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松阪市の学習塾・双葉

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ナカシマ塾という塾

2016.06.18
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夕方電話があり、「はい双葉です。」と応答すると「その声は福島先生ですね。お久しぶりです。」と…。

名乗られた苗字にピンと来ない。

それでも、顔を見ればわかるだろうと「暇してるからおいでよ。」と言う。

電話を切った後も考え続ける。

「こうすけか!」

コウスケは、進路を考えるとはという話をするときに今でもよく話題に挙げる生徒の一人だ。

自分の好きなことから入り、好きなことができる大学を選び、大学の格なんてものを飛び越えてマツダ本社に採用された。

マツダに入った時に連絡を受けて以来だから、10年ぶり以上になる。

結婚して子どもが2人、今でも趣味としてバイクレースに出てるんだそうだ。

あのF1大好き、メカ大好き小僧が立派になった。


アメリカに2年の赴任を命じられたそうで、そのビザをとるための帰省ついでに前々から寄ろう寄ろうと思いながらも、足が遠ざかっていた塾の門をくぐったということらしい。

昔話と今の話で2時間ほど話した。
当時のまい先生の裏話も少し聞けて、心がほんの少し暖かくなった。

昔の塾生と話しているとやはり思う。
こいつの子どもなら教えたいなと。

しかし、そう思う生徒ほど松阪にはいないことが多い。

それが、田舎の塾の宿命といえば宿命。

三重に日本を代表する教育機関も企業もない以上、力をつけた生徒は県外に旅立っていく。

だから塾で講師になってほしい、親子2代にわたって付き合いたいと思う生徒ほど近くにいなくなる可能性が高くなる。






Last updated  2016.06.18 23:30:30
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2016.04.29

GW

山上さんの強襲と招集によりGW麻雀が始まる。

伊藤ちゃんの毎回の欠席が重なり、長期休暇の麻雀も開催がなかなか難しくなってきた。

れいめい塾は大家族のような塾をやりたかったのだと聞いている。
私もまた、同じようなことを考えていた。
塾生どうしの縦のつながり、横のつながり、さらには塾生の友人とのつながり、そうやって人の和が広がっていけばいいなと夢想していた。

れいめいブログより

陽平チャン、返す刀で娘のれいに話しかける。「お父さんは魅力的な人やからさ、塾を卒業してしばらくたってもこんなふうに集まってくる」 宏樹もサポート、「結婚式で塾の先生が挨拶するなんてふつうはないよ。先生、今度仁志(13期生・美津濃)の結婚式の挨拶、順番は?」 「一番最初や」 「そりゃ大変・・・結婚式の場を決定するスピーチや、こんな塾の先生っておらへんで」 「おいおいおい、プレッシャーかけるやん。俺まだスピーチ内容考えてへんねん」 そして尾崎先生、「塾の卒業生がいつでも帰れる空間を生み出して、卒業生の人脈を築いてきた。こんな塾は他にはないですよ、極めてますよ」

引用終わり

結婚式で塾の先生が挨拶するなんて普通はない。
私は塾生の結婚式に招待されたことが2回、塾生の友人の結婚式に招待されたことが1回、そのうちスピーチしたのは1回だけだ。
たしか山上さんの結婚式では、お父様から「あの先生に話させたら何を言い出すかわからない。」的なことを言われてスピーチがなくなったというような話を聞いている。
伊藤ちゃんが順調に結婚ということになっていたら、招待される予定にはなっていたが、それももうかなわない。

すなおにれいめい塾がうらやましいと思う。

私には、そこまでの人の輪を作ることが出来なかった。
要は私にはそこまでの魅力がないということだろう。
人としての器の違いを感じさせられるが、「小さな器もそれはそれでよきものに御座いますよ。」ということで、器の小さいなりに頑張るしかない。
少なくとも、折にふれて集まってくれるこの卒塾生たちは私の宝だ。

