撮影 ジョアオ ゴメス氏(フランス)
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名も無き念仏の僧侶.doc
北條不可思に深大なる影響を与えた
実父であり、善き師でもあった北條了介が、
2005年8月12日に
阿弥陀如来の大悲に抱かれて
浄土往生の素懐を遂げました。
名も無き念仏の僧侶ではありますが、
追悼の意味を込めて
略歴と2遍の詩を掲載させていただきます。
撮影末本 弘然氏/本願寺新報特集記事(昭和54年)
北條了介の歩いてきた道
院号法名 梵龕院釋了介
【ぼんがんいんしゃくりょうかい】
《昭和7年3月12日》
広島県双三郡君田 浄土真宗本願寺派教念寺3男として誕生。
9歳の年に、4人兄弟の末弟が脳膜炎で死去し、
これを機縁にお聖教を手にする。
寝ても醒めても授業中の教室でも
開き続けたお聖教。僧侶としての生涯を願いと定める。
高校卒業後
東洋大学文学部哲学科に学び
弁論部で活躍
アルバイトで仏教タイムス紙の記者として
大部屋時代の俳優・笠 智衆氏を取材する・・・
修学時代を送っていたが、了介の父が病を得て、諸事情により
東洋大学を中途退学
その後、開院間もない東京仏教学院(2期卒業)に学び、
本願寺派住職継職資格である教師取得
帰郷後、23歳で教念寺第17代住職を継職。
同時に本願寺派布教使として全国各地に出講の法縁を頂く。
《昭和33年》
熊本県玉名郡長洲・信定寺長女・暢子と、島根の山奥のバスの中で出会い結婚。3年後、故あって夫婦ふたりだけの出奔。引き止める両親はすでにこの世になく・・・出寺。
《昭和36年》
広島県呉市天応宮町・単立寺院『連向寺』
入寺の縁となす。(同年長男不可思誕生)
(北條暢子/蓮向寺・前坊守)
浄土真宗本願寺派・中央仏教学院(京都)
昭和29年度卒業
《昭和38年》
寺号を『蓮向寺』と改名。
《昭和41年》
次男大慈誕生。
北條大慈(ほうじょう だいじ)
(蓮向寺・副住職、教会主管兼任/東京仏教学院35期卒業)
《昭和43年10月14日》
『蓮向寺』
本願寺派へ帰属、初代住職就任。
・・・やがて嵐が吹きすさび、
《昭和49年》
全門徒、有縁関係者から絶縁の宣告が届く
(当時の門信徒数150家余)
"人格欠陥者"と烙印を押され、
了介本人はもとより、家族は
村八分どころではなく、
残りの二分すら殺がれる日々を送ることになる。
北條不可思、この年に音楽と出遭い、詩曲を書き始める。
Song&BouzuManの原点はここにある。
2007年現在の蓮向寺本堂/広島県呉市天応宮町
2007年3月以前の蓮向寺庫裡
2007年4月本堂庫裡 撤去
《昭和53年10月》
本願寺派第1期
東京首都圏都市開教専従員として
相模原市着任。
西本願寺相模原布教所・開所。
本願寺派伝道布教活動の波頭に立つ。
「ご門主さまが、ご発意なされた
伝道布教の道によって
私は生かされた」と終生語る。 開教時代に結んだご法縁の述べ軒数は、2000軒を越える。
( 東京首都圏都市開教対策本部)
眞信山蓮向寺(AmitaHouseBuddhistChurch)/当麻九坊院
長男次男の結婚と布教所の蓮向寺教会申請承認
(浄土真宗本願寺派東京教区・神奈川組編入)を見届け、
孫の慈音に「障害を超えて念佛に生きよ」と伝え、73年の生涯を閉じる。
如来とともに家族とともに、一息是一生と念佛の道を歩き抜く。
「シンドイ・・・ご縁です
他力回向 南無阿弥陀佛(ナマンダブ)」
平成17年8月5日入院先、
国立相模原病院にて最後の言葉。
2005年8月12日往生
布教使時代のお聖教(30代)
晩年に開いていたお聖教(70代)
孫の慈音と法要前の仏具のおみがき
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死してなほ
慈悲ものがたる
念仏の父
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親父に贈る詩
1980年「眞信讃歌」収録
(2005年8月12日をもって本作封印)
詩/曲 北條 不可思
弥陀の教えを伝えて数十年
馬鹿にされる父を見た
「お前は本物の馬鹿野郎」
言われたままに手を合わす
父は親様(阿弥陀如来)に護られて
死ぬまで伝えてゆくだろう
流れて箱根を越えた時
本当は寂びしかったのか
住み慣れた街を離れても
離れたままに手を合わす
父は親様(阿弥陀如来)に護られて
死ぬまで伝えてゆくだろう
ボロを着ては街なかを
自転車乗ってチラシ持って
凍えるような顔をして
凍えた声で「ようこそ」と
父は親様(阿弥陀如来)に護られて
死ぬまで伝えてゆくだろう
今では心も落ち着いて
都会の冷たさ身に感じ
命の限りに声にして
弥陀の本願(ねがい)を伝えます
父は親様(阿弥陀如来)に護られて
死ぬまで伝えてゆくだろう
夢追い人とののしられ 馬鹿にされようとも
君は独りじゃない 君は独りじゃない
大いなるお方(南無阿弥陀佛)とふたり連れ
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心に刻まれし物語
2005年未発表
「Vow Songs/眞信讃歌2」収録予定
詩/曲 北條 不可思
瞳を閉じれよ 何が見えて聞こえる
心を開けよ 何が見えて聞こえる
生きている時に 手にしたものは
いつの日にか別れを 告げるものなの
心に深く 刻まれし物語
屍の姿にも 永久(とわ)に生きる
心に深く 刻まれし物語
罪深き者にも 永久(とわ)に生きる
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【愚生には、敬慕する先師、法兄は国の内外に幾人かおられるが、型破りの迫力と異様なまでの静けさを感じさせてくれる僧侶として心に刻まれているのは、我が父である。
それはあたかも、汚泥の中にありながら、けして錆びることのない刃のような緊張感と不思議な暖かさを醸していた。
60歳で住職を退任して以降人生の一息を終えるまで、その刃を抜く素振りすら見せることはなく、孫の慈音に自室の四畳庵や本堂で仏典やウルトラマンの絵本を子守歌を歌うように読み聞かせて、73年の念仏の日暮を見事に終えている。 また、血を分けた父と子のご縁でありながら、常に敬意をもって息子である愚生と関わってくれたことは、感謝を超えて驚愕している。】 北條不可思
孫の慈音と本堂にて/2004年夏
北條不可思略歴プロファイル
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