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福ちゃん通信

2018.02.11
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新婚時代の思い出、寺内タケシさんのこと(エレキアゲインを始める前)。2001年12月に書いたブログから=
寺内タケシさんのギターに魅せられたのは、私が小学校6年生の冬休みのこと。ゴジラの大ファンだった私は、ゴジラ・モスラ・ラドンがキングギドラに立ち向かう「三大怪獣地球最大の決戦」を見に行ったのですが、同時上映されていたのが「エレキの若大将」。ここで初めて寺内タケシさんがエレキを演奏する姿に触れ、すっかりとりこになってしまいました。
中学生にかけて、ベンチャーズやスプートニクス、シャドウズなどエレキ・インストが全盛。とりわけベンチャーズが幅を利かせていたのですが、その中で、寺内タケシとブルージーンズがあの名曲『津軽じょんがら節』の入ったLPを出した時には「ヤッター」と大感動。これが日本人の気合だと喜んだものです。
お小遣いが足りなくてLPは購入できませんでしたが、お金持ちの友だちからLPを借り、カレッジエースという東芝のオープンリールのテープレコーダーに録音し、テープがすりきれるくらいに聞きました。
中学生の時に買ったエレキのレコードはベンチャーズの『ダイヤモンドヘッド』『パイプライン』『10番街の殺人』『ウォークドントラン』の4曲入り1枚だけだったと記憶しています。もっぱら友人から借りてきては録音していました。
それでも、高校に入ってからはレコードも買えるようになり、寺内さんはバニーズを率いていたので『レッツゴー運命』のLPや『勧進帳』の4曲入り盤『愛のリメンバー』『レッツゴーシェイク』の4曲入り盤を買い求めました。
昭和54年に結婚した妻と付き合い始めた頃、私が妻にあげた最初のプレゼントも、寺内タケシとブルージーンズのLPでした。『いとしのエリーナ』の収録された『ライブ・イン・モスコー』です。
妻は中島みゆきやさだまさし、風の大ファンだったのですが、趣を変えて、生命を賭けて演奏するということはこのことだ、ということを知ってもらいたくて、このLPをプレゼントしました。
エレキ・インストに全く興味のなかった妻ですが、『いとしのエリーナ』や『白鳥の真心』などにはすごく感動してくれました。当時の私は「よし、結婚してもいいか」と思ったのです。妻が興味を示さなかったとすれば、結婚しなかったかもしれません。
私は結婚23年目に入りましたが、この2曲は妻と2人で何百回聴いたことか分からないくらいです。特に新婚の数年間はよく聴きました。
新宿に住み、共働きで結婚生活のスタートを切った私たちは、新婚半年の昭和55年2月、公明新聞関西支局へ転勤。東大阪市に2年半ほど暮らしたのですが、この時代が私の人生で最も厳しい時代でした。
妻の病気もあって、お金のない時代でした。妻に働いてもらったのですが、妻の仕事は病気の進行とともに、正社員→ケーキ屋さんのパート→内職と、賃金の低い方向に変わっていきました。
内職は目薬の袋の仕事でした。
目薬を入れる袋は、何メートルもの帯状になって工場で作られます。その帯から、型取りされている目薬の袋を切り離す内職を、妻が始めたのは大阪で暮らし始めて2年近く過ぎた頃です。100枚切り離して輪ゴムで結わえて報酬は10円だったと記憶しています。2000枚ほどにした目薬の袋をみかん箱いっぱいに詰めて自転車で運ぶのが私の役目でした。
病気の妻を伴って兵庫医大へ月に3回ほど通院していたのですが、病院の帰りに乗換駅である、大阪の鶴橋駅ガード下の炉ばた焼き店に立ち寄るのが楽しみでした。炉ばた焼きのお店で一番おいしかったのは、モヤシ炒めです。
また、東大阪市の住まいから自転車で10分くらいのところにある、居酒屋にもよく行きました。自転車は1台しかないので、2人乗りで出かけるのです。昭和55、56年頃の話ですが、何とそのお店は「お新香が30円」だったのです。串揚げが中心でしたが、それも80円くらいで、ビールを飲んでお新香や串揚げを食べて1000円くらいでよかったので、当時の私たちにピッタリのお店でした。
関西支局時代の2年半、神戸支局の2年間に、妻には、ふぐや神戸ステーキなどはただの一度も食べさせたことはありません。
そんな頃に、妻が実家に帰りました。後で知らされたことですが、妻は「もう大阪には戻りたくない。でも戻らなければならないし」と思いつめて帰ったそうです。
非常に深刻でした。2人も疲れきっていたのです。
その間に民音のコンサートがありました。寺内タケシとブルージーンズのコンサートです。私は出かけました。公演の最後に寺内さんがこう語りました。「私は生命を賭けて演奏している。もし、自分がいい加減な演奏をしたならば、この場で、5本の指を包丁で叩き切る」と。
私は感動しました。

私が再び寺内さんのレコードを買い求め始めたのは、このコンサート以降です。
幸い、今では『激!録!』の� Κ◆Κ�をはじめ『超極めつき� Κ◆戮覆彪觜修碧膺瑤裡達弔�揃っています。
そして今、私は自分自身を鼓舞したい時には、必ず『運命』『津軽じょんがら節』『勧進帳』『空飛ぶギター』『テリーのテーマ』などを聴くことにしています。質問や演説の前には、会場に向かう車中で、しゃべる練習をするかたわらエレキを聴いて、士気を鼓舞しています。
チケットを手配してくださる上田さんは、知り合ってから10数年になりますが、お付き合いが深まったのは、県議会議員になってからです。
平成6年9月、公認発表の後に、自分で原稿を書き、レイアウトをして、さらに公明新聞のレイアウトディスプレイを用いて組み版も行って、1万枚だけ作った最初のチラシを、上田さんが見て電話を下さったのです。
「趣味のところを拝見したのですが、福永さんは、寺内タケシのファンなのですね」と。うれしかったです。
上田さんは『ハイパーフューチャーズ』というバンドを組んでいて、1年に2~3回ライブをやっています。当選してからは、何とか日程をやりくりして上田さんのライブを聴きに行っています。大きな会場と違って体全体で演奏を受け止めることができるのが、ライブのいいところです。







最終更新日  2018.02.11 00:00:24
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