朝日新聞の連載から転載します
予断を交えず、取材を尽くした記事だと思いました。朝日新聞7.14付け埼玉版から転載します。埼玉新聞も、掲載してくれたのですが、そのサイトからはコピペできません。残念。順風逆風@埼玉 <中>自公2010年07月14日 選挙戦最終日の10日、関口氏(右)の応援に駆けつけた谷垣総裁(左)=越谷市 公示日に西田氏(左)の応援に駆けつけた山口代表(右)=6月24日、さいたま市大宮区 ◇「敵失」で2党浮上/党首応援、弾みに 前回得票に及ばず上位 1位と2位で勝ち抜けたのは、党首が遊説の打ち上げを兼ねて応援に駆けつけた自民と公明の現職だった。 「昨夏の総選挙でおしかりを受けた。埼玉県から参院議員を送って頂けなければ、自民党は再起の目がない」。選挙戦最終日の10日夜、南越谷駅前では、自民・関口昌一氏の隣で、谷垣禎一総裁が大声を張り上げた。 所沢駅前でも、公明・西田実仁氏と一緒に山口那津男代表が街頭演説。「政治とカネの問題をきっちりやらせてほしい」と支援を呼びかけた。 両党首は、公示日も応援に入った。そして、注目を浴びる「最後の訴え」も埼玉で。野党に転落した両党にとって、重点選挙区であることを象徴していた。 「大変厳しい選挙だったが、埼玉自民党は元気をもらった」(関口氏) 「埼玉にとって最後の(とりでの)党国会議員なので、勝ちたかった」(西田氏) 投開票日の深夜、2人は当選の喜びで声を弾ませた。 ■ 補選を除き、自民の候補が埼玉選挙区でトップ当選したのは、2001年以来、9年ぶり。自民は、昨夏の衆院選では、県内15小選挙区で全敗する歴史的大敗を喫し、今回は再起をかけた戦いだった。 これまで蜜月関係にあった業界団体が、民主にも推薦を出すようになった。自民党県連は、組織票の積み上げという従来の手法だけでは勝てないとみて、「地方議員や党員が駅頭や街中に出て、運動量を増やす作戦」(新藤義孝会長)に出た。 選挙期間中、関口氏は15小選挙区を順番に回った。地盤の秩父地域以外の都市部では知名度が低いとして、比例区で立候補した片山さつき氏や堀内恒夫氏ら知名度の高い候補者と一緒に街頭演説する戦術も取った。 あるベテラン県議は、駅頭での活動で、自民への追い風を感じた。「若い人が選挙公約のパンフレットを次々に受け取っていった。昨年の衆院選では無視されたり、突き返されたりしたのに」 ■ 公明は前回、2議席を獲得した民主の躍進のあおりで、前職が落選した。今回は、県内唯一となった党の国会の議席を死守しようと、支持母体の創価学会を中心とした組織戦に加え、無党派層に近い有権者をとらえようとした。 ポスターに「景気回復なき消費税増税に反対です!」と記したシールを追加。街頭演説には有名タレントや歌手が多数応援に駆けつけた。 候補者を立てた選挙区は、東京と大阪、埼玉だけ。唯一の現職がいる埼玉が「最重点区」と位置づけられた。西田氏の事務所には日本地図を描いた紙が張られ、全国から集まった支援者の寄せ書きで埋まった。 ある選対幹部は「全国の支援者が、自宅から活発に県内の友人、知人に電話をかけてくれた」と打ち明ける。連立与党時代の関係を生かし、来春の統一地方選などでの助力を条件に、自民系の地方議員や首長から一定の協力も取り付けたという。 ■ 自公は「背水の陣」で踏みとどまり、「民主2議席」を阻止するという共通目標も達成。ただし、前回の公認候補の得票数には及ばなかった。菅内閣が消費増税問題で失速せず、高支持率のまま投票日を迎えていたら、どうなっていたか。「敵失」に助けられた面は否めない。 新藤会長は「党勢回復は道半ば。業界団体の推薦や運動量もかつての半分程度に減った。組織票と浮動票を両方取るため、運動方法を変えていかなければ」と話す。公明の福永信之・県本部幹事長は「3年後の参院選で新たな議席を確保するための出発点」と反転攻勢を目指す。