
Today’s metaphor
"・・・境界線は・・・交流戦・・・"
June 2, 2007
Verse by FUKASHI HOJO
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縁絆コンサート エンドレスツアー2008
ENBAN Concert EndlessTour2008
NEW YEAR SPECIAL
ニューイヤースペシャル開催決定
日程/2008年1月5日土曜日
会場/グリーンホール相模大野
【PERFORMER】
FUKASHI HOJO(北條不可思)Vocal ,Guitar, Harmonica
《CANO BAND》
BASS-YOICHI FUJISAKI(藤崎羊一)
Drums-SHOICHIRO ASO (麻生祥一郎)
Keyboard-YUSUKE NAKAGAWA(中川雄介)
《FRIENDSHIP GUESTING》
Actor/KENICHI KANEDA (俳優・金田賢一)
Shakuhachi/KIZAN DAIYOSHI(尺八奏者・大由鬼山)
Guitar/KEITARO IKUTARO(ギター・生田敬太郎)
Guitar/SHOUJI KAJITANI(ギター・梶谷正治)
FUKASHIHOJO.COM
北條不可思略歴プロファイル
Official Store/(CD作品)
fukashi hojo photos 眞信山蓮向寺 名も無き念仏の僧侶 PRESS/掲載新聞 
FUKASHI HOJO&CANO BAND
縁絆通信 from kiho,s official
Sound of word of self-insight《自己洞察の響き》 
[野聖物語] 野の聖-親鸞聖人-
詩集 "愚螺牛" 

*現在、 新作『Beyond the LINE/境界線の向こう側』をAmitaHouseMain temple studioにて制作中。
ARTIST VERSIONのオリジナルCDアルバムとしては、『Seriousness & Dignity/真剣と尊厳』[2001]発表から6年を経て、新作のレコーディング。
レコーディングリストには、ホロコーストを主題にした「Beyond The LINE/境界線の向こう側」、2001年9.11を歌った「悲しみを乗り越えて」(2002年縁絆コンサート・広島公演/原爆資料館メモリアルホールで歌い、2004年縁絆・ニューヨーク公演で公式発表)、団塊の世代に贈る「さよならの詩が聴こえる」など12曲を収録予定。
参加ミュージシャンは、CANO BANDのメンバーBass -Yoichi Fujisaki(藤崎羊一)Drums-Shoichiro Aso (麻生祥一郎)Keyboards-Yusuke Nakagawa(中川雄介)を中心に進めている。
Beyond The LINE/境界線の向こう側
レコーディングリスト
1.Maijor Poet/マイジャーポエット(E-f)
2.Kuro No Monogatari/黒の物語(E-s)
3.Kanashii Ame Orokana Kasa/悲しい雨 愚かな傘(Aco)
4.Da Vinci No Yuutsu/ダヴィンチの憂鬱(E-s)
5.Sayonara No Uta Ga Kikoeru/さよならの詩が聴こえる(Aco)
6.Kanashimi O Norikoete/悲しみを乗り越えて(Aco)
7.Hikari To Kage No Dance/光と影のダンス(E-s)
8.Beyond The LINE/境界線の向こう側(Aco)
9.Maboroshi No Sora/幻の空(Aco)
10.Okagesama De Arigato/おかげさまで ありがとう(E-f)
11.KAGE No KAGE/影の影(E-s)
12.Hashi No Tamoto No Mihariban/橋の袂の見張り番(Aco)*
親鸞聖人750回大遠忌法要プレイベント『野聖物語・YAHIJIRI MONOGATARI~私の親鸞聖人~』を2008年2月、スペシャルゲストスピーカーを招き、築地本願寺ブッディストホールで開催を予定している
現代和讃を謡う吟遊詩人へ
メッセ-ジ フロム 三國 連太郎 1994
北條さんの声と歌に、言葉よりも音楽の方が心に浸透する力が大きいことを実感させられてしまった。
これは、現代の和讃ではないか。
つまり、今の言葉で、今の音楽で綴られた仏教讃歌だと感じたのだ。
新しい文化の誕生と言ってもいい。
ところで、文化というと古めかしいものと思われがちだが、現在の古典が誕生した時には、すこぶる新鮮でセンセ-ショナルなものだったのではないか。
それがいつの間にか形骸化して、真意が全然伝わってこないと感じてしまう。
とするなら、北條さんの歌、否、存在そのものが、
いまだかつてなかった稀有なものではなかろうか。
きっと<北條不可思>は、常に待たれていた存在だった。
だが、待っている側が待っている対象を明確に出来ないから、結局自ら名乗りを挙げるしかなかったわけだ。
俳優の僕は、演じる役を鏡に人間の、
しいては自分の愚かさや可愛さを見つめることを楽しんでいる。己に忠実であるために降板するのはそのためだ。
北條さんは、そこを徹底したノンフィクションでやりこなす強靭な人でもある。
だから、伝統教団の中にあって、迎合せず異端にならず自分の言葉で語るなんていう困難極まりないことができるのだ。
だいたいどんな組織でも、体制の中でラクに生きることばかり考えているのだろうから。
北條さんの存在は、言葉が言葉として魂を持っていることの、命の通う言葉の存在の証のように思えてならない。
私の大好きな渡辺えり子さん(作家、女優)は、
40を過ぎても6歳のごとき濾布を持っている。
まるで、生まれっぱなしの純粋さで社会の出来事を濾過させているようだ。
北條さんにも、今の濾布を持ち続けてほしい。
そうやっていかれたら素敵な宗教者になられるという期待がある。
まずは、吟遊詩人のように弾き語り、声をからして頂くのが一番ではなかろうか。
三國 連太郎
メッセ-ジ フロム 新井 満 1994
小説を書く医師や教師がいる。絵を描く主婦もいれば、陶芸をする映画監督もいる。同時に様々な形で自己表現をしようとする芸術衝動を、決しておさえこんではいけない。なんとなれば自己表現とは生きることに外ならないからである。
僧侶・北條不可思の歌を聴いた。
人生の謎と美と真実に一歩でも近づこうとして疾走する、一人の男の歌を聴いた。
新井 満
このメッセ-ジは1994年6月CD「TEARS OF CLOWN・道化師の涙」
(日本クラウン/パナムレ-ベル)メジャーリリース
(絶版につき現在入手不可)に際し、ライナーノーツとして
俳優・三國連太郎氏、作家・新井 満氏に寄稿して頂きました文章です。
*copyrigft2005 FukashiHojo+OfficeAmitaHouse
Song&BowzuMan* Watch&Thinking *