利休七則
私が働いている組織の恐らく直にお会いすることないかなり上の方が人事異動で替わられまして。その就任のご挨拶がメールできました。そのご挨拶はなんとも私の心に響くものでこのような方が評価される会社は、まんざら捨てたものじゃないなあと嬉しくなりました。その中に「利休七則」について触れられており、その奥の深さにまだまだ学ぶべきことはあると、改めて襟を正した次第でございます。で、ちょっと調べてみました。 <利休七則>茶は服のよきように炭は湯の沸くように夏は涼しく、冬は暖かに花は野にあるように刻限は早めに降らずとも雨の用意相客に心せよある時とある人が「茶道とは何ですか」と利休に尋ねたところ、この七則を語り、これがすべてです」と応えたとのこと。尋ねた人は「そんなこと、私にもわかっとります。三歳の子供でもわかりますがな」と怒ったらしく。それに対し「あなたが本当にこの通りできるならば、私が弟子になりましょう」と応えたとのこと。言うは易し。行なうは難し。この七則をどう解釈するのか。その解釈の仕方で、人としての有り様が試されている気がします。まず「茶は服のよきように」この「服」とは飲む事を指し、「お茶はお客様にちょうど良い加減に点てる」ということになるようです。これはその時、その場所の季節や気候、そしてお客様の体調や気分を察して、「そのときのお客様にとって一番良いお茶をさしあげる」ということで、決して自分の点て易いようにお茶を点てるのではなく、そして単にお客様の好みに合わせるのでもない。むっ難しい。。。相手の気持ちやそのときの状況を常に考えて行動するようにしなはれ。と今の私は解釈します。「炭は湯の沸くように」「炭は湯がいい按配に沸くように予め置く」となるようです。客前でお茶を点てる場合、一旦火をおこし、釜をのせた後では、炭を組み替えたり継ぎ足したりできません。火力が一定なら水の量や釜蓋の開閉でお湯の温度を調整することは可能ですが、下手に炭を置くと火力が維持されずとんでもないことになります。よって、最初の炭の置き方が非常に重要ということです。あらかじめ最良の状態に炭を置く。そのためにはかなりの経験と、技量が必要すね。。「夏は涼しく、冬は暖かに」当時、室内を快適な温度、湿度にするには叶わないことであったので、耳や目で、そして感性で涼、暖を感じさせるということはとても思いやりのあることであったと思います。実際には触れなくとも、水や氷を連想させる、あるいは火や陽の暖かさを感じさせる。それが趣っつうものですね。演出する亭主が「心」で環境の調整をする。お客様はその趣向に気づいたら、その気遣いに嬉しくなるしもし気づかずでも快適にすごせたら、これはもてなした亭主の勝ち。その趣向を得意げに浪々と語るなんて、もってのほかです。(こんな人まわりに結構いるけどさ)「花は野にあるように」これは花が実際に咲いていた状態を再現する、ということではなく、その花の本質を見抜き、それを表現するということのようです。余計なものを省くと、逆に想像が膨らむところに意味があるようです。本質を知り、余計なものを省く。私の大きな課題です。「刻限は早めに」ここでいう刻限とは時間に対する意識を指すようです。「常に自分の中の時間を少し先に進めておく」そうすることで現実との時差が生じ、それがゆとりになる。ゆとりがあると、焦ることなく平常心を保てる。そして、人のことを考えて行動できるようになる。なるほど。。「降らずとも雨の用意」「備えあれば憂いなし」は自分に対する憂いですが、ここでは不意の事態に対してお客様に「憂い」を持たせないため、自分が不測の事態を想定しておくことを言っているようです。そのためには相当色んなことを想定せんとあかんですね。「相客に心せよ」相客とは同席した客を指し、「同席した人に気を遣いなさい。」ですね。同じ場所に居合わせたらお互いに気を遣い、思いやる。これは一期一会に通じますね。その縁を大切にする。「あなたができるならば、私が弟子になりましょう」こう説きながら、このようにおっしゃる利休。できないを知る。深いっす。