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常住不断 福井孝典ホームページ

5月

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│ FORUM2-7 第9号 5月7日(火) │
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 5月になりました。今書いているのはゴールデンウイーク第2波の最初の日、5月3日です。何故休めるかと言うと、今日は憲法記念日だからなのでした。日本国憲法は、こうして休日を一日増やすという恩恵を与えましたが、考えてみればそれはこの戦後半世紀を支えて来た基軸として存在してきたものであり、実際この時代の精神でもあった訳です。
この五十年間、色々問題点もありましたが、大きな目で見ると、かなり評価出来る時代だったのではないかと思います。土地も資源も無い国が、平和のうちに、焼け野原からここまで発展してきた、それは素晴らしい成果だと思います。戦後教育を含め、日本人の様々な営みがそれを作って来たし、憲法もそれを保障する重要な働きをしてきたと思います。
だからと言って現状が全て良いとか何もかもこのままが良いということではないでしょう。必要に応じて物事は変革していかねばなりません。憲法もその例外では無いのでしょう。
しかし憲法問題は日本では決まって戦争と平和の問題と結びついて出て来ます。国際情勢や他国との関係にも関わってきます。

戦争と言えば、私に一つの体験があります。それはあの湾岸戦争の端緒となったイラク軍がクエートに侵入した90年夏のサウジアラビアでのことです。情報を得た民間企業が素早く退去していく中で、たまたま日本人学校の当番に当たっていた私と家族は、8月の終わりまで孤軍奮闘しなければなりませんでした。英米軍がサウジに集結を始めた頃には、もう日本人や民間の欧米人の姿はジェッダに非常に少なくなり、日本人の子供で残っているのは私の娘二人と領事館の小さな男の子一人だけになってしまいました。当時はCNNもBBCも入らず、ラジオ日本も微かにしか聞こえない中で、残った一握りの民間企業の人達や領事館からの情報を頼りにして過ごしました。リヤド空港が閉鎖された時、領事館がアドバイスしたことは「とにかく水とガソリンだけは確保しておいてください」というものでした。イギリスはブリティシエアーを特別にチャーターして帰国させている、アメリカは大量の軍隊が入っているから心配無い。我々もいざとなったら米軍に運んで貰おうかなぞと話合ったものです。結局、日本人学校に戻って来る生徒児童がいないまま迎えた9月になって文部省より帰国許可が降りましたが、民間の対応の早さに比べ、危機に於ける役所の対応力の無さには呆れることがありました。
その間、学校のスタッフのイエメン人とよく話合ったものです。彼らは当時サダム・フセインを支持しており、サウジに入った英米軍はイラク軍に殲滅されると信じていました。日本の軍事力について話が及んだ時、「日本は憲法で戦争放棄を明らかにしている。自衛隊というものは存在するが、軍隊も持たないことになっている」と私は言いました。
これは彼らがイラク側だからそう言ったのではなく、アメリカ人やイギリス人、ドイツ人達と話した時もそう説明しています。日本の戦争放棄については割に外国人達は知識があり、当の日本人からはっきりそう言われると成程と言った顔で納得します。
アメリカのある博物館で、各国の軍事力を画面に呼び出せる展示があり、小学生位の男の子が順番に国のボタンを押して見ていました。私に気が付いて彼は、JAPANを押しました。するとこれは矢張り先の私が言ったような説明が流れて来たのです。彼は驚いて私の顔を見て「ホント?」と言うように画面を指さしました。「ホントだよ」と頷ずくと、彼は馬鹿にしたように首をすくめて行ってしまいました。これが多分一番、日本の戦争放棄が受けなかった時です。
外国で「日本」という国には、気弱な笑顔を作りながら途方も無い莫大な額の金をぽいと出す国というイメージがあります。私はそのイメージがなんだかとても恥ずかしい気がしています。
国際貢献には色々な仕事があるでしょうが、その最大のものは平和
への貢献ではないでしょうか。まがりなりにも平和な半世紀を過ごし得た日本に何か役に立てることはないのでしょうか?
私は、戦争というものは負けても勝って
も、その行為自身によって汚染され、その報いが必ず返ってくるもの、と考えます。動機が立派なら手段は正当化されるということは無いと思います。一瞬一瞬の行為の中に人間の価値の全てが凝縮されているのだと思います。
憲法記念日にそんなことを考えました。


