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福ちゃん通信

2018.10.12
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ご紹介します。
「安倍総裁3選」ーーその裏で「6選」を果たした人物がいる。
山口那津男、66歳。
公明党の代表に就任してことしで9年。これは平成10年に公明党が再結成されて以降、歴代最長記録だ。
前人未踏の6期目に入る彼は、どこに向かおうとしているのか、その心中に迫った。
(政治部公明党担当 関口裕也)
彼の「距離感」
9月30日。
この日、開かれた公明党大会。山口代表の6期目が、正式に決まった。
その大会で、彼は、注目の発言をした。
最初に語ったのは、自民党とともに、安倍政権を支えていく決意。
「与党・公明党が果たすべき使命と責任は限りなく重く、引き続き自公連立政権の一翼として安倍内閣を支え、安定した政権基盤の下、日本の未来に責任感を共有し、緊張感を持って国民の負託に力強く応えてまいりたい」
ここまでは、誰もが想像する範囲内だ。
しかし、彼はこうも語った。
「公明党としては、憲法9条の改正が緊急になされるべきだとは、必ずしも言えないのではないか」
自民党の総裁選挙で、憲法改正に強い意欲を示した安倍総理大臣。それに対し、連立のパートナーである彼は「静かに見守りたい」などと、極めて抑制的な発言に終始していた。そして、この党大会では、打って変わって、明確に考えを打ち出したのだ。
その後も、「憲法改正は国会自身が発議するものだ。与党である公明党とだけ調整を先行してから出すことは考えてない」などと、釘を刺す発言をしている。
ギアを一段入れ替えたように感じた。自民党との距離感に常に気を配り、バランス感覚を重視する山口氏らしいともいえる。
因縁の間柄
振り返ると、彼の政治生活は、自民党抜きには語れない。
弁護士だった山口氏は、平成2年の衆議院選挙で初当選。2回連続で当選したものの、小選挙区制度に変更された平成8年の選挙で自民党公認の新人に敗れると、その次の選挙でも落選。平成13年に参議院議員として国政に復帰した。
今でこそ、党代表在職歴代1位を更新し続けているが、実に2度の落選と5年間の浪人生活を経験しているのだ。
きっかけは「緊急登板」
2009年9月。
いわゆる「政権交代選挙」で、公明党は、当時の太田昭宏代表や、北側一雄幹事長らが相次いで落選、野党に転落した。
そこで、いわば“緊急避難的”に政務調査会長を務めていた山口氏に、代表のおはちが回ってきた。山口氏自身、「ピンチヒッターで、誰も期待していなかった」と振り返る。
代表となった山口氏は、全国を飛び回り、それまで党幹部が一度も訪れたことのなかった地域にも足を踏み入れ、地方組織の強化に取り組んだ。そして、3年後の2012年に、自民党とともに政権を奪回。
連立政権は、経済再生に取り組むとともに、激変する国際情勢に対応。安定した政権運営を実現し、山口氏に対する党内の支持は盤石となった。
今では選挙応援の際に、山口氏がみずから愛称で「なっちゃんで~す」と呼びかけると、支援者から歓声があがり、「なっちゃん頑張れ~!」という声がかかるのも、おなじみの光景だ。
山口氏は、支援者に親しみをもって受け入れられていると、密かな自負をのぞかせる。
ブレーキ役を果たせていない!
しかし、この間、山口氏は、難しい判断を迫られることも少なくなかった。
安倍総理大臣をはじめとした自民党が進めた、特定秘密保護法、集団的自衛権の行使容認、安全保障関連法、カジノを含むIR整備法などは、国民の意見が大きく分かれ、党内でも慎重論が根強かった。
結果としては、公明党は、いずれも賛成してきた。
また財務省の公文書改ざんなどの不祥事や、閣僚や自民党議員の不適切な言動にも、抑制的な言い方で、たしなめるにとどめることもあった。
こうした対応に、党の支持者の間からも「政権のブレーキ役を果たせていない!」という批判も出ている。
しかし山口氏は、批判を受けても、「政権の安定」を最優先に、与党内で一致点を模索すべきだと強調する。
「批判するのは易しいんです。しかし、それによって、どういう影響が出てくるかということを考慮しなければなりません。例えば、民主党政権の時、あるいは、前の自公連立政権の第1期のことを顧みますとね、やはり政権の中での合意がなかなかできない。ギクシャクする。それが政権の体力をどんどん奪っていった。そして政権交代に結びついてしまった」
