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松阪市の学習塾・双葉

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勉強のコツ

2020.09.13
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カテゴリ:勉強のコツ
常々 紙の上で考えろと言っている。

頭の中で考えられることには限界がある。
書きだしてみて初めて気づくこともある。
書いてみることで情報が整理される。
書くことで覚えておく必要がなくなる。

昨日、高校生が
命題の問題がわからないと言いだした。

見ると

こういう問題。

この ソ、タ、チにあてはまるもののところで
手が止まっている。

本当に手が止まっている。
何も書いてないのだ。

一瞥して、何考えた?と聞くと、「この空欄にあてはまるものを考えてます。」と言う。
あのな・・・





私がその空欄を埋めようと思ったらこれだけの内容が必要なんやけど?
私、これ、最初の式変形さえ、次のところ考え始めたら忘れるけど?
これ、お前頭の中でやれんの?

やれるんやったら、私より数学ができるはずやけど? と言ってやった。

ついでに言うと、彼は黒板のベン図、命題が真であるための包含関係すら
覚えてなかった。

多分、こんな簡単な構造というか簡単な関係、
見ただけでわかったつもりになれるから、わかったつもりになったんだろう。
簡単にわかるから記憶に残してないんだと思う。

ベン図と数直線が同じ意味を持つことも理解してなかった。

基本をきちんと理解してないから、基本をきちんとやらないから、
全てがあいまいなまま解いているから
頭の中にもやがかかる。


そんな昨日のセンター数学。






Last updated  2020.09.13 09:42:48
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2020.02.10
カテゴリ:勉強のコツ
うちでは 答え合わせを丸付けでする場合、一回目は何も言わず返す。
1回目は、暗算してようが、途中が書いてなかろうが構わないことになっている。
その代わり、2回目以降は必ず途中式や考えの過程を説明できなくてはいけないことにしている。
合ってるとか合ってないとか関係なく、なぜそうしたか答えることになっている。


小学生に多いのが、バツをして返すと
バツだとわかった瞬間

「先生、どこがちがうん?」「なんで ちがうん?」

それを考えるのがあなたたちの仕事です。

少しでも考えた後なら、ヒントも出すが、1秒も考えずに
答えをもらおうとするな。

中学生になるとさすがにそういうこともなくなるが

「これなんで焦点距離15センチなんや?」

「え?先生、昨日図書いて説明してくれたので、30センチの半分です」

「自分で書いてから、もう一回説明してくれるか?」

「わかりません」

こんなもんである。

高校生になっても同じ、チャートをどんどん進めていくのは
いいが、時々気がむいて解答チェックしてみると

「おい、これなんでこんなあほな解き方しとるんや?」

「え?チャートの解答(やり方)通りですけど?」

「こんなもんここでこれ使うほうが面倒くさいわ」


たいして変わらない。

自分で考えようとしないという点においては大差ない。


私の塾の塾生でもこれである。

なかなか強固な習慣を作り上げている。

それを作り上げるのは、自分自身なのか、学校なのか
はたまた何なのか、よく考えてほしい。






Last updated  2020.02.10 20:33:55
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2019.09.16
カテゴリ:勉強のコツ

私は、エスカレーターと階段があれば、階段を上る。
人が見ていなければ、一段とばししたり、左右にステップを踏みながら上る。
バスケ部の時の癖で、いまだに続けている。

そんな私でも、最近のようなうだるように暑い日だと、涼しい店内にはいって
ほっと一息つけたばかりなんて言う状況だと、階段を使おうとは思わない。
ましてや階段とエスカレーターが横に並んでいるような状態だとなおさらだ。

ついつい、楽なほうを使ってしまう。


英語や、古文でも同じだ。
横に訳を書く人がいるが、勉強の道中にエスカレーターを設置してどうする。
そんなことをすれば、二度と英文や古語を読まない。

勉強に限らず、スポーツにおいても、練習中には楽な道を選ばないことが大事だ。

もちろん、本番、試験中は別の話だ。
楽して点がとれるならどんどんやりなさい。


ところで、最近「ダンベル何キロ持てる?」というアニメで
階段の一段とばしはカロリー消費量が減ると言っていた。
私が何十年やってきたことは何だったのか。

いや、きっと筋力トレーニングとしては、一段とばしにも
意味があるんだと思いたい。(面倒だから調べない)







