
野聖物語~やひじりものがたり~
私は、歩いていた。
この一歩こそが、迷いを断ち切る一歩と信じ、ただひたすら歩いてきた。
おそらくは、長いこと歩いてきたのだろう。時には宿り木に身を預け、ひとときの憩いを楽しみ、そしてまた歩いている。
彼の日、私は幼子であった。父も、母も亡くした寄る辺ない身。肩を寄せ合う弟とは生き別れた。握り締めた伯父の手だけが、かろうじて残る血脈のぬくもりだ。だが、それさえも離す覚悟を定める道のりを歩いた。
骨身に染みる娑婆の風は、えげつなく薄情に吹き荒んで、河原に打ち捨てられた命を喰らっている。
すでに陽は落ち、未練の爪が冷たく空に浮かんでいる。こんな修羅の世に身をとどめようがない。踵を返しようがない。だからもう見上げもせずに茜に滲む空に決別を告げた。
桜の花が無常の風に震えていた。川底の石は、浮かぶ術もなく非情に凍えていた。
切迫する我が身を抱えて一歩を踏み出す。
南無帰依佛 南無帰依法 南無帰依僧
それでも尚、追慕のような恋しさは明滅を繰り返す。粟粒ほどの疑念に清冽な意識が破られる。とりでの中に身を置いて、静寂が約束されたほとりに佇んでいるのに。
清浄なる身を求める自意識に打ちのめされてしまったのだ。
私はふたたび歩き始めた。求め訪ねて季節を重ね、万に一つの知遇を得た。雑行を捨て、弥陀の本願に帰する。我が身を見限る時が来た。それは、偶然なのか、必然なのか。地獄なのか、極楽なのか。救済なのか、堕在なのか。よき師との出遇いも、はからいを超えた法爾であった。荒れた海から吹き上がる風の凄まじさもまた痛快なり。
根を下ろすべき時を迎えた証のように、守り育む新しい命に恵まれた。
ならば、抗う為に歩くのか。いや、これもまたありのままの私なり。
過去も未来も風は風。今、唯今も風は吹くだけ。思いを越えて、雨を呼び、雲を払い、花びらを飛ばし、野山を大地を駆け抜けていく。
静かな夜に、灯明が糸のように揺らめき、侘しさや切なさを紡いでゆく。
淡く浮かんだ我が身の影に命の不思議が映っている。
経巡るような道もあったか。心定まらぬ日々を怨んで泣いたか。落ちた涙のかすかな熱に正気を取り戻したか。
いや、聞こえてくるのだ。呈した耳の奥底を震わせて確かに響いているのだ。真実が我を呼ぶ声が、願いが、はたらきが、私には、確かに聞こえるのだ。
南無阿弥陀佛
私は、今も歩いている。
摂取不捨の願力に心を任せて、私はただ歩いている。あなたが歩いているなら、私も歩いているのだ。 道はすでに仕度され、闇は破られている。佛智の光明の届かぬ先はない。 影の映らぬ在所はない。
沈むよりほかない私も、弥陀の願いの船に乗り、彼の岸へと渡る。記憶に刻まれたすべての縁に別れを告げて。
なればこそ歩こう。罪障脈打つこの体で、命そのままに私は歩く。
この白き道を。
《了》
文/里 寿 朗読/金田賢一
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