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│ FORUM2-7 第10号   5月8日(水) │
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 今回で10号です。2桁に到達しました。今の所、極めて順調なペースだと思っています。この分だと100号も夢ではないという気がします。まあ先のことはどうなるかは判りませんが。……とにかく継続すること、やり始めたことは途中で投げ出さないこと、それは肝に銘じている所ではあります。 
 先日、半年ぶりにヨットに乗ってきました。ヨットと言っても、昔堀江青年が太平洋を横断した、或いは石原裕次郎や加山雄三が持っているようなクルーザー型ではありません。逗子開成高校や、あの戸塚ヨットスクールで使っているような一人か二人で乗るディンギー型ヨットです。
昨年、教職員の互助会でその講習会があり、若い頃やりたいと思っていてやれなかったことなので、一つチャレンジしてみようとそれを受けました。中学生や高校生に出来て自分に出来ないことはないという気持ちもあります。 しかし遊びごとはなんでもそうかもしれませんが、結構マメに色々やらなくてはならず、体力も使います。最初はロープの結び方や艤装の仕方からしてなかなか頭に入りません。風になびくセイルの付いた5メートル以上のマストを一人で持ち上げるのも腕力がいります。私は全部一人でやっていますので、80キロの船体を運ぶ時は腰に充分注意する必要があります。
さて全て準備が完了して海に乗り出す訳ですが、先ずその砂浜からの出艇が難しいのです。風が強くても弱くてもそれぞれに困難があります。すぐ近くには岩場や浅瀬があり、釣りや磯遊びをしている人達もいます。一番緊張する瞬間です。
沖へ出てからは自然との対話です。対話というよりか討論、激論、喧嘩、いや格闘と言った方が当たっている場合が多いのです。しかしそれもこれも自分の力量に掛かっているのです。自然の状態を読むこと、それに基づく成すべきことの判断、そして技術です。その中で最も大事なのは自然の状態を読むこと、その裏付けになる知識だと思います。
ヨットをやるようになってから天気予報や天気図に注意を払うことが多くなりました。風、波、潮、天気……それによってやることがすっかり変わって来ます。今日は止めた方がいいなと判断しなければならない時も多いのです。
この半年間やらなかったのも、進路指導が忙しくなったとかの理由はありますが、それでもその気になれば一度位は出来ないことはありません。練習していた夏場と風が逆になったこと、それから、沈をした時、冬の海は冷たいだろうなという恐れです。水の入らないドライスーツを買って、チャレンジするつもりではあったのですが、その直後に風邪をひいて出鼻を挫かれたこともあります。「沈起こし」は、夏の海でも相当にエネルギーを消耗します。あれが冬だったらと、自分の力量と思い合わせ、足が遠のいていた訳です。
11月に買ったそのドライスーツを着て半年ぶりにヨットに乗り込みました。季節はもう春真っ盛り、水の入るウエットスーツに半袖姿でヨットを操っている人達ばかりでした。首の周りのゴムをもう少し切って大きくしておけば良かったなと悔やまれましたが、ドライスーツの着心地も悪くないと感じていました。風が弱すぎて出艇に手こずり何度か試みました。やり方を忘れていたこともあります。やっているうちに色々知識が戻ってきて、ようやっと沖へ出ました。
暫く弱い風の中でのんびり行ったり来たりしていましたが、そのうち風が出てきて快調に滑り出すようになりました。身体を艇の外に出して、艇の傾きを殺すハイクアウトをしなければならないような風になってきました。時速でいうとどの位なのかは知りませんが結構速く走るのです。全て自然の力です。波と風を身体中に感じます。曇っていた空から晴れ間が覗き、太陽の光が射し込んで来ると、海の色が変わってきました。紺碧。明るい空の下に荘重にうねりを渡らす紺碧の海です。2艇が近づいて来てヨットレースをやらないかと呼びかけられました。三つのブイを早く回ってきた方が勝ちです。やったことが無かったので躊躇しましたが、いざやってみると楽しいものでした。
その日は帰ってから肩がこって仕方がありませんでした。
でも行く前とは違った風に感覚出来る身体へとリフレッシュしたような気がします。


