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(西本願寺公開講座/東京・六本木ヒルズ 2004.11.3)
遊牛の詩
―ゆうぎゅうのうた―
詩/曲 北條 不可思
08.20.1996
*善人なおもて往生す ましていわんや悪人はなおさらだ
Oh My Son このメッセ-ジが聞こえるかい
+++++++
自由だ平和だ人権だと騒ぐ前に我々は何をしてる
Oh My Son このメッセ-ジが聞こえるかい
**毎日何かの命を喰らって生きてるくせに
人間だけが一番エライと講釈、講釈たれる
ねずみに勝利を渡す牛になりたい
ねずみに勝利を渡す牛になりたい
悠々と歩む牛になりたい
悠々と歩む牛になりたい
Oh My Son このメッセ-ジが聞こえるかい
+++++++
明日ありと思う心の浅はかな愚かな己の精神よ
Oh My Son このメッセ-ジが聞こえるかい
福祉だ教育だ環境だと騒ぐ前に我々は何をしてる
Oh My Son このメッセ-ジが聞こえるかい
毎日何かの命を喰らって生きてるくせに
人間だけが一番エライと講釈、講釈たれる
ねずみに勝利を渡す牛になりたい
ねずみに勝利を渡す牛になりたい
悠々と歩む牛になりたい
悠々と歩む牛になりたい
Oh My Son このメッセ-ジが聞こえるかい
*善人なおもて往生す ましていわんや悪人はなおさらだ
Oh My Son このメッセ-ジが聞こえるかい
善人なおもて往生す ましていわんや悪人はなおさらだ
Oh My Son このメッセ-ジが聞こえるかい
善人なおもて往生す ましていわんや悪人はなおさらだ
Oh My Son このメッセ-ジが聞こえるかい
善人なおもて往生す ましていわんや悪人はなおさらだ
Oh My Son このメッセ-ジが聞こえるかい
inspired "TANNISHO"
Copyright © 1996 Special JION Music
歎異抄第三章
【原文】
一 善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや。しかるを世のひとつねにいはく、「悪人なほ往生す、いかにいはんや善人をや」。この条、一旦そのいはれあるに似たれども、本願他力の意趣にそむけり。そのゆゑは、自力作善のひとは、ひとへに他力をたのむこころかけたるあひだ、弥陀の本願にあらず。しかれども、自力のこころをひるがへして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり。煩悩具足のわれらは、いづれの行にても生死をはなるることあるべからざるを、あはれみたまひて願をおこしたまふ本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もつとも往生の正因なり。よつて善人だにこそ往生すれ、まして悪人はと、仰せ候ひき。
「野聖物語」 東京・築地本願寺ブディストホール2009年5月16日
YahijiriMonogatari at TsukijiHongwanji Tokyo JAPAN .May 16,2009
Directed by Ryo Tamada(Behind Screen, Inc.)/玉田 亮
遊牛の詩(ゆうぎゅうのうた)は、
― 善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや。―
世界的に知られる
親鸞聖人語録「歎異抄」
第三条の言の葉の放つ響きと
障害を持つ、息子・慈音との
生活の中からインスパイアされ
生まれ出でた詩曲。
Song&BowzuMan
北條不可思の代表作の一曲。
『遊牛の詩』のための寓話
『遊牛の詩』のための寓話;文・里寿(北條里恵)

北條 不可思(ほうじょう ふかし)は、
日本仏教を代表する伝統宗派のひとつである、浄土真宗本願寺派(本山・西本願寺/京都)の 無位無官・在野の僧侶としての活動を基とし、
1981年から"Song & BowzuMan=歌うお坊さん"として、『縁』と『絆』****『命の尊厳』と『心の平安』をキーワードに国内外で、国境・人種・文化・信教・・・をも越えたメッセージパフォーマンス(コンサート、音楽講演)と作品制作(CD・BOOK・etc)を中心に独自の音楽表現活動を展開。
布施によって生かされている者としての分限・分際の自覚から、商業音楽・商業講演・出版業界,政治・社会運動等とは一定の距離を保ち、活動を続けている。

『縁絆』(ENBAN)とは
1999年縁絆コンサ-トエンドレスツア-
ニュ-ヨ-ク初公演開催に際してのメッセ-ジ
北條不可思は、[Song&BowzuMan=歌うお坊さん]として音楽・美術展などを通じメッセージ活動を続けています。この活動の根幹にある願いは、「尊厳ある命の証を信じ、不可思議なる縁(えにし)を眞(まこと)の絆に」という言葉に凝縮されています。
人と人とが出遇う不思議、そして、そこから生まれてくる心と心が結ばれていく営み。
それは、人として当たり前のことと思われがちではありますが、私たちが暮らしている現実の社会には、人と人とが結ばれていく前に、国境や信教といった隔たりが空気のように満ち溢れています。その空気は、敢えて隔たりを超えていきたいと願う精神を、夢追い人と嘲笑する方が理性的かつ知的だと思いがちな風潮を正論にしているのかもしれません。
「なぜここに生まれ、ここに生き、この出遇いがあるのか?」と考えることは可笑しいでしょうか。めぐる命の出遇いと別れに素朴に驚き、恵まれた縁を眞の絆へと深めていく営みに自らの信念を傾けて生きていきたい人間もいるのです。
常識や通念に揺るがない自分であろうか? その自問自答を繰り返しながら己の在り方を見つめ続け、「尊厳ある命の証を信じ、不可思議なる縁を眞の絆に」というメッセージは、生まれました。
そして、この願いを託したたったひとつの言葉が、『縁絆』です。
分かり合いたいと願い、分かり合えないと嘆く。
そんな観念的な人間関係から離脱して、自らを見つめるように、全ての縁ある人を見つめて生きていきたい。
敬いと愛をもって、和(やわらぎ)の精神を育んで生きていきたい。
音楽活動をライフワークとする北條不可思にとって、『縁絆』(ENBAN)コンサートは、そこに関わり集うスタッフやオーディエンスとともに願いを具現化していくステージです。
このたびは、かねてより念願であった海外での縁絆コンサートをニューヨークで開催するにあたり、開催実現に向けてご尽力いただく皆さまに心よりお礼申しあげます。
Song&BowzuMan FUKASHI HOJO
OfficeAmitaHouse/PRESIDENT:SATOE HOJO

軽井澤・万平ホテル1999・12.8
ジョンレノン・メモリアルコンサート『ジョンの日曜日』
北條不可思略歴プロファイル
《脳死は人の死*臓器移植・・・ことに心臓の移植について》
FUKASHIHOJO.COM