さて、麻雀は山上さんが四暗刻を上がったのにも関わらずとぶという偉業を成し遂げた。
山上にはもう一度一から麻雀を教えたほうがいい気がしてきたw






Last updated  2016.05.01 15:11:57
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2016.02.13


Pechikapachica
中島塾時代の卒業生、通称「おくむ」のサイトです。

スタイ
こういうスタイやTシャツ、トートバッグなんかの手描きグッズを販売しています。

よかったら見て下さいね。







Madoka☆magicaみたいだなっと…。






Last updated  2016.02.13 12:19:11
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2014.12.21
12月23日は、「いとちゃん」こと伊藤秀和先輩の一周忌となります。
本日、前山先輩と伊藤様宅にお伺いしてお墓の場所を聞いてきました。
お墓参り、ご焼香に行かれたい方がいましたら、いつでもご案内しますので、福島までご連絡ください。(塾の電話番号はこのブログ上部の冬期講習お知らせ内にございます。)ちなみに私は23日のお昼すぎ頃にお墓参りに行くつもりでいますので、同行されたい方がいらっしゃいましたらおっしゃってください。

昨年、出来る限りの方にお知らせいたしましたが、ご存知でない方もいらっしゃるかもしれないので、書いておきます。

2013年12月22日0時過ぎ、塾に向かう途中、東名阪自動車道で伊藤先輩は亡くなられました。享年31歳でした。気さくで愛嬌のある性格で多くの後輩たちに好かれていたと思います。
産経新聞の記事

改めて、ここに故人のご冥福をお祈りいたします。







Last updated  2014.12.21 14:39:11
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2012.07.31
双葉の前身であるナカシマ塾の塾長であられた

中島先生の13回忌に行ってきました。

お誘いの電話をいただいたときには

まだ、5、6年しか経ってないと思っていたのに

もう13年も経っていたことにまず驚きました。


向いてもいないのに

私も意外に頑張れたなぁという思いです。

そして13年間、何をしていたんだろうとも思います。

「まったく成長していない」と言われそうです。


中島先生には、塾生ではなかったにも関わらず

いろいろとご指導いただきました。

その恩返しは少しはできたのだろうか。

できるのだろうかという思いでいっぱいです。


私が、今双葉でやっていることは

中島先生のやり方を踏襲したところもあり

あえて私なりに変化させたところもあります。

しかし、そのどちらもだんだんと時代の趨勢に

合わなくなってきました。

全てを時代のせいにする気もありませんが

いろいろとやりにくいことはやりにくい。

全ての物事がめまぐるしく変わっていき

いろいろなものが消耗されていく社会の中で

できれば変わらないものとして

ありつづけようとしたのですが

私自身が変わってしまいそうになってきています。


それでも私を少しでも必要としてくれる人がいて

それを、中島先生の夫や息子さんが

「有難いことだ」とおっしゃられるのならば

もうすこしここで足を踏ん張っていたい。


ナカシマ塾が作り出した人と人とのつづれ織りを

私ももう少し紡ぎたいと思うのです。


あと少しだけ私がナカシマ塾をつづけることを

お許しいただきたい。

あと少しだけ、みなさんのお力を貸していただきたいと

思います。



本日より、参加者にも不参加者にも

あまり望まれてはいないであろう合宿が始まります。



追記

中島先生の次男ゆきくんから

久しぶりに集まって語りたいという申し出を

いただきました。

ここを見ている当時のOB諸君

連絡をください。

またお互いに連絡をとりあっていただけると

うれしく思います。

ひょっとして最初で最後の同窓会に

なるかもしれません。


よろしくお願いいたします。







Last updated  2012.08.01 02:39:12
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2010.03.21
中島塾時代は、祝賀会も激しかった。