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│ FORUM2-7 第11号 5月13日(月) │
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 中間テストが来週の火曜日から始まります。生徒達は既に学習計画を作ってその準備に取り掛かっていることになっています。
 観点別学習評価の重視ということで、平常の授業態度等が評価に於いても重くなってきてはいますが、中間・期末の定期テストの比重はまだまだ相当に大きいものであることは否定出来ません。戦前・戦後を通じて存在する、学生が試験の勉強で奮戦するという姿は、基本的には変化していないと言えるでしょう。
 「朝に道を聞かば夕に死すとも可なり(その朝に真実の道を知ることが出来たなら、夕暮れに死んだとしても構わない)」という言葉が『論語』にあります。学ぶ者にとっては、学習することはもうそれ自体として喜びに満ちた作業なのです。それが、試験の為とか何なにの為とかということになってくると、評価されるということと結びつき、逆に苦痛になってくるのかもしれません。
学習することはそれ自体、真実に近づくという喜びを与えますが、それだけではなく、自分自身の可能性を高めることを含め、何か新しいものを創造する可能性を与えます。既成の事実を詰め込む試験勉強に、創造性なぞ求めるべくもないじゃないかという指摘が直ぐに頭に浮かびます。それは重要な指摘ではあります。創造性は新しいインスピレーションを生み出すような柔軟な頭の働きによる所も大きいでしょう。しかし同時に多くの場合、新しいものは現在の到達点からの一歩飛躍として成されるのです。現在知り得ていることを学習すること無しに、その飛躍は、余程の天才でない限り先ず無いと言っていいと思います。しかも超天才と目されるエジソンでさえも「天才とは1パーセントの霊感と99パーセントの発汗とである」と言っています。
そういう意味で、試験勉強のようなものは矢張り必要な学習過程の一つであると考え、その与えられた目前のハードルから逃げることなく、一生懸命に取り組むことが良い方法だと思います。
私が中学一年生の時、国語の時間に「学問の寂しさに耐え、炭をつぐ」という句を習いました。炭だったか墨だったか、またそれが誰の作品であったのか、はたまた本当にそういう句であったのかさえ、よく覚えていませんが、人生で最初に定期試験を迎え、本格的な勉強の入り口に立った時、勉強することは自分との闘いだ、孤独との闘いだという実感と共にこの句がみょうに頭に残りました。
子供達には、この道は明治以降の日本人誰もが天才凡才問わずにみんな通って来た道であることを理解させ、頑張って貰うよう応援してください。
学習計画を立てるに当たって、今回の試験に向けての目標を書いて貰いました。順不同で掲載しておきます。同じ目標を何人もの人が立てたものもあります。

*平均点以上を取る。 *数・理・国が苦手なので特に頑張る。 *平均点より10点上を目指す。 *ちゃんと復習してテストが少しでも良くなるように。 *1年の時よりも点数が下がらないようにする。 *ケアレスミスを無くす。 *苦手な科目を少しでもわかるようにする。 *がんばる。 *1週間前ぐらいから勉強をはじめ、テストの日はがんばる。 *自分でできるかぎりがんばる。 *2年になって初めてのテストだからできるだけ高い得点をとる。*悔いの残らないテストにする。 *勉強をちゃんと真面目にやる。 *中2になると入試にかかわるので気合いを入れて全教科が70点以上になるようにがんばる。 *とにかく勉強量を1年生の時より多くする。 *全教科まんべんなく良い点をとる。 *できれば全部80点以上。出来なかったら平均80点以上はとりたい。 *つまらない「ミス」をしない。 *計画通り勉強し、テストの時実力を発揮できるようにする。 *苦手な教科をよく勉強する。 *だらだらとではなく、きちんとけじめをつけて勉強する。

