2025年3月11日 反原発。
ラストスパートで、終わりが見えて来た剪定作業中、14時46分、ここ甘楽町でも黙祷の放送が流れました。2011年3月11日午後2時46分、プロレスデビュー1年目だった私は新宿スポセンでウェイトトレーニングしてました。ちょうどベンチプレスしてて、目眩おこして平衡感覚がおかしくなったかと錯覚しました。その後も何度かゆれましたが特に皆さほど気にして無かった様に思います。その後、歌舞伎町の居酒屋で普通にバイトしましたが全然お客さんが来ず、なんだか凄い事になってると皆んなで話してました。東京在住時は都内なら常に自転車移動だったので、新宿から中野の寮に自転車で帰ってると夜中なのにどこもかしこも歩行者で溢れかえってました。都内に住んでいると、自粛だったり、物流の停滞だったりとそれなりに色々ありましたが、それでも直接、震災の被害は無かったしその当時は遠い所で起きてるどこか他人事の出来事でした。20代後半から、プロレス以外の仕事もしたいと思い、大学の時に勉強してたこともあり興味もあった畜産関連の仕事に従事。そこで放射能汚染から国からの殺処分に抗い続ける希望の牧場の存在を知り、群馬県で猟師に辿り着いた今、またジビエの残留セシウムの問題に直面しています。原発に怒りを覚える一方、人類へのしっぺ返しとも感じるし、それまで何も考えず享受して来た人間が批判だけするのも滑稽。今だって、国内の数パーセントが原子力発電で構成されてる中、ライブハウスのマイクで反原発訴えても説得力に欠けるなと。