その9

その9      5月23日のテディーベア

1999年4月25日に、わたしの父は亡くなりました。
疲れがたまっていたにせよ、元気に現役で活躍していた父。
1ヶ月足らずの入院の末、とうとう帰らぬ人となりました。
医療機器につながれ、薬で眠らされていた父とは、何の話しもできないままの
別れとなってしまいました。

わたし以上にショックを受けたのは、やはり母でしょう。
実家の居間にある、父専用の大きな椅子を眺めては
「この間までそこにいつも座っていたのに、もう永遠に座ることもないのね・・・」
というようなことを、毎日のようにつぶやきます。

亡くなってから約1月、父が生きていれば67歳を迎えるはずの5月23日。
この日、母は電車で10分ほどの街に買い物に出かけ、わたしは留守番をしていました。
昼過ぎにその母から電話がかかってきました。
「あのね、デパートでくじ引きを引いたら、特賞が当たって、いやいや違うわよ
旅行とかじゃなくて、クマのぬいぐるみなの。とっても大きい、テディーベアって
いうのかしら・・・。」
大きいから持って帰るのが大変、電車に乗るときおかしくないかしら、
というようなことを、くどくど言います。
大丈夫だから持って帰ってきて、と言い電話を切りました。

母は懸賞やくじ引きにはおよそ縁のない人です。
わたしは懸賞が大好きですが、母はまるで興味がないのです。
勧められて仕方なく引いたのに特賞というのはどういうことでしょうか。

えっちらおっちらテディーベアをかかえて帰ってきた母は、それを
父の椅子に座らせました。大きなテディーベアなのでぴったりおさまります。
「ママがあんまり、いつもここにパパが座っていたのにどうのこうのと言うから、
パパきっと心配してこのクマをよこしたんじゃないの?今日ってパパの誕生日だし」
母は「きっとそうなのねえ・・・それにしても・・・」とまだなにか言いたそうです。

その母の思いがなんであるかわかったのは、それからいくらもたたない
ある日でした。この日父の荷物を整理するために、父が新しく移るはずだった
某大学の研究室に行ったのです。前の大学の研究室から、たまりにたまった
荷物をとりあえず箱詰めにしてこちらに送っただけの状態でしたから、
その後の整理の大変だったこと・・・。

それはともかく、わたしが驚かされたのは、なぜかこの大学に
母が当ててきたテディーベアと同じようなクマのぬいぐるみがそこここに
置かれていたことです。なんでもここの学校は、今までの中等部、高等部に
加えて、その春に大学を新設したということでした。
新設された唯一の学科は、観光学科。ということは、ここの
学生さんたちは、いずれ観光業界で働くことになります。
お客様に尽くす職業ですから、忍耐ということも要求されますね。
ということで、Bear「クマ・耐える」という両方の意味を持つマスコットを
採用したそうです。

学長さんの部屋にも、大きなテディーベアが置かれ、この方が留守のときには、
その椅子に座らされているそうです。
そんな場面を父も当然見ているはずです。
実家にやってきたテディーベアは、父の心遣いなのだと思います。

今では、はじっこの椅子に追いやられている実家のクマちゃんですが、
目にするたびに父を思い浮かべます。
そう言えば、若い頃のころころした父に少し似ているような・・・。



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