試験終了後、簡単な反省を記して貰うことになっています。全員が目標を完全に達成できるとは限りません。しかし大事なのはその過程です。自分なりに自分の目標に向かって頑張れたのか、そこの所が大事です。何事もすぐに達成出来るものではありません。コツコツ努力すれば必ず成果は出て来ると思います。


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│ FORUM2-7 第12号 5月17日(金) │
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 15日朝起きると、喉がぱんぱんに腫れ、頭痛がして熱がありました。喉は痛くて口を空けるのもやっとでした。
 この日は、既に試験範囲の終わった英語が2クラスと遠足の班学習の2回目をやる学活の、3時間という比較的休み易い日でもあったので、思い切って休むことにしました。今年度最初の休暇です。私は、休暇を取った先生の補欠をつける係もやっていて、その日、他にも休む先生が居ることが判っていたので同僚の補欠係の先生には本当に「悪い」と言いながら補欠をつけて貰いました。
10時頃、近くの医者へ行きました。天気は素晴らしく晴れていましたが、私の身体は、歩くのさえ億劫です。薬を貰って、家でそれを飲んで一日寝ていました。
今日(16日)学校へ出ると、2年7組の生徒が4人も矢張り体調を崩して休んでいました。風邪が流行っているのでしょうか? 試験勉強の為にペースが狂うのでしょうか? 季節の変わり目だからでしょうか?
私自身については全く突然襲われたのです。まるでそんなこと思ってもみなかったのに、突然ダウンです。前の日、廊下で消火器をひっくり返した子がいて、それを片づける時に有毒な粉を吸って、しかもうがいをしなかったことぐらいしか思い付きません。あ、断っておきますが、これはわざとやったのではありません。なんかの拍子に間違ったということのようです。数年前、消火器やそれに類するイタズラが頻発しましたが、それとは違うようです。念の為。
確かに季節の変わり目なのかもしれません。
私は幼い頃から馬鹿でかい扁桃腺を持っていて、小学生低学年では1ケ月に1回、もう少し大きくなってからは季節の変わり目には必ず熱を出していました。それが欝陶しくて、手術をして扁桃腺を切ってくれと母によく頼んだものです。母親は仕方なく医者に連れて行ってくれましたが、まあ大人になればそんなに腫れることはないだろうということで、結局切らずじまいになってしまいました。母が色々脅したりして決意をくじけさせようとしたのを覚えています。というか、母は自分自身でその手術を怖がっていたのです。小さな子どもに手術をさせるのは自分がする以上に忍びないことだったのだと思います。私の母はそういう母親でした。
その母親も肺と脳の三度に渡る大手術をした末、昨年の今頃、22日に息を引き取りました。あれから早一年が経とうとしています。
大人になって私は母の目論見通り、そんなに扁桃腺を腫らすことがなくなりました。ただ、自分で意識しようとしまいと、無理するようなことがあると、てき面にこれが出てきます。煙草の飲み過ぎ、過労……。そういう失敗があるともう、直ぐです。だから私は余り無理をしないようにしています。これまで一度も入院することなく、結構ハードなことをやってこられたのも、この安全装置が付いていたからだと思います。これは亡くなった母が私に残してくれた生き方だったのかもしれません。
何事も身体あっての物種。無理は禁物。

 次はベイスターズです。私は、4月に行われた第1回の学年集会で自己紹介をする時、「今年期待することとして、これまでなかなか出来なくて今年出来そうなことがあります。それは横浜ベイスターズの優勝です」とトボケたギャグを放ちました。
そのベイスターズ、4月は本当に破竹の進撃で断然トップ。強豪ジャイアンツ、昨年優勝チームヤクルトスワローズ、重量打線のドラゴンズを寄せつけませんでした。しかしここへ来て陰りが出、中日に首位を取られてしまい、今日とうとう4連敗を喫してしまいました。横浜は6月までだからね、それがいつも決まりさという声もちらほら。しかし、ここで踏ん張って貰いたい。頑張って貰いたい。
 勝っても負けても優しいベイスターズファン。しかし勝てば、勝てば……… どうなるんだろう? そう! 良い思い出になる! 横浜市民の喜びが増す(かな?)。 頑張れベイスターズ!