18時集合で日付が変わっても騒いでいた。

おおらかな時代だった。


祝賀会の費用は食事代以外は

全て講師もちだった。

春休みのバイト代は全て祝賀会に消えてたなぁ。

なんのためにバイトしているかも

わからない状態だったけれど

私も、他の講師たちも何の文句も言わず

ボーリング代だのカラオケ代だの払っていた。


いろんな事件もあった。

まなぶさん失踪事件

前山さん○○事件

福島中部台公園占拠事件


またそんな打上げができる日が

来るといいな。






Last updated  2010.03.21 17:17:25
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2009.04.27
夕刻、一本のお問い合わせの電話

「最後に余計なことなんですが

そちらは元ナカシマ塾でよろしいですか?」


ずいぶん昔、私がまだナカシマ塾で

講師をしていなかった頃の

生徒さんに話をお聞きになったらしい。


ありがたいですね。



ですが、ありがたいと同時に

こわくもあります。

あの当時の質をご提供できて

いるかどうか。


いくつかは、今のご時世でやると

顰蹙をかうものなので、したくとも

できませんが。

基本方針は変えてはいないつもりです。














Last updated  2009.04.27 23:48:31
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2009.04.11
中学生のとき、Nという友人がいた。

そのNが通っていたのがナカシマ塾だった。


Nと遊ぶ約束をしたらナカシマ塾に

迎えに来いと言われて迎えに行ったのが

ナカシマの門をくぐった一歩だ。


れいめい塾の先生が自塾を称して

「三重県で一番汚い塾」とおっしゃるが

ナカシマ塾は、れいめい塾に匹敵する

汚さだった。

山のように積まれた問題集。

熱い落書きだらけの教室。

とんでもない量の計算用紙と

計算された紙くずの山。

塾の勢い、熱さを感じられる

そういう汚さがナカシマにもあった。

その当時の私の友人たちが通う塾は

瀟洒でお前みたいなのが来るなという

顔をしていた。

とにかく私はナカシマが気に入った。






ただ友人を迎えに来ただけの私だったが

なぜか気に入られた。

塾生でもないのにふらふらと

顔をだすようになり

授業が終わった後で中島先生と

話すようになって

しばらく経った日

「大学生になったらうちで先生しに来てな。」と

突然言われた。


これが私の人生を大きく変えた。






Last updated  2009.04.12 00:22:51
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2009.03.10
れいめいで2日過ごして

いろいろと思うところがあった。


中山先生は、まだまだだと言われるだろうが

かつてナカシマにもあった懐かしい

雰囲気がれいめいには今だにかすかに漂う。

だから私はれいめいに惹かれるのだろう。


弱音を吐いていいのなら

相方にも愛想を尽かされた今

双葉のHPのトップに

れいめい塾の案内を貼り付けて

塾をたたみたい気持ちがどこかにある。


受験生不在の塾

おかしな話だが、そんな状態がもう2年も

続いている。


子どもたち当人は頑張ってると言うだろう。

私も決して子どもたちが頑張っていないとは

言わない。

今の時代、頑張っているほうなんだと

私もそれは認める。


しかし、「受験生いないね・・・。」

「こんなんでいいの?・・・」

それは、時に塾を訪れる卒塾生からも

漏れる感想であり、多分間違ってはいない。


中島先生がご存命なら、今の生徒の顔を

覗き込み「受験生の顔じゃない。」

こう切り捨てるだろう。


それでも相変わらず、松阪市内で一番過酷な

夏期講習をひき、小学校の先生に

「うそー お前が松阪高校!?」と

言わせることくらいはできることが

私を最期の決意を固めさせるに至らない

最後の砦にはなっている。




とりあえず新しく「ナカシマ塾という塾」という

カテゴリーを作った。

この中で、思い出話を語ろう。

それを読んで、今の子たちが何を思うか

そして私が何を思うか。

それはわからないが、かつて70人中

60人を松阪高校に送り込み

生徒をして「塾生ばっかりで気持ち悪い」と

言わせた原動力がどこにあったのか

考えてみたいと思う。
















Last updated  2009.03.10 16:40:25
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