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太宰府天満宮の北西、四王寺山の山道の途中にこの案内が建っています。伝承によると、遣唐使として派遣された僧円珍(えんちん)の弟子たちによって天安2年(858)に創建され、後に菅原道真の葬儀にあずかったといわれています。南北朝動乱期には、室町幕府をひらいた足利尊氏がここに入ったと伝えられています。寺の周りには八つの坊(僧侶の住居)が建ち並び、俗に原八坊と言われました。その原八坊も、岩屋城の戦いで灰燼に帰してしまったのでした。それにしても、このあたりは浦之城という地名があり、原山あるいは無量寺とは言いません。なぜでしょうね? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年07月18日 14時55分01秒
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