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│ FORUM2-7 第13号 5月22日(水) │
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 毎日遅くまで殆ど全く休む間も無く働いて、家へ帰ってからもこうした学級通信のようなものを書いている私を見て、このFORUMを読んでくれている或る先生が、「お子さん達が大きくなって、お父さんのやる事が無くなって、その寂しさを紛らす為に書いているんでしょう」と冗談に言いました。それを聞いた私は、そうかもしれないと少し思いました。
私は前々回のこの場で、「学生が試験の勉強で奮戦するという姿は、基本的には変化していない」と書きましたが、それが家庭に与える影響もかなり大きなものがあると感じています。この春まで上の娘は大学入試の勉強をしておりましたし、下の娘はこの春から三年生となり高校の入試のことを考えるようになりました。勢い、机に向かっている時間が長くなり親と話す時間が少なくなっているような気がしています。
 同様にここ暫くの間、どこのご家庭でもお子さん達は定期試験の為に自分の勉強する所へ閉じ込もり、なかなか親と話したりすることが出来なくなっている状況が続いているかもしれないと思います。
親としては、勉強しているんだからいいかと一応安心ではありますが、一方ではこれでいいのかという気持ちにもなります。親を無視しているような風にも見えてきます。
特にお父さんには、そういう風な気持ちを抱く場合が多いのではないでしょうか。先ず時間的になかなか一緒になれない。家に帰ってからもお年寄りの面倒とかもあったり、疲れていたりとかなんだかだで、なかなか子供の面倒を見られない。第一、中学生の子供自身が親と話したがらないように見える。話題も感覚も違う。それに試験勉強という訳で子供が神経質になっていたりする。
 一般的に言って、少年期から青年期に入ろうとする時期は、すべての方面で大人としての新しい質を持った構造を再構築して行く時期であり、両親を含めた大人から自立していく過程であります。そういう彼らの位置をはっきり意識しておくことは大切です。
いたずらに自分の支配下におこうとしたり過保護過干渉は禁物です。
しかし、色々な事情に負けて、お子さんと接触しないようになっているとしたら、それは良い筈はありません。子供を信用することと放っておくこととは全く別のことです。
そして、自分も含め、父たるもの、一家の大黒柱としてひとつしっかり存在を決めたいものだと思います。自分の為ではありません。自分の我が侭を通そうとする位なら居ない方がマシだということにだってなりかねません。自分が子供の時、家庭はそんなじゃなかったとか、色々あるかもしれませんが、自分の家族は自分で責任を持つしかありません。……と、まあこれは主に独り言のようなもので、勿論、全く問題なくうまく行っている所も多いかと思います。また、お父さんやお母さんのどちらかが居なくて、一人で二人分のことをやっていらっしゃるご家庭もあります。そういう所はかえってうまく行っているかもしれません。
とにかく親と子とで構成している家族は、どちらの側もお互いを必要としているのです。どうやってうまい関係を作っていくのかは常に考えていなくてはならないことだと思います。

ちなみに私がこれを書いているのは「教育愛」と少々のおせっかいの成せる業です。

 試験に負けてはいられません。「点数よりももっと大事なこと」の一つが家族の絆です。お子さんが悪い点を取って来たらどうしましょう? 何処かのコマーシャルにあるように大笑いしますか? 怒鳴りつけますか? 答はその家庭によって違うかもしれません。ただ、この問題程、学校に返していただいて良い問題は無いでしょう。学校の勉強が判らないのか? 授業を真面目に受けているのか? 先生に相談してみろ等々、基本的には学校に返していただく筋の問題だと思います。
英語に関して言えば、生徒達の身に付けたと思っている知識(暗記事項)が不確実です。もっと小さく固くしっかりと頭に入っている必要があります。それには繰り返し練習し、英語に接する時間を増やすと良いでしょう。