Last updated  2019.09.16 22:16:13
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2016.07.18
カテゴリ:勉強のコツ
第一話

■基礎を理解しないまま先に進むから余計わからなくなる。→yes

■英語の動詞は一文につき1個だ。その動詞はたった2種類しかない→yes

■とにかく英文は主語と動詞を見極めろ。→yes

■古文は毛嫌いする奴が多いが、一番簡単だ。日本語なんだからな。
誰でも満点がとれるようになる。→yes

■勉強ができないのはアタマが悪いからじゃない。
勉強のやり方が悪いだけだ。→yes

第二話

■数学は暗記だ。→部分的にyes 丸暗記はダメ。

 ドラマ内でも矛盾している。
 第一話で分数の通分の解説を、第二話では代入法の解説をしているが、
 丸暗記させるつもりならあんな説明は要らない。
 また、第一話で「理解せずに先に進むな」とも言っている。
 丸暗記では、応用が効かない。

■一問解くのに時間をかけすぎだ。
わからない時は解説を見ろ。
考え方を知らなければ、1年考えたって答えは出せないぞ。→部分的 yes

 「問題を解くのに時間をかけすぎ」今年はこれを言うことが多くなった。
 自分の頭のなかにない知識を使う問題は絶対に答えは出せない。
 それでも考えているつもりになっている子が多い。
 またそれが勉強で、それで勉強しているつもりの子が多い。
 
 頭のなかで「わからないな~。難しいな~。わからないな~。」を繰り返しているのは考えているのとは違うぞといつも言うのだが…。
 私の言葉が言葉としては理解できても、実践できないらしい。質問するなどの行動に移らない。ひょっとすると、考えているフリをしていれば怒られない。考えているフリで時間をやり過ごそうとしているのかもしれない。
 
 ドラマ内では解説を見ろと言うが、残念ながら、解説を見ても理解できない子は多い。
 何をやっているかわからない子が丸暗記する場合、
 たいてい問題の一部の言葉に解答を対応させて覚えだす。
 そして、別の問題を解くときに、その言葉だけに反応して見当違いの解答を書きだす。



あまりおもしろいドラマでもないが、ドラゴン桜以来、久しぶりの受験ドラマということで観ている。第一話では、私がいつも言っているのと同じようなことを言っている。(卒塾生なら先生と全く同じこと言ってるわと思うはず。)そこで検討してみようとこんな記事を書き始めたが、第二話にして少しずつ違和感が…。








Last updated  2016.07.19 02:40:22
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2015.12.23
カテゴリ:勉強のコツ
記号選択問題で、2つまで絞り込んだ上で最終決断で不正解を選んでしまうことはよくある。

勘で答えた場合を除き、このケースは2通りに分けられる。

ひとつ目は解答と照らしあわせた時に、絞り込んだ2つのどちらも正解ではなかった場合。
この場合には、基本的な知識が欠けている。まずは知識を入れていく必要がある。

もうひとつは、絞り込んだ2つの中に正解が含まれていた場合。
この場合には問題を解くのに最低限必要な知識はすでに頭のなかにある。
結果だけ見れば、ひとつ目のケースと同じではあるが、学習進度的には雲泥の差がある。
この状態では、点数はほとんど上がってこないので、「惜しかった。」と思う分、かえってイライラするし、自分の学習方法に疑問も湧いてくるだろうが、進歩の途中だと思ってじっと耐えるしかない。

原因は似た単語や紛らわしい用語で惑わされていることにある。したがってこの状態を解消するには間違いの元となった言葉を再確認し、その類似性と相違点を明らかにする作業が必要である。
また、細部の間違いに気づいていない場合も多い。こちらの対処としては、間違えた問題の分野の理解が浅いので、掘り下げて学習する必要がある。
ただし、学習ではなく、受験という観点から考えれば、受験が近づいてきた時期に、解けなかった問題全てに対処するのは非効率である。受験は点取りゲームであり、合格に必要な点数のラインが人によってそれぞれ違う。つまり取らなくて良い問題がある。そういう問題は捨てておけば良い。その判断がつかない場合のために、学校や塾の先生、先輩はいる。判断がつかなければ、質問して無駄のない効率の良い勉強をしてほしい。

