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テーマ:短編小説を書こう!(490)
私は目の前で喉元にナイフを突き立てている女性を
必死で止めようとしている。 しかしそれはかなわない。 その女性は狂ったように 己のか細い喉にナイフを突き立てて 盛大な血飛沫をあげて こと切れる。 かと思えば またむくりと起き上がっては また喉にナイフを突き立てる。 そして痙攣しこと切れる。 そして起き上がり…… 先程からひたすらそのサイクルを繰り返している。 異様である。 女性は この世の者とは思えぬ 血を這うような荒い息遣いをしている。 平時はきっと 息を飲むように美しい女性であろう。 部屋も大きく裕福な家庭に大切に育てられていたのではないだろうか。 しかし涙に塗れたその目は血走っていて 苦悶に歪むその顔は 鬼の形相のように見える。 死に向かう者の顔とはこんなにも恐ろしいものなのだろうか。 私はそれを制止しようとするがどうにもならない。 彼女に触れることすらも出来ない。 彼女は誰かも分からない。 まてよ。 私は私のことさえも分からない。 男性であるということしか分からない。 私の存在は希薄なものになっている。 悪い夢でも見ているのだろうか。 延々と繰り返される その女性のおぞましい 「奇行」に悩まされていると 背後から声がした。 「やあ、どうもすみません。お待たせしてしまって。」 妙にかすれた声がする方に目をやると 一人の青年が浮かんでいた。 「ああ、それはバグですね。 気持ち悪いっすよね。 本来生きなきゃいけないのに自分で無理やり止めちゃうと たまにそうなっちゃうみたいです。 まあ、私も頭悪いんでその辺の詳しい仕組みはよく分からないんですけどね。 彼女はしばらく自死を繰り返すことになります。 可哀そうですがね。」 私は状況を把握できずにいる。 「えっと・・ すみません。 申し遅れました。 私は黒丸と申します。 突然ですがあなたは亡くなりました。 誠にご愁傷さまです。 私がこの先ご案内をさせていただきます。」 嫌に事務的で無気力な口調だった。 突然そんなことを言われても 到底受け入れられない。 この男には聞きたいことが山ほどある。 私は誰でここがどこで 一体何故私が死んでしまったというのか。 何よりこの不憫な女性は何があったというのか。 「あ~・・ すみません。 私の不手際で遅れてしまいまして 取り敢えず出発しましょう。 目的地に着いたらお話しますから。 本当すみません。」 ぼさぼさ髪の青年が ぼそぼそと喋る。 合わそうとしない目線は虚空を見つめている。 その目は落ちくぼんで妙に黒い。 着させられたような黒い喪服をぎこちなく着ている。 やむを得ない。 私は決心して そのいかがわしい青年についていくことにした。 もうこれ以上 ひたすら自らの喉に 刃を食い込ませる女性の 姿を見ていることもできない。 「さすが、話が早くて助かります。 重い身体から解放されるんで 最初は結構気持ち良いと思いますよ。」 体が軽い。 宙を舞う。 直感のように 私は世界を動くことが出来る。 どこまでも自由な高揚感。 この男の言う通りだ。 気持ちよい。 今まで味わったことのないような 幸福感に包まれる。 「すみません。 亡くなった直後というのは 円滑にご案内をさせていただくために 一時的に生前の記憶と肉体、 それに伴い 喋ることも制限させていただいております。 もうすぐお返ししますから。」 ぶつぶつと何かを一人で呟いている 黒丸の後に従って しばらく飛んでいると禍々しい門前までやってきた。 「着きました。 この先は地獄です。 お疲れ様でした。 それでは、 生前の罪状を読み上げます。 強盗目的で民家に侵入。 さっきの娘さんの御両親を惨殺。 その後帰ってきた娘さんに 様々な罵詈雑言及び性的暴行を働いた後、 サバイバルナイフを手渡して 自死を促した後、 逃走を図る途中で あなたは交通事故で亡くなりました。 先程の娘さんは精神的に強いショックを 覚えてしまい そのナイフで自死をしてしまいました。 この門をくぐったら記憶をお返しします。 何万年とかけて その行いを悔い改めて下さい。」 ボサボサ頭はそう言うと ゲラゲラと笑いだした。 漆黒に落ちくぼんだ目は 大きくなり顔を覆い隠さんばかりのものに なっている。 …………私は、そんなことを。 そんな大それたことを。 先程の女性の惨たらしい表情が脳裏に浮かび 私の心は凍てついた。 全ての原因は私にあったのか。 にわかには信じ難い。 