「政権が曲がりなりにも、5年あまり安定し、安倍総理大臣が幅広い外交活動を展開することによって、日本の存在感というものが、国際社会の中ではっきりと示されるようになってきた。また、経済についても、失業を減らし、雇用を増やし、賃金を上げ、企業の利益を増やすという結果を出しているという点では、評価できる点があると思っています。これは政権安定の結果のたまものです」
ある町の高い煙突
そんな山口氏の政治姿勢に大きな影響を与えた本がある。
「ある町の高い煙突」(新田次郎著)だ。
実はこの小説、気象庁の技官で、引退後は茨城県日立市で公害問題にも取り組んだ、山口氏の父・秀男氏が、新田次郎氏に執筆を勧めたという。
明治から大正にかけて、日立市であった実話が描かれている。
「これは、銅の鉱山の開発で栄えた茨城県日立市の話。開発で発生する亜硫酸ガスが、農地や山林に大きな被害を与え、住民の健康にも被害を与えていました。それを被害者側の農民のリーダーと、加害者である企業の経営者側のリーダーが、対立、対決するのではなくて、共にこの煙害を克服しようという努力をした。そういう歴史的事実に基づいて書かれた小説なんですね」
小説が発表された昭和40年代前半は、各地で公害問題が明らかになったが、加害者側が責任を認めず、結果として被害が放置され深刻さを増していた。
その半世紀以上も前に、被害者側と加害者側が折り合い、協同して問題を解決していたのだ。
ふるさとで、煙害克服のために立てられた高い煙突。
そこにたどり着くまでの過程こそが、今の政治に求められていると、山口氏は言う。
「どちらも、ぶつかり合うことを回避するために、もがき苦しむ中で、理想とまでは至らなくても、それに近い合意点を見いだす姿勢というものが見習うべきものとして、胸深く刻まれてる。こういう作業というのは、政治にも必要なことです」
憲法改正「突っ走るようなことがあれば…」
6期目に入った山口氏に、突きつけられた大きな課題がある。憲法改正だ。
公明党は、9条をはじめ、現行の憲法の果たしてきた役割を高く評価し、拙速に議論を進めるべきではないと慎重な姿勢を崩していない。
しかし安倍総理大臣は、最後の任期の3年間で実現したいと強い意欲を示している。
山口氏は、安倍総理大臣、自民党にどう向き合うのか。
「政権として何をやるかという与党の枠組みとは違う。合意形成をはかる土俵が違うということです。われわれは自民党がもっとね、民意をちゃんと捉えて、どうあるべきかということを、よく議論を尽くしてやってほしいと。謙虚に自民党に行動を促しています」
「『自分たちの考えはこれだ』と言って、突っ走るというようなことがあれば、もっとストレートに思ってることをぶつけなければならないと思っています。公明党としても。私としても。それは日本の将来、そして国民の思いがかかっているから」
憲法改正に対し、山口氏がどう動くのか。
その動向が、憲法改正の行方のカギを握ることは間違いなさそうだ。
『ポスト山口』に一歩
そして“長期政権”を続ける山口氏にとって、みずからの後継をどう育てていくか、「ポスト山口」も大きな課題だ。
「正直言って、内心、長ければ良いというものでもないと思っています。やはり後輩をしっかり育てて、その時代、時代の感性、また次の時代を見据えた視野、こういう新しいものを持った人にバトンタッチしていくということも、あわせて考えなければならないと思います」
「ポスト山口」に向け、今回の党役員人事で1つ歯車を回した。
山口氏の代表就任以降の9年間、ともに党運営にあたってきた幹事長の井上義久氏(71)を交代させ、新たに斉藤鉄夫氏(66)を起用したのだ。



「世代交代に向けて一歩を記した。移行していくプロセスを始めたということなんです。トランプゲームのように、全部一気に入れ替えるというのでは、党の継続性、安定性は保てません」
では、山口氏がバトンを渡す次の代表に求める適性とは、何なのだろうか?
「この苦難の中、築いてきた伝統とかね、党のカラーというものを尊重して守っていくということを一つ心がけてもらいたい。あとやっぱり時代がどんどん変化してるからね、その時代に沿った、むしろ、時代を先取りするようなそういう思考をもってね、遠い展望をもって今を乗り切るという姿勢を持ってもらいたいね」
ズバリ、「ポスト山口」を聞いてみた。
「あっはっはっは。それはまあ、今は言えないけれども(笑)。内緒ということで」
想定している人がいないわけではなさそうだ。
10年目も、問われる
代表就任から、すでに9年。
以前はよく足を運んでいた書店や映画館などに、気軽に赴けない窮屈な毎日が続く。






最終更新日  2018.10.12 01:01:11
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