とにかく、イライラするだろうが、この時期に参考書を変えたり学習方法を変えたりするのはあまりよくない。自分のやってきたことを信じて頑張って欲しい。

なんにせよ、人生の選択肢を選ぶよりは易しい。
人生の選択肢には、初めから正解がなかったり、間違いであるのを知りつつそれを選択しなければならない場面があるから難しい。






Last updated  2015.12.23 16:20:37
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2015.12.12
カテゴリ:勉強のコツ
体系化とは何か。

大辞泉によると、「個々別々の認識を一定の原理に従って論理的に組織した知識の全体」となっている。

私なりに言い換えれば、知識の関係性を知り、知識のネットワークを構築していくことだ。そして、ある知識が、ネットワークのどこに位置するのか、なぜそこに位置するのかを理解していくことだ。

記憶の記事で、記憶の種類について書いた。

簡単にまとめる。

手続き記憶=無意識に反射的にでてくる知識、反応
意味記憶=1対1の知識、丸暗記
エピソード記憶=自分と関係のある知識、学習においては理解型暗記

学習においては、意味記憶、エピソード記憶の境界はあいまいであり、重なる。

特に、理解記憶、理解型暗記と私が呼んでいるものは、学習者の心がけ次第で、意味記憶、エピソード記憶のどちらにも転がる。
また、記憶の自動化によって、意味記憶もエピソード記憶も反射的な反応となり、自身でも区別がつきづらい状態になるとも言える。


さて、ここに、ひとつのネジがあるとする。

それをみてネジだとわかる。
この状態が意味記憶あるいは丸暗記だ。
ネジを見てネジだとわかる。
この状態にはほとんど意味が無い。
あのネジもこのネジも、どのネジも全て「同じネジ」だ。

丸暗記に加えて、ネジとは「円筒や円錐の面に沿って螺旋状の溝を設けた固着具。主として別個の部材の締結に用いられる」ことや、「ネジを含め、工業に用いられるものにはJIS規格に代表されるような規格があり、規格が同じであれば代替できる」ことなどを知っている状態が、理解記憶だと言える。
理解していることによって、応用が効く。また整理もできる。

ネジを規格に従って分類し、別々の箱にしまう。これが私がよく言っている「知識は引き出しに入れて名前をつけとけ。」という状態である。このように整理された知識は既に初歩的な体系化がされている段階である。

さらに、実際にネジを使って、何かを作ったことがある状態がエピソード記憶だ。
実際に作ることで、適合するネジ、適合しないネジがあることを経験し、上で書いた理解がエピソードによって裏打ちされた状態である。(裏打ち:物事を別の面から確実にすること)

体系化とはネジを始めとする部品を使って、例えばコンピューターを組み上げるような作業だ。
さらにコンピューターを組み合わせて、LANやインターネット、あるいは人工知能をつくり上げる作業だ。

高度に体系化されて知識は初めて知能になると言える。


別の観点から体系化を説明する。

体系化されていないと、学習においてどういうことが起きるか。

体系化せずに学習しても、暗記した知識については答えることができる。しかし、複数の知識がどのような関連を持ち、関係があるかは答えられない。特に、類似した知識や概念を使用する問題については、類似した知識のどれを使えばよいか迷いやすい状態といえる。
さきほどのネジの例で言えば、ネジの区別がつかない状態である。

丸暗記で学習していくと、解ける問題が増えていく。調子に乗って勉強する。
しかし、ある程度のところで伸び悩む。これはこの類似したものの区別がつかなくなるからだ。
マークシートの選択肢で迷う人は、この段階であるとも言える。

