。『ザ・コーポレーション』。まあ、反グローバリズムというか、多国籍企業の弊害に関するドキュメンタリーです。まあ、目新しい視点があるわけではないのですが、一応、やっぱり気にはなりますよね…? 
さて、企業が「法人」なのだとしたら、そいつは「人格障害」のサイコパスだ、ってことで、いろいろ実証的な例が並べ立てられていきます(笑)。もともと、「法人」という滅茶苦茶な論法がまかり通ったのは何故なのかというと、アメリカで黒人が開放された時、「人間の自由はおかすべからず」と法律で決められたどさくさに「企業も人間ですから自由を認めろ」と訴えたのが始りのようです。ひどいね。
この映画ではマイケル・ムーアとかノーム・チョムスキーとかナオミ・クラインとか、そっち系の有名人とか、話にはチラッと聞いていて気になっていたインターフェイス社のCEOレイ・アンダーソン(商業用カーペットで世界一のシェアを誇るインターフェイス社のCEOでありながら、エコロジー活動に勤しむ、環境問題の最重要人物)とか、僕が軽蔑してやまないミルトン・フリードマン(かの悪名高きマネタリズムの提唱者である経済学者。ノーベル賞受賞してる)とかが出てくる。
取り上げられる問題は、ボリビアの水道民営化を阻止した民衆蜂起(この事件はすごいです…)、ホンジュラスの労働工場での搾取、インターフェイス社での環境問題への取り組み、ロイヤル・ダッチ・シェルの公害問題、モンサント社の遺伝子組換えの悪影響と情報統制、GAPやナイキの非人道的な工場の実態。
資本主義の世界で企業が金儲けだけを考えて何が悪い? なんて意見も、まあ尤もだという気はするけど、企業も「人間」だというなら、自由を主張するのと同じくらい、法にも縛られなくてはいけないじゃないか、ってことだと思う。そりゃそうだ、人間なんだから、犯罪を犯したら裁かれなければならない。これはすごく単純で簡単な結論だね。
ただこの映画ではIMFやら世界銀行やらWTOだとかの貿易協定だとかにたいする切口が希薄でちょっと不満。それとリベラル側からの意見だけ見ててもダメな気がする。映画の中でも誰かが言ってたけど、工場が発展途上国に誘致されれば、そこにいる下層階級の人達は低賃金でも働きたいって思う。他に仕事なんてないんだろうし、工場が海外に出来ること自体は悪いことではない。それを即、文化の収奪とか決めつけるのは早計だ。問題はそこで何が行われているのか、法に則って検証すること。
あとやっぱり、そういう企業に、自分が消費者として荷担してるって事実を無視してはいけない。そして更に重要なのは、だからといって絶望ばかりしてるのは、一番たちの悪い思考停止だということ。希望だけは捨ててはいけないのです。






Last updated  Apr 10, 2012 01:03:09 PM
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Dec 6, 2005
カテゴリ:映画評
うーん…仲代達矢かっこいいなあ。あの朴訥とした喋り方が好き。
久しぶりに図書館に行ってビデオを借りてきた。『切腹』。すごい傑作なり。
関ヶ原の合戦によって戦国時代が終り、各地の大名もお家取り潰しをくらって、武士達は職を失い、食い詰め浪人と化して陋巷に貧していた。「夢も希望もないので武士らしく切腹したいので、庭先を貸してくれ」と浪人達は栄華を極める武家屋敷に詰め掛ける。武家屋敷は困っていくばくかの金をやって浪人達を追い払う。浪人達は始めから切腹する気などなく、ただ単に金をたかりにやってきているのだ。そんな事件が流行っているなか、「赤備え」の伊井家のもとに、「切腹させてくれ」と津雲半四郎(仲代達矢!)という浪人がやって来る。この伊井家にはつい春先にも同じように浪人がやって来ていたのだが、「武士の風上にもおけない強請りたかりに屈することはできない」という理屈で、本当にその浪人を切腹させてしまっていた。その時の模様を半四郎に語って聞かせて追い返そうとするが、半四郎は引き下がらない。「これは見上げたもんだ」と早速、切腹の用意は進むが、半四郎は「伊井家にその人あり」と知られた剣術の達人に介錯を頼もうとする。しかし、その達人はたまたま病気で出仕していない。仕方ない、と次々に介錯役を頼みたい人物を挙げていくのだが、彼が名指しで指名する人物はみんな病気で臥せっていると聞かされる。これは裏に何かある! 伊井家の家老は疑惑の念にかられ、その場は緊迫する。そして半四郎が静かに語り出すのだった……。

びっくりするくらい脚本と役者が素晴らしい。時代劇ではなく、サスペンスです。最後は泥臭いチャンバラで派手に終わるところも泣けてきます。面白いよ!






Last updated  Dec 6, 2005 10:58:15 PM
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