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カテゴリ:生活雑感・グルメ・健康・その他
私は精神的なキャパが少ないためか極力、かかわりを持たなくても良いことは
かかわらないで済ませるようにしている。職場で遅刻する人間をたしなめたり、電話の返事が遅いと文句を言っているうちに退社近くになると精神エネルギーが枯渇してしまう。 そこで帰りに立ち寄った港区高輪図書館で高校生がたむろして、がやがやさわいでいても、たしなめるわけでもなく、他のおじさんが「うるさい!」と一喝するのに感心することになる。 そういえば私は、ギリシアはアテネのヒルトンホテルの1階のレストランで、入り口近くの暗い席に案内されても「まあいいか」と文句を言わなかったし、 福岡は中州のホテルの1階のレストランで座席のシートが汚れているのを注意もせずにそっと座席を変わって、もうこのホテルに来ることはないだろうと思ったりしているので、精神的キャパ以前に、そもそも私はかかわりを持つことが苦手なのかもしれないと思う。 成人した男子がこんなことでは世の中は良くならないだろうとも思う。 ところで、山田風太郎「眼中の悪魔」だが、ネタバレを避けて抽象的に紹介する。 安定的な関係にあった女性と夫、兄の3人の関係がギクシャクしてくる。主人公はその原因を知っているのだが黙っている。その理由は主人公がこの女性に失恋したからだ。そして主人公が予想したとおり3人とも死に主人公は自分こそが殺人者だと良心の呵責に悩むのだ。 厳密には主人公は3人への言葉の中に毒を入れているのでかかわりを持っているのだが、「不和の原因を告げる」という本質的なところではかかわりを持たないことで主人公にとっては3人の破滅という結果をもたらしたのだと思った。 すいません、理屈っぽい解説で。本当は、山田風太郎の小説って理屈ぬきで面白いのです。 関連ブログ: 吉梨浅慮愚考録 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
December 23, 2005 09:22:36 AM
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