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 │ FORUM2-7 第14号 5月27日(月) │
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 今回のテストの反省のダイジェスト。
 *案外勉強出来るもんだなと思った。180分よりもっと出来た。今度はもっと学習時間を増やしたい。*計画どうりに勉強することができてよかった。苦手な教科はあまりすすんでできなかった。でも1年と比べるとまだ勉強することができた。*今回は5日前位の時はちょっとあせってたけど2日位前になったらあまりあせらなくなった。なんでだろう? でもすることはやったのでけっこう良い結果が出そうだ! ちょっとしたミスが今回もあると思う。すごくくやしい。*数学がとても悪かった。*部活や習い事ではじめの方は予定通りできなかったので、余裕をもってもっと前からはじめていればよかった。*ほとんど集中してできたけれど集中力がとぎれた時もあったので、これからは最低2時間はピシッと集中できるようにする。*なんとか社会とか理科はノートに要点をまとめる所までいきましたが、数学などせっぱつまって充分な学習ができなかったことを反省しています。*予定通りに勉強をやらなかったのが多かったので、期末は予定がくるってしまわないようにしていきたいと思っています。*今までの勉強の中で一番学習時間が長かったので良かった。*次回テスト勉強の要領のヒントを得た。結果はともかく一生懸命やった自分に拍手したいくらい。*全体的によくできたと思う。まとめる時にもうちょっとカラーペンなどを使って工夫したらもっと良かったと思う。この反省をいかして期末テストもがんばる。*やるだけのことはしたのだが、なっとくいくような結果になるとは思えない。今回まちがえた所を次回のテストでまちがえないようにしっかり覚える。*自分ではいちおうやったつもりだけれど、もっともっとしなきゃいけないと思った。みんなもがんばっているから私もがんばろうと思う。

もっと具体的な事もありましたが、それは個人的な事項に属することなので省略しました。全体としてはけっこう頑張って勉強したんじゃないかなという印象を受けています。終わったらやりっぱなしにしないで、自分の足りなかった所、間違った所をしっかり補っておくことが大切です。試験をした際に最も重要な事の一つがそのことです。自分の弱点を見つけ、それを修復すること。
 同様に教師の側も試験によって自分の指導に対するチェックをする訳です。それも試験の役割の大切な一つです。生徒達に点差を付けたり段階に分けたりすることは本来の目的ではありません。一人一人の生徒の到達段階を知り、全員をそれぞれの目的の水準に迄持って行く参考にするのが本来の目的です。ですから全員が満点であっても少しも不思議はないのです。寧ろその方向を目指している訳です。
勿論、だからといって問題を易しくするというようなことではなく、自ずから教科の到達目標というものがある訳で、それを個々人にまで具体化し、達成させようと教員は努力をしている筈です。ですから、勉強のことはなんでも遠慮無くその教科の先生に聞きに行くべきだと思います。教員はその教科を教えるプロです。必ず納得の行く説明がある筈です。
私が外国で一番関心したのは病院です。設備の雰囲気がお客(患者)の立場に立って出来ていることや、何度も足を運ばずに僅かな回数で済むように治療してくれること等もありがたいことでしたが、どんな病院でも共通していて驚いたことは、医者が本当によく説明してくれるということです。患者の知りたいあらゆる質問に答えてくれます。もっと知りたいことは無いのかというくらいに親切丁寧に相談に乗ります。私はそこに本当のプロ意識を感じました。
 日本の病院も幾分改善されてきてはいますが、やはりどこか尊大でもったいぶった、お役所風とでもいうような所が存在しているような気がします。学校は、マスコミやその他の猛烈な運動の成果として、強権的な感じはとっくに無くなっていますが、その役割の認識についてまだ未整理な状態が続いています。
その問題に関してはもっと議論が必要でしょうが、最低、授業とそれにつながる教科の指導、これに対しては家庭が学校に頼って良いものだと思います。私は毎年、希望による「教科ごとの三者面談」を提案していますが、そういうことを含め、親御さんがもっと教科に立ち入って説明を聞く機会を得る知恵を出していただけたらと思っています。また、そういう特別な機会が無くとも遠慮無くご質問やご相談をしに来ていただけたらと思います。


