法門無尽 福井孝典ホームページ

2010/11/26(金)17:12

初めての中国旅行

旅行(43)

 蘇州・上海4日間の旅行をしてきた。行く前、尖閣問題で日本人旅行者はキャンセル続出だとか日本人と見られれば敵意を投げつけられるかもしれないだとか、冗談も含め色々心配があったが、現地ガイドのお陰もあって、興味深く快適な旅を楽しめた。妻も日本にいる時に比べ、ずっとよく食べ、歩き、アルコールを飲むことさえできた。中国の活気が伝染したかのようだった。長い間、私たちの頭にあった中国は、人民服と自転車が溢れる街であった。さすがに現在そういう風景でないことは認識していたが、最新式の自動車と二輪車と歩行者がそれぞれ主体的に交通する道路風景は、スリルに富んだダイナミックなものだった。クラクションを頻繁に鳴らしつつ、ステアリングを右に左に切りながら、隣接の車すれすれに、飛び退く歩行者を避けて走る車。アクション映画さながらだ。しかしこれに近い体験は、四十年程前の日本で感覚したことがある。あの頃はよくクラクションを鳴らしたものだった。今は殆んど聞かないが。そう。日本の高度成長からバブルにかけてと同じような熱気がここにある。今、中国では1年に1000キロ、ちょうど日本の高速道路網と同じ位の高速道路が出来あがっているという。大陸を真っ直ぐに延びた片側4車線の立派な道路を、世界各国製の自動車が疾走している。道路からは高層ビルやライトアップされた広告塔が見える。  日本の急成長期、アメリカの議会や米国地場産業がヒステリックに反応してきた姿を思い出す。その時、日本の国民は少し得意な気持ちもあったが、そんな反応なぞに眼をくれる余裕も無く、精一杯その成長に自分の生活を合わせてきた。きっと中国の人たちも今そういう状況なのだろう。  オリンピックから万博へ。その行事自体が日本人にとって直接、眼を世界に向けるきっかけとなった。自分にとって東京オリンピックは文明開化ほどのインパクトをもたらしたものだった。単純にアナロジーすることは問題もあろうが、現在の中国のエネルギーに直に触れると、どうしてもその頃の日本の様子が思い出されてきてしまうのだった。

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