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テーマ:心のままに独り言(8784)
カテゴリ:昔の体験でしあわせ
人間不平等。ってのをわたしが感じたこと。
同じ社宅に住み、同じ歳で仲良くしていた男友達が若くして亡くなったこと。 若いも若い。中学1年生の頃亡くなったのです。 子供の悪性腫瘍である「骨肉腫」だったんですね。 10万人あたり0.2~0.3人の発病ですから発症率はとても低い病気です。 発病は小学5年の頃でしたから長い闘病生活でしたね。 まず抗がん剤のせいで髪が抜けて坊主になりました。 次に片足を切断しました。 その後、右手も切断したので右手がなくなりました。 お見舞いに行くととても元気で、左手で字を書く練習をしてたし、いつも通りでした。「お前そんな計算もできないのかよ」と言ってたし、わたしには、坊主になり手足がなくなったこと以外、特別変わったように見えませんでした。 当時わたしも小学5年でしたから、病気の内容や容態など難しいことはなかなか理解できませんでした。でも生きる気力が満々なのに死んでしまったので「世の中って不平等だな」と思いました。 思えば、わたしの一番身近な人の死はその友達の死だったのです。天寿をまっとうした祖父母ではなくまだ生まれて10年そこそこの友達だったのです。 お葬式の日、わたしは泣きませんでした。彼が空に昇って行くとき、煙を見ながら、不条理とか理不尽とかそんな気持ちを抱く反面、それまではるかかなたに感じていた空や死がとても身近に感じ彼が生きた意味は確かにあったんだなあと思いました。 死を強烈に意識することは生を意識することにもつながるんですよね。 今でも何かの拍子に突然思い出すんですよね。生きてたら同じ歳だよなあとか思い「わたしはなんとか生きてるよ!」と心の中でつぶやいています(笑) 前に何かの本で「死者への一番の供養は、その人を思い出すこと」と書いてあり、それがとても印象に残っています。もちろん、一生忘れないし覚えているし思い出しますよ! ところで…。お見舞いに行ったとき「今はすごいんだぜ。最先端の消しゴムでこすらずに一瞬に鉛筆の文字が消えるんだぞ」と見せてもらったのを強烈に覚えていて「うらやましい!!わたしも欲しい!!」と思ったのですが、そんな消しゴム、後にも先にも見たことないんですけど(笑)。 あれは夢か幻か。それにしては鮮明に覚えてるんですよね…。 本日は、久々に彼を思い出したので、記しておこうと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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