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2017.11.05
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カテゴリ:死後の世界

私も自殺願望がありました その2

 

「死後の世界を知ると今の生き方が分かる」



死後の世界は存在した。その証明!


これから書くことは私自身の話です。

 40歳の時、糖尿病と診断を受けて週3~4回10Km位のジョギング、同じく週3~4回の筋トレをして過ごしていました。45歳の11月の夜、いつもの様にジョギングをしていると左手に違和感を感じました。左手首が動きにくいのです。
 

翌日、近所の病院で頚部のレントゲンを撮って見てもらうと頸椎のヘルニアと診断を受けました。医師によるとしばらく安静にすれば良くなるとの事で、1か月ほど休業することにしました。

 当時私は自宅で整体の仕事を自営しておりました。半年ほど前までは自宅だけの収入だけでは食べて行けず、夜は温泉でマッサージのアルバイトをしておりました。しかし、やっと自宅での収入が上がり、自宅内の部屋でやっていた治療院を庭のプレハブに移しようやく軌道に乗ったばかりの時の出来事でした。

 医師に言われるように休業して、トレーニングもやめて過ごしました。しかし、容体は悪くなる一方です。左手のみならず左上肢、左下肢にまで症状が出てきてしまいました。

 年が明けても一向に良くなる気配も感じられずに、少し離れた大きな総合病院で診てもらうことにしました。3か月かけて頚部、胸部、腰部のMRIを撮り言われた結果が「脊髄狭窄症」・・・脊柱管という脊髄の通り道が細いのでいろいろな所で脊髄を刺激してしまうためにいろいろな部位に症状が出ている・・・と、言うような診断を受けました。しかし、医師は「しばらく安静にしていればこの位ならば回復していくはずです」・・・との事。

 5月になり6月になり、一向に良くなる気配もなく右側の方にも症状が出てくるようになりました。歩く事は出来るのですが足を一歩前に出すのも一苦労でした。

 そんな時、インターネットで脊柱管狭窄症は手術で高い確率で治すことが出来ると言う事を知りA市のT大学病院がその手術が得意だと知りました。そしてたまたま私の整体院に来てくれていた方がその病院の事務長をされている方だった事を思い出し、お願いして検査入院させていただきました。当時は「切ってでも治りたい!」そんな思いでした。

 8月、1か月間入院していろいろな検査を受けました。結果「全く手術をする程のものではありません」と言われ「あなたは整体の勉強をされていて一般の方よりこの病気についてお詳しいので。あなたの頭の中で病気を大きくしています。整形外科ではなく心療内科に紹介状を書きますのでそちらで治療してください」と言われてしまいました。

どうにも腑に落ちなかったのですが心療内科の医師にいろいろな薬を処方していただいて3か月ほど経ちましたが全く症状は変わりません。発症して1年近くたちました。気持ちは焦る一方です。

心療内科を受診しながら色々な科を受診してみることにしました。もし今の自分の症状の原因が分かれば治療法もわかると思ったからです。どんな科でどんな病気を見ているのだか全く分からなかったのですが、とりあえずネットで調べてY市にあるS大学付属病院の脳神経外科の部長さんが受診している日を選び見て頂く事にしました。

問診の後、その先生は私の左の袖をめくり私の左前腕を軽く叩いて観察されて言いました。「これは神経内科の病気だね」・・・えっ!!!原因が分かるの!!!・・・じゃあ!治療法もわかるはず!!!!私の胸は躍りました。

その後、神経内科に通され検査入院が決まりました。1年近く悩まされてきたこの症状の治療が出来ると、ワクワクしながら帰宅して入院の支度をしました。

入院1日目、「筋電図」を取る検査をしました。2日目、「神経伝播速度」と言う検査をしました。その後、「今夜検査の結果をお知らせしたいのでご家族の方も立ち会って欲しい」と言われたのですが、妻の実父が亡くなり里帰りをしているので、私一人で聞く事にしました。

医師は「今の症状が脊柱管狭窄症からでなければ筋萎縮性側索硬化症(ALS)ですね」と、言われました。・・・その時初めて聞いた病名に私はちょっと戸惑いましたが。医師は続けて説明しました。「筋萎縮性側索硬化症とは原因不明の難病で全身の筋肉が萎縮して最後は呼吸するための筋肉も無くなってしまうために人工呼吸器を付けなくてはならなくなる病気で、進行が早くて4~5年で全身の筋肉がなくなります。眼を動かすためだけの筋肉が残るのでアイコンタクトで意思の疎通は出来ます・・・・・・・・」

そのくらいまで聞いて、目の前が真っ暗になり、目から涙が溢れてきました。頭に浮かんだのは7歳の娘と3歳の息子の事・・・・何で!!!何で!!!

病名が分かれば治療法が分かると思っていたら、治療法の無い難病中の難病だっただなんて・・・。子どもたちの事、家族の事を思うと。悔しくて悲しくて一晩中泣きました。

体中の筋肉が少しずつ落ちてきて手足の自由が利かなくなり、舌の筋肉が無くなり会話が出来なくなり、呼吸器の筋肉が無くなって行く事で息苦しくなり、人工呼吸器を付けるかあるいは、付けないで苦しみながら死んでいくのか・・・。呼吸器は1度付けると外すことが出来ないとか・・・。

現状を思うと、今すぐにでもいなくなりたい。死んでしまいたい。でも、自殺したら家族はどう思うのだろう・・・。

「あ~~今隕石か何かが自分に落ちてこないかなぁ~」「あ~今すぐ死んでしまいたい~」いつもそんな事ばかりを考えていました。

妻には医者から言われた事をすぐに伝えたのですが、両親にはなかなか言い出せずにいました。

父は56年前に大腸癌の手術をして認知症が進んでいて、その面倒を見ている母にもあまり心配をかけたくなかったからです。

しかし、いつまでも黙っているわけにもいられないので、2月の頃、母に打ち明けました。すると母は意外なことを言いました。

「死んでからの方が長いのだからね」

「死んでからの方が長い」・・・今まで、あまり真剣に死後の事を考えた事がなかった私は「はっ」としました。死んでも全てが無くなるのでは無い事が実感できたからです。そして母は言いました。

「荻窪の先生に診てもらおう」

3月、母と一緒に荻窪の霊能者の方に診てもらうことにしました。部屋に通されて先生は私を見つめて言われました。

「多くの霊に守られています。あなたはそのような難病ではありません。きっと良くなる時が来ます」

そして、遠隔療法を勧めて下さいました。「遠隔療法」とは5枚ほどのお札に氏名、性別、年齢、住所、病名、症状などを書き込み、それをこの協会の霊能者の方に送り、その方たちが私に向かって霊力を送ってくれるという治療法です。

その後、ひと月、ふた月がたち、少しずつ症状が良くなって行く事が実感できました。7月には全く症状が無くなりました。遠隔両方のお陰だと私は信じております。そして、遠くから霊力を送っていただいた霊能者の方に深く感謝しております。

その後、私は死後の世界にとても興味を持ちました。そしていろいろと調べてみました。特に共感したのが伊勢白山道著「森羅万象」です。他にもいろいろ霊能者の方の文章を読ませていただき自分なりに「生きる意味」について答えを出すことが出来ました。「なぜ生きるのか」それは「魂(内在神)を成長させるため」と言う事です。

この世では、嬉しくも悲しくも、必ず絶対に時は過ぎていきます。生まれれば必ず死にます。その生から死の間にどれだけ魂を磨くことが出来るか・・・人生の目標なのだと思います。






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最終更新日  2017.11.05 14:25:07
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