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❖ 北條不可思 "Song & BowzuMan”『歌うお坊さん』ブログⅡ・愚螺牛雑記 ❖

❖ 北條不可思 "Song & BowzuMan”『歌うお坊さん』ブログⅡ・愚螺牛雑記 ❖

2006/02/15
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 MASSEGE THEME

縁絆ENBAN・メッセージテーマ)

『尊厳ある命の証を信じ、不可思議なる縁を眞の絆に』

~命の尊厳とは、人間の尊厳といった限定されたものではない~

 

【縁絆コンサートエンドレスツアー】

 
ENBAN Concert EndlessTour《since 1996》

FUKASHI HOJO MESSAGE PERFORMANCE

『縁絆』(ENBAN)とは



1999年縁絆コンサ-トエンドレスツア-

ニュ-ヨ-ク初公演開催に際してのメッセ-ジ



北條不可思は、[Song&BowzuMan=歌うお坊さん]として音楽・美術展などを通じメッセージ活動を続けています。この活動の根幹にある願いは、《縁絆》「尊厳ある命の証を信じ、不可思議なる縁(えにし)を眞(まこと)の絆に」という言葉に凝縮されています。



人と人とが出遇う不思議、そして、そこから生まれてくる心と心が結ばれていく営み。

それは、人として当たり前のことと思われがちではありますが、私たちが暮らしている現実の社会には、人と人とが結ばれていく前に、国境や信教といった隔たりが空気のように満ち溢れています。その空気は、敢えて隔たりを超えていきたいと願う精神を、夢追い人と嘲笑する方が理性的かつ知的だと思いがちな風潮を正論にしているのかもしれません。



「なぜここに生まれ、ここに生き、この出遇いがあるのか?」と考えることは可笑しいでしょうか。めぐる命の出遇いと別れに素朴に驚き、恵まれた縁を眞の絆へと深めていく営みに自らの信念を傾けて生きていきたい人間もいるのです。

常識や通念に揺るがない自分であろうか? その自問自答を繰り返しながら己の在り方を見つめ続け、「尊厳ある命の証を信じ、不可思議なる縁を眞の絆に」というメッセージは、生まれました。

そして、この願いを託したたったひとつの言葉が、『縁絆』です。



分かり合いたいと願い、分かり合えないと嘆く。

そんな観念的な人間関係から離脱して、自らを見つめるように、全ての縁ある人を見つめて生きていきたい。

敬いと慈愛の心をもって、和(やわらぎ)の精神を育んで生きていきたい。

音楽活動をライフワークとする北條不可思にとって、『縁絆』(ENBAN)コンサートは、そこに関わり集うスタッフやオーディエンスとともに願いを具現化していくステージです。



このたびは、かねてより念願であった海外での縁絆コンサートをニューヨークで開催するにあたり、開催実現に向けてご尽力いただく皆さまに心よりお礼申しあげます。



-心に慈慧の響きと平安を-

        

Song&BowzuMan FUKASHI HOJO
OfficeAmitaHouse/PRESIDENT:SATOE HOJO

これまでに開催してきた縁絆コンサートの会場

相模原(hometown)・グリーンホール相模大野 

東京・築地本願寺(講堂)

大阪・道頓堀トリイホール他

広島・原爆資料館メモリアルホール

京都・龍谷大学大宮学舎本館講堂(国・重要文化財)

長野・白馬シャガール美術館

国立療養所長島愛生園(特別公演)

ニューヨーク・ニューヨークブッディストチャーチ

 

『縁絆コンサート』は、日本国内外のさまざまな人々から、様々な形の支援と協賛を得て、そのスタートから一貫して入場無料のスタイルで開催が継続されている。
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三國連太郎氏1994

現代和讃を謡う吟遊詩人へ/メッセ-ジ フロム 三國 連太郎1994


北條さんの声と歌に、言葉よりも音楽の方が
心に浸透する力が大きいことを実感させられてしまった。


これは、現代の和讃ではないか。
つまり、今の言葉で、今の音楽で綴られた仏教讃歌だと感じたのだ。
新しい文化の誕生と言ってもいい。


ところで、文化というと古めかしいものと思われがちだが、
現在の古典が誕生した時には、すこぶる新鮮で
センセ-ショナルなものだったのではないか。
それがいつの間にか形骸化して、
真意が全然伝わってこないと感じてしまう。
とするなら、北條さんの歌、否、存在そのものが、
いまだかつてなかった稀有なものではなかろうか。
きっと<北條不可思>は、常に待たれていた存在だった。
だが、待っている側が待っている対象を明確に出来ないから、
結局自ら名乗りを挙げるしかなかったわけだ。


俳優の僕は、演じる役を鏡に人間の、
しいては自分の愚かさや可愛さを見つめることを楽しんでいる。
己に忠実であるために降板するのはそのためだ。
北條さんは、そこを徹底したノンフィクションでやりこなす強靭な人でもある。
だから、伝統教団に中にあって、迎合せず異端にならず
自分の言葉で語るなんていう困難極まりないことができるのだ。


だいたいどんな組織でも、体制の中でラクに生きることばかり考えているのだろうから。
北條さんの存在は、言葉が言葉として魂を持っていることの、
命の通う言葉の存在の証のように思えてならない。
私の大好きな渡辺えり子さん(作家、女優)は、
40を過ぎても6歳のごとき濾布を持っている。
まるで、生まれっぱなしの純粋さで社会の出来事を濾過させているようだ。
北條さんにも、今の濾布を持ち続けてほしい。
そうやっていかれたら素敵な宗教者になられるという期待がある。
まずは、吟遊詩人のように弾き語り、声をからして頂くのが一番ではなかろうか。



このメッセ-ジは1994年6月CD「TEARS OF CLOWN・道化師の涙」
(日本クラウン/パナムレ-ベル)メジャーリリース
(絶版につき現在入手不可)に際し、ライナーノーツとして
俳優三國連太郎氏に寄稿して頂きました文章です。
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【現在】

浄土真宗本願寺派の無位無官・在野の僧侶としての活動を基とし、"Song & BowzuMan=歌うお坊さん"として、『縁』と『絆』****『命の尊厳』と『心の平安』をキーワードに国内外で、国境・人種・文化・信教・・・をも越えたメッセージパフォーマンス(コンサート、音楽講演)と作品制作(CD・BOOK・etc)を中心に独自の音楽表現活動を展開し、 分限・分際の自覚から、商業音楽・芸能・出版業界,政治・社会運動等とは一定の距離を保ち、その活動を続けている。

~私は、浄土真宗本願寺派の僧侶であり、ソング・アンド・ボウズマン(歌うお坊さん)として独自の音楽活動をしている。俗に「二足のわらじ」というが、自分自身では使い分けている意識はなく、ベースは同じ表現者であると思っている。
日本経済新聞/署名原稿2004年(平成16年)5月10日(文化欄)~

~僧侶と音楽家。「『二足のわらじ』という人もいるが、私は呼吸と思っている。息を吸っているときは仏教の心を吸収し、息を吐くときは歌となって出ていく」

 音楽で表現するもの。仏教で表現するもの。それはいずれも「和の精神」であり、「命の尊厳」だ。
(文 田中夕介)産経新聞/2004年(平成16年)6月10日(全国版)~
『縁絆コンサート』は、日本国内外のさまざまな人々から、その立場を越えて、様々な形の支援と協賛を得て、スタートから一貫して入場無料のスタイルで開催が継続されている。

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北條不可思略歴プロファイル

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PRESS/掲載新聞


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Last updated  2019/11/19 04:29:30 PM



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