受け入れる他あるまい。 たとえこれが夢だとしても。 私が起こした罪により、 死して裁かれるというならば 受け入れる他あるまい。 しかし、恐ろしい。 地獄とは。 どのような目にあうのか。 想像もつかない。 それまで 視線を逸らしていた青年の漆黒の目がはっきりと 私の目を捕らえている。 ゲラゲラとした悪魔のような笑い声は次第に大きくなっている。 まるで漆黒の闇に飲まれていくような 凄まじい恐怖に脚がすくみ 震え出した。 扉が開く。 「さあ、共に苦しもう。 体を返すぜ。」 漆黒の目をした青年が言った。 扉の中に入った瞬間 私の記憶は蘇った。 「やっていない! 私はやっていない! 誰も殺してなんかいない! はっ!これは私の体ではない! 私ではない! 助けてくれ! 誰か! 助けてー!」 無骨な鬼たちがやってきた。 私と黒丸と名乗る青年は 鷲掴みにされる。 先ほどまでの解放感はなくなっていた。 なくなったはずの肉体が生じ 骨が何本も折られる感覚があった。 鬼の手の中で醜い音を立てる 黒丸と名乗る青年も苦痛に顔を歪ませながら叫んだ。 「残念だったな。お前は本来天国に行くはずだった男だ! 反吐が出る! 偽善者め! まあ一緒に楽しもうぜ。ひっひっひ! ぐあああああああはっはっはっ!」 とある事務所にて。 そこでは大勢の人々が 忙しなく働きまわっている。 その中の一室で とある男性が面談を受けている。 「あなたの死因ですが……。 仕事帰りで 夜道を歩いていたところ ある家の前で絶叫を聞き家の中へ。 殺害された夫婦の遺体を発見した後、 ある部屋の一室で自死を図ろうとした女性を止めようとして ナイフを奪おうと揉み合ったところ錯乱していた女性に心臓を一突きされてしまった。 その後は女性も自死された。 ということですかね。」 「間違いありません。 女性の死を避けることが出来なかったのは 私の責任です。 残念でなりません。」 男の顔はうっすらと涙を浮かべている。 「あなたは常に自らの欲を律し 人のためならんと行動していたようだ。 家族、親友、友人たち、職場の仲間。 あらゆる人からの信頼も厚い。 生前の行いは素晴らしいの一言に尽きます。 貴方の死により多くの方が涙したことでしょう。」 「いえ、私にとっては当たり前のことをしていたまでです。」 「あなたを天国へ導きます。 歓迎します。同士よ。」 「ありがとうございます。」 (うまくいった。 俺は本当に誰かと入れ替わることが出来たようだ。 黒丸とかいうボサボサ頭の男の力のお陰だ。 俺は金持ちの家を狙った 強盗殺人犯だというのに天国にいけるなんて。 天国へ行くはずだったその「素晴らしい」誰かは 私の罪を被って今頃地獄というわけか。 ご愁傷さまだ。 いや、しかし私は天国に来たからには 果たさなくてはならない。 黒丸との約束を。 今思い出してもゾッとする。 あの凄まじい怨嗟のこもったあの言葉を。 「なんとしても天国を地獄にしろ」と。 そのための力は黒丸からもらった。 ヤツの思考も入り込んでくる。 楽しくなりそうだ。) 男の口に笑みがこぼれた。 そして男の目は ゆっくりと円く黒く落窪んでいった。 肉体がめきめきと音を立てて 大きくなっていき 頭からは巨大な角が生えていき 針金のような毛が 巨躯を覆っていく。 (この体はすごいぞ。 私は何だってできる。) 空には虹がかかり澄み渡っている。 鳥たちは歌い 木々は揺れ 見たことも無い花々が華麗に咲き誇る。 誰しもが幸福に心踊らせている。 (この世界も反吐が出る。 どいつからいたぶろうか。 いや、あいつに言われたように 力任せではダメか。 天国の内部から ゆっくり時間を掛けて破壊していく必要がある。 まずは人間を強欲で 自己中心的な快楽主義者にしたて上げることからだな。 悪いやつが得をする世界にしないと。 やがて疑心暗鬼に陥らせて徹底的に孤立させる。 要は欲にまみれた 下界の連中と一緒にすれば良いのか。 簡単な事だ。 下界なんて 既に地獄というわけだ。 はっはっは! は?) 「あぁ……分かってますよ黒丸さま。 うまくやるさ。 この世界の人間の 醜い本性を暴く手助けをすれば良いのだな。」 そう呟くと その「鬼」となった男は、 息を呑むほどに美しい 天国の夕暮れの中で 深い闇を身に纏い とある影の中に溶け込んでいった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.07.09 19:25:03
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