|
カテゴリ:カテゴリ未分類
天正6年(1578年)耳川の合戦で大友勢に大勝した勢いを駆って島津勢は筑前侵攻を目指します。ついに、天正14(1586)年、島津義久は高橋紹運(たかはし じょううん)が立てこもる岩屋城を取り囲みます。一説によると、島津軍5万の大軍に対し、城方はわずか700余名と伝えられ、14日間におよぶ激闘のすえ、岩屋城は陥落し、紹運以下将兵は玉砕しました。紹運辞世の句は、「流れての末の世遠く埋もれぬ名をや岩屋の苔のした水」でした。 ★岩屋城跡は、四王寺山頂上付近にあります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年06月17日 11時00分06秒
|
|