カテゴリ:日記
午前9時に霞ヶ関中学校の卒業式へ。議案調査の日だったので、出席できた。そおあおりで、午後9時まで、県議会で市民相談の解決をしたり、質疑のリハーサルをしたり、忙しく仕事に追われた。特に昨年から持ち越しの市民相談は、第一段階の峠を越えることができ、ホッとした。県議会にお越しになるかなと思っていたが、見えなかった。
卒業式で一番、感動したのは、卒業生退場の前の出来事。1組から順番に、担任が教師の席から演壇下に進み、生徒が起立する。同時に、思い出の一コマや先生への感謝の言葉、保護者への感謝の言葉、自分たちをほめる言葉などを、男子と女子が大きな声で、テンポよくかけ合いで叫ぶ。 「人間という真実から 表現を除けば 何が残るか 表現、表現……必然性の表現 已むにやまれぬ表現 その 壮麗なる自由を乱舞して 三島は叫び 太宰は死んだ (中略) 本来 無作の表現 それでいいのだ それが 人間真実の帰趨であるからだ 誰がみていなくてもよい 誰に依りかからなくてもよい ただ一元的な法に則り 汝の人生の真相と 人間党の絢爛たる 勝利の絶大を信じて 天座に 自由に 舞いゆくことだ」 という『革命の河の中で』の一節を思い出した。 創価大学に入学した年の秋に、池田大作氏の発表された詩である。 涙があふれた。 海野校長先生は、木の年輪について「北向きの部分は年輪の幅が狭く、南向きは幅が広い。宮大工さんは厳しい環境下にあった北向きの部分を柱に使い、南向きは板に用いる」という趣旨の話を引用し、厳しい環境こそが人間を鍛え立派にする、というはなむけの言葉をなさった。いいお話である。 もっと、すばらしかったのは、PTAの神山栄子会長の挨拶。デフテックの歌詞から切り出し、「人生の金メダルを」と締めくくるお話だった。耳を傾ける生徒たちの目が輝いていた。 校歌などの指揮をとった先生のお姿にも胸を打たれた。「合唱の霞中」は、長男が学んでいた頃からの伝統だ。来賓席まで指揮者の歌声が響いた。全身全霊を傾けて、卒業を祝おうとなさる思いが、その姿に脈打っていた。 学校に到着した時には、思いがけない方にもお会いできたし、議会で忙殺されている中で、「人間らしい心」を取り戻した卒業式だった。感謝。 何回も、何回も、原稿を書き直すのは習性 18.3.14 午前10時から特別委員会。少年補導の実態、右折レーン整備の予算額などについて、質問した。あとでHPにアップします。 その後、16日の質疑通告。昼食後、原稿修正。何回も何回も書き直すのは習性。少しでもよい原稿にと、どこまでも貪欲になってしまう。でも、ブログの原稿は修正する時も1回だけ。直しには淡泊です。議会での公式発言とは違います。読者の皆さん、すいません。 夕方6時過ぎに議会を出て、生活関連の市民相談の解決法について、ブレーンのところへ。貴重なお知恵を拝借した。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006.03.16 23:49:14
コメント(0) | コメントを書く
[日記] カテゴリの最新記事
|