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2015.02.14
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松阪高校および津高校の校訓は「自主自律」である。
「自主自立」ではない。そこのところを踏まえて「自律」と「自立」について考えてみる。

まず、辞書における両者の意味はこうなっている。

「自律」
1. 他からの支配や助力を受けず,自分の行動を自分の立てた規律に従って正しく規制すること。
2.〘哲〙 〔ドイツ Autonomie〕 カント倫理学の中心概念。自己の欲望や他者の命令に依存せず,自らの意志で客観的な道徳法則を立ててこれに従うこと。

<対義語>他律

「自立」
1. 他の助けや支配なしに自分一人の力だけで物事を行うこと。ひとりだち。独立。 「親もとを離れて-する」
2. 自ら帝王の位に立つこと。

<対義語>依存

学生にとって自立、特に金銭的自立は難しい。目指すのは自律である。

 では、学習において「自律できていない」とはどういう状態か。
 まず、自分の進路を含め、自らのするべきことや、目的がわかっていない。または決められない。こういう状態があるだろう。自分を律するためには、当然、自分の行動を規制する「信念」「目標」「計画」そういったものが必要となる。何が自分にとって一番大切なのか。自分が大切とするもの、それを成し遂げるために、守るために何をするべきなのか。それがわかっていないのならば、自分を律することはできない。一貫性のある行動がとれるわけもない。
 次に、自ら決めたことを自分で守れない状態も自律できていない状態であろう。「3日坊主」「竜頭蛇尾」、いろんな言い方があるが、要は目的、計画はご立派だが、それを持続できていない状態である。
 息抜きをするなとは言わない。365日24時間、なすべきことだけに集中しろとも言わない。中学生には中学生の時にしか、高校生には高校生の時にしか、大学生には大学生の時にしかできないこともあるだろう。それも貴重な経験だ。そこから得るものもまた大きい。
 しかし、本当に自分が「やりたいこと」「すべきこと」「大事なこと」がはっきりとあるのならば、どんな経験であれ、経験したもの全てが、そこに収斂していくはずだ。

「ちょっと気になってただけだよ。何が大事かってこと、お前の中でブレてねぇかって・・・。(ドラマ「ウロボロス」より)」

大人にとって、しようと思えば自立はたやすい。しかし、しようと思わなければ自立できない。だからこそ目指すのは自律である。

 大人になれば、目的に見合った財力があれば自立はたやすい。お金があれば、自分のやりたいことはたいていできてしまう。だが、そこに規範となるものが見えないならば、いわゆる成金のように世の中から白い目でみられるような下品で卑しい行為とも見られる。
 また、マクロな視点から見れば、人が完全に自立して生きていくことは難しい。仕事は言うに及ばず、衣食住全てを他人の手を借りずに自ら賄うことは不可能だ。それぞれが社会の中で役割を持ち、それを果たすことで共存している。だから、ここでいう自立とは、対義語である依存から考えて「他人に依存している状態、自分のするべきことが他人の力に左右される」といった状態ではないと考えてほしい。「共存自立」とでも言うべきか。
 どこまでが依存で、どこからが依存でないかは難しい。年齢によっても違う。例えばどこかに移動したい時、乳児であれば泣いて親にたよるしかない。高校生ともなれば、自分で行き方を調べ、移動手段を選択し、自分ひとりでそこに辿り着くことができて当たり前である。行き当たりばったりで、事前のアポもなく、夜中に突然迎えを頼むのは甘えでしかない。成熟度に見合った自立というものがあると私は考える。一般に、自立できていない大人を指して「いい年して~」と言われるのもそこである。
 それならば、「自分はどういうレベルにいたいのか、どういう大人でありたいのか」という行動規範なしに、自立は成り立たない。つまり「行動規範をたて、それに基づいて行動する=自律」が自立には必要なのだ。

さて、ずっと放っておいた「自主」である。
「自主」の辞書的な意味は、他人からの干渉、保護を受けず独立して事を行うことである。


残念ながら、「自律」も「自立」もできないのならば、その度合に応じて、親を始めとする保護者から保護されるのは当たり前で、干渉されるのも致し方ない。だからこそ世の中的には、子どものすることには保護者の同意が必要とされているのだ。

以上、自主はともかく、自立も自律も禁煙もできていない私がお送りしました。

*推敲をほとんどしていないので、後で訂正するかもしれません。





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Last updated  2015.02.14 16:48:23
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