松阪市の学習塾・双葉

2015/04/25(土)21:55

塾代表紹介

塾代表(1)

塾代表の福島です。 塾長ではありません。当塾は「ナカシマ塾」の系譜を汲むものであり、塾長は「中島福子先生」です。私はあくまでも現在の塾を代表する立場として存在します。 ■プロフィール (地元で開塾しているので、格好良く取り繕っても無駄。ということで、ありのままに書いております。) 〓小学生時代〓 いじめられっ子であった。 故・長島恭子先生との交換日記を卒業まで続ける。 現在の作文指導の原点となっている。 小学5年生までに図書室の本を辞書以外ほぼ読み終える。 中学時代一切勉強する必要がなくなる。 某H先生より「あいつは勉強のできる気違いだ。」とのお言葉を戴く。 〓中学生時代〓 心機一転、「ヤンキー側」に転身する。たいしたことはしていないが勉強もしていない。 おかげさまで、友人から「お前、高校どこいくん?」との問いかけに「まつこう」と答えれば「松阪工業か?」と言われ、「違う違う なんこうや」と言えば「ああ、飯南高校か」と言われる始末。 川田公也先生(現・三雲中学校長)から「お前は東大か刑務所のどっちかに行くやろうな。」とのお言葉を戴く。 しかし、現在「東大か刑務所」ではなく「食っていけるかいけないか」のハザマで揺れ動いている。 たまたま遊びに行ったナカシマ塾で、中島先生から「大学生になったらバイトに来てくれ。」と言われる。この言葉で人生が大きく方向転換する。 〓高校生時代〓 バスケットボールと麻雀にはまる。勉強はしていない。 高3の1月2日までバスケ部の後輩指導にあたる。 その結果、当然浪人生となる。 〓大学生時代〓 小学校からの夢「医学部」に疑問が生じ、近いからという理由で「鈴鹿医療大学」に進路を決定する。その際、国立大学の2次試験をすっぽかすが、センター試験選抜とやらで受けてもいない大学に合格する。結果、国立に行かせたい父と大げんかになる。 ナカシマ塾でのバイトを始める。 冬期講習に明け暮れていたら、冬休みに行われていた実験に気づかず、留年するハメになる。 〓その後〓 ナカシマ塾に就職する。 一度大きいところを見てみたいと「星伸スクール」に転職する。 教室長を打診されるところまで行くが、ナカシマ塾に戻る。 ナカシマ塾・高校部代表になる。 中島先生ご逝去に伴い、遺言に従ってナカシマ塾を受け継ぐ。 現在に至る。

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