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 │ FORUM2-7 第15号 5月31日(金) │
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 どなたかご存知の方いらっしゃいませんか?
福沢諭吉の確か「人生十訓」とかいう題名のついた言葉で、『世の中で(人生でだったかな?)一番大切なことは何々です』というようなことが十箇条書かれているもの、お土産物屋で売っている暖簾等に書かれていたりする文章。あれを知りたいと探しています。
図書館や本屋へ行って探したり、先生達に聞いたりしていますが、なかなか見つかりません。もしご存知の方がいましたら是非教えてください。
福沢諭吉は慶応大学の創始者として知られている人で、私はフクちゃん帽の方でしたから、大学野球では相手側だったのですが、大隈候にまさるとも劣らない偉い人だったと思います。
 「福翁自伝」で彼の勉強ぶりが描かれています。新しい知識を求め常に国際的な視野を持って貪欲に学習する姿勢、冷静に自分というものを持ち続ける態度には敬服します。柴田恭平の演じた映画では外で幕府軍と薩長軍とが戦っている時、彼が教壇で講義を続ける姿がクライマックスになっていました。
何故彼の言葉を探しているかというと、その中に「世の中で一番寂しいことは人をうらやむことです」というような言葉があったように記憶しているからです。時流に人一倍敏感だった彼ですが、常にマイペースで自分の人間らしさを大切にしました。又、或いは「ねたみ」「そねみ」の感情が四民平等の社会ではかなり支配的な悪感情になるという予感があったのかもしれません。或いは、人間を滅ぼす悪業の根本的な一つとしてそれが存在すると感じていたのかもしれません。
人はどうあれ、自分で納得した生き方を生きるという気持ちは大切なことだと思います。人が、必ずしも皆、自分の考える正しい生き方をしているとは限らないからです。
又々海外での経験談で恐縮ですが、向こうで滞在している日本人は、会社の宣伝もかかっていること等もあるのでしょうが、日本での生活に比べ、数段豪華な暮らしをしている場合が多かったのです。特にサウジでは、日本人や高額所得者は大きなオフィスを構え、昼日中、外で仕事をすること等はありません。しかし日本人学校の教師は炎天下の校庭で真っ黒になって働きます。ですから、ちょっと見ると現地にいる日本人よりも外で働いているフィリッピン人等のワーカーに似て見えます。経済的にもそれ程良い訳ではありません。
狭い日本人社会で生きる家族にとっては、△△会社の誰々さんはこんな暮らしをしている! ○○商事の誰々さんっていいなあ! とかという気持ちが、ともすれば出て来たりします。日本に居る時には考えられないような感情です。そんな時、福沢諭吉の言葉が思い出されたものです。
日本で生きていても、例えばコマーシャルとか近所の人々の動向とかで、服装とか食物とか生き方そのものさえも、知らぬ間に誘導されているということがあるかもしれません。そういう事柄については矢張り自分の納得した選択をしっかりしたいものだと思います。
ただ、同時に心にとどめておかなければならないことは、良いものは良い、美しいものは美しいと素直に感じられる心です。同じものを見ても、そこに素晴らしさを感じられるか感じられないかでは、人生の喜びの度合い違ってくると思います。その為にも、邪まな思いで汚されない澄んだ柔軟な心が求められるのでしょう。
同じ学級で学習する過程の中では、様々な感情を体験する機会があります。優れたものに出くわした時、素直に優れていると感動し、決してひがまず、自分は自分のペースでベストを尽くす。そういう人間達の集まりでありたいと思います。





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