2007/04/15(日)02:38
" ・・・竹の子は・・・行進曲・・・ ” /Verse by FUKASHI HOJO
" ・・・竹の子は・・・行進曲・・・ "April 12, 2007Verse by FUKASHI HOJOCopyright (c) 1997-2007 office amitahouseContact Us amitahouse@jcom.home.ne.jpFUKASHIHOJO.COM
北條不可思略歴プロファイルfukashi hojo photos FUKASHI HOJO 2007愚螺牛雑記 眞信山蓮向寺名も無き念仏の僧侶PRESS/掲載新聞 北條不可思 another side* AGAINFUKASHI HOJO&CANO BAND(北條不可思と彼乃楽団)縁絆通信 from kiho,s official
Bob Dylan collection of personal phrasesボブ・ディラン語録Sound of word of self-insight《自己洞察の言葉の響き》 千の風
ENBAN Concert EndlessTour 2007 *北條不可思 縁絆コンサ-トエンドレスツア-2007*《since 1996》
2007年の縁絆コンサート・エンドレス・ツアーは・・・・・・
2007年は長野特別公演 9月30日【日曜日】安曇野スイス村サンモリッツホールhttp://www.dia.janis.or.jp/~swiss-v/会場・17時30分開演・18時入場無料特別客演・俳優 金田賢一
※東京、大阪、広島、京都、ニューヨークの公演予定はありません。「縁絆コンサート・長野特別公演開催に寄せて」不可思議な縁で出遭えた、宮越由貴奈さんという少女がいます。愚生の詩歌を愛してくれていました。しかし、由貴奈さんは神経芽細胞腫という大病に罹りながらも、-命-と向き合い、儚くも11歳で人生を終えることになります。亡くなる数ヶ月前に、由貴奈さんは一編の詩を書き残しています。タイトルは『命』。その後、詩に込められたメッセージは多くの人々の心に響いています。愚生は、1997年(平成9年)9月24日長野県立こども病院で由貴奈さんのリクエストに応えるべくコンサートを開催。ほどなくして10月6日の消印で手紙が届きました。また会えることを楽しみにしていましたが、翌年6月に逝去の報が届きました。この年の秋に東京・築地本願寺での縁絆コンサートで、頂いた手紙を紹介し、愚生の作品で由貴奈さんが好きだった「航海の果てに」という曲を追悼で歌いました。 今まで、このご縁に関しては、公の場で語ってきませんでした。『縁』と『絆』、『命の尊厳』と『心の平安』を音楽でメッセージする『歌うお坊さん』のまったくプライベートな物語だったからです。由貴奈さんと、お友達の前で歌って10年が経ち2007年1月、ようやく、「少女へ~命の詩~」という詩歌が生まれました。これからは、愚生なりに由貴奈さんの願いを胸に語り歌えます。ささやかではありますが、ご両親をはじめ、ご縁のあった方々へお伝えできればと思い「縁絆コンサート・長野特別公演」の開催を思い立つに至りました。現在、会場・日程などは、まだ未定ですが、開催の際には、是非お出かけください。北條不可思 拝 「宮越由貴奈さんからの手紙」 「航海の果てに」軽井澤・万平ホテル1999 Copyright (c) 1997-2007 office amitahouse 現代和讃を謡う吟遊詩人へ
メッセ-ジ フロム 三國 連太郎 1994
北條さんの声と歌に、言葉よりも音楽の方が心に浸透する力が大きいことを実感させられてしまった。
これは、現代の和讃ではないか。
つまり、今の言葉で、今の音楽で綴られた仏教讃歌だと感じたのだ。
新しい文化の誕生と言ってもいい。
ところで、文化というと古めかしいものと思われがちだが、現在の古典が誕生した時には、すこぶる新鮮でセンセ-ショナルなものだったのではないか。
それがいつの間にか形骸化して、真意が全然伝わってこないと感じてしまう。
とするなら、北條さんの歌、否、存在そのものが、
いまだかつてなかった稀有なものではなかろうか。
きっと<北條不可思>は、常に待たれていた存在だった。
だが、待っている側が待っている対象を明確に出来ないから、結局自ら名乗りを挙げるしかなかったわけだ。
俳優の僕は、演じる役を鏡に人間の、
しいては自分の愚かさや可愛さを見つめることを楽しんでいる。己に忠実であるために降板するのはそのためだ。
北條さんは、そこを徹底したノンフィクションでやりこなす強靭な人でもある。
だから、伝統教団の中にあって、迎合せず異端にならず自分の言葉で語るなんていう困難極まりないことができるのだ。
だいたいどんな組織でも、体制の中でラクに生きることばかり考えているのだろうから。
北條さんの存在は、言葉が言葉として魂を持っていることの、命の通う言葉の存在の証のように思えてならない。
私の大好きな渡辺えり子さん(作家、女優)は、
40を過ぎても6歳のごとき濾布を持っている。
まるで、生まれっぱなしの純粋さで社会の出来事を濾過させているようだ。
北條さんにも、今の濾布を持ち続けてほしい。
そうやっていかれたら素敵な宗教者になられるという期待がある。
まずは、吟遊詩人のように弾き語り、声をからして頂くのが一番ではなかろうか。
三國 連太郎
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::メッセ-ジ フロム 新井 満 1994
小説を書く医師や教師がいる。絵を描く主婦もいれば、陶芸をする映画監督もいる。同時に様々な形で自己表現をしようとする芸術衝動を、決しておさえこんではいけない。なんとなれば自己表現とは生きることに外ならないからである。
僧侶・北條不可思の歌を聴いた。
人生の謎と美と真実に一歩でも近づこうとして疾走する、一人の男の歌を聴いた。
新井 満
-----------------------------------------------------------------------------
このメッセ-ジは1994年6月CD「TEARS OF CLOWN・道化師の涙」
(日本クラウン/パナムレ-ベル)メジャーリリース
(絶版につき現在入手不可)に際し、ライナーノーツとして
俳優・三國連太郎氏、作家・新井 満氏に寄稿して頂きました文章です。
*copyrigft2005
FukashiHojo+OfficeAmitaHouse* 北條不可思・Song&BowzuMan* Watch&Thinking *