戦後は終わらず fu
街のど真ん中を占拠する普天間基地 写真出所は http://japanese.joins.com/photo/351/1/83351.html 蜂の子や忿怒は消えず七十年 風子 米軍基地施設配置図 出所は http://www.ryuukyuu.com/yakudachi/basemap.html 沖縄問題は複雑で 一言では語れないけれども 先の大戦で沖縄は前線となり 捨て石のごとくに島民の四分の一15万人が犠牲となった今も国土の0.6%の沖縄の地に 33もの米軍施設 日本国内米軍専用基地面積の74%の基地が集中しており一般産業の発展を妨げているし、 大きな障害、不安を生じていることは否めない産業振興の妨げになっているというよりも、基地そのものが産業なのであり産業の振興よりも 基地に依存させる国の政策によって 今の沖縄が有るのだ ということを見据えなければ 沖縄の苦悩は見えて来ないとつくづく思う 車で走ると 高いフェンスに囲まれた広い米軍基地があちこちに広がる緑の芝生のなかに軍人家族の住宅や 娯楽施設などの白い建物が点在する「あれはあんた方の税金、思いやり予算で賄われとるのよ」 と タクシーの運転手さんがいう 「思いやり予算」というのは、1978年に基地で働く日本人従業員の給料など米軍駐留経費の一部を 法的根拠もないのに日本が負担し支出することになったことを「思いやりで対処するのだ」と 当時金丸が国会で言ったことによるいまも不適切な支出が指摘されてはいるが 今年の予算でも1,800億円を超える因みに思いやり以外の今年度の米軍駐留経費の負担額は4,900億円近くにのぼる戦後70年 不戦の誓いの中身は こういうことかと思い知らされるではないか 阿部総理は「日本を取り戻す」というスローガンを選挙ポスターに掲げていた戦前の天皇制大日本帝国を夢見ているとしか思えないこの頃だが いったいどんな日本を取り戻すつもりなのだろうか ひめゆりの叫びひしひし春の雨 風子 小雨烟るなか ひめゆり平和記念資料館も訪ねた 慰霊碑の傍らにひめゆりの塔はちんまりと立つ学徒達がいた陸軍病院の在った壕の入口が僅かに口をあけており、館内には実物大の壕の模型があり驚かされるまた、亡くなった女学生と教師227名の遺影も祀られているほか当時の状況がつぶさにわかる展示がなされている一巡すると 学徒達の悲惨な叫びが迫ってくるようで 悲しみと憤りが 改めて湧いてくるむろん悲劇はここの女学生ばかりではなく 沖縄戦では他にも2,000名ほどの動員された中学生も犠牲になっている 華やかな観光地を巡る一方で 沖縄の面積の10%を米軍基地が占めている実態を見てこうした悲痛な叫びの聞こえる戦跡を巡れば70年を経た今もなお 戦後はまだ終わってはいないということをひしひしと痛感する同時に本土の人は 昔と変わらず オキナワを人ごとのように見ている、と沖縄の人は言う私も ヒロシマも長崎も 東日本の原発事故に端を発する原発問題も オキナワも皆同じなのに日本人の多くは なぜ目先の自分のことしか考えずにいられるのだろうかと 情けなく思わずにいられない ご訪問ありがとう _(._.)_ ブログ人気ランキングに参加しています ↓ ぽちっと押してもらえると ウレシイです