それに対して、知識が「体系化」されている場合は、類似した知識も相違点を明確にしているため、正確に区別することができる。

また、体系化されていない知識を用いて問題を解く場合、脳の中で起こっているのは無差別検索である。あてはまりそうなものを片っ端から考えていく。

数学の場合であれば、三角形の面積を出すのに、「底辺×高さ÷2」を使うのか、「ヘロンの公式」なのか「S=1/2bcサインA」なのか「外接円の半径と三角形の面積の関係」を使うのか「内心との関係S=1/2r(a+b+c)」を使うのか、はたまた「積分」するのかがわからない。どれが速いのか、どれをどういうときに使うのかを理解していない。そもそもこれらの公式の関係性も理解していないので、思いついたものから順番にあてはめていくしかない状態である。

つまり、この人の頭のなかではいくつもの「三角形の公式」という「ネジ」が特に分類も整理もされないまま、転がっている状態なのである。

歴史であれば、「1017年に後一条天皇の摂政となったのは誰か。」という問題に対して、「聖徳太子」と答えるような人が、知識の体系化をしていない完全丸暗記の人である。困ったことに、勉強が作業化している人でもある。
(答えは藤原頼通)

体系化されていないので、「1017年が平安時代に位置すること」も「聖徳太子」が「平安時代」という「時」または「場所」に位置していないということも把握できない。勉強を作業化しているので「摂政=聖徳太子」が直結している。

英語で言えば、say と speak と talk と tellが・・・ もういい?(笑)


バカバカしいと思う人は、いわゆる「できない子」を教えたことのない人だ。

小学生低学年の授業を思い出してほしい。
彼らは思いつきで発言する。
それは、記憶の記事で書いたように、彼らは理解して記憶する習慣が薄いから当然なのだが、中学生、高校生がその段階にあるのは問題なのだ。

(ちなみに、こういう時に、先生方が「惜しいなぁ。確かに聖徳太子は摂政だけど、もう少し考えてみようか。」などと言うのは、丸暗記を修正してエピソード記憶にすりかえようとする手法である。「生徒の言うことをなるべく否定せずに汲み上げるように指導しましょう」ということでもある。)

体系化されている場合には、必要な知識を整理された知識の中から選び出すことが可能なので、こういうことにはならない。従って、無駄なくスムーズに問題を解決することができる。または、自分の持っている知識、技術では問題が解決できないことがすぐに理解できる。

なおかつ、体系化されている知識はお互いに関連性を持って覚えている。したがって、問題を解くための知識をひとつ頭のなかから呼び出した時点で、次に問われるであろう知識が、呼び出した知識の関連物として同時に想起されている。つまり、次の問題が推測できる。

この状態にある人は、いわゆる難問を見ても「はいはいそう来ましたか。」と思うだけだ。


さらに、体系化が進んでいる知識体系においては、新しい知識を覚えるのも容易になる。
すでに完全に覚えているものと結びつけて覚えてしまえば良いからだ。

この間、れいめい塾の中学生が、イオンがプラスイオンなのか、マイナスイオンなのか、1+なのか2プラスなのか、一所懸命丸暗記していた。その努力は認めるが、思わず「お前、化学式覚えてないの?」と言ってしまった。中2で化学式を覚えているのなら、イオンを全部丸暗記する必要などない。「水素イオンがプラス1のイオンである」ことと「プラスマイナスは0になる」ことを覚えれば事足りる。

塩酸(HCl)から、Hが+1だから、Clは-1。
水(H2O)から、Oは-2
塩化銅(CuCl2)から、Cuは+2

こうやっていけば、覚える必要はない。

遅い?

 だから記憶の自動化を行い手続き記憶に変えることが学習には不可欠なのだ。

丸暗記(イオンを全て覚える)で覚えるのも、理解暗記や、体系化しながら暗記して覚えるのも、記憶の自動化をしてしまえば最終的には、速さは同じになる。しかし、「テストの点数を上げる」という低俗な目的を目的にするのではない限り、最終到達点は明らかに違ってくる。


以上のように、「体系化」が学習において有用であることはわかっていただけたと思う。

では、どうすれば知識を体系化できるかという話になるが、ここまでで十分に長くなっているので、また次回ということで。

中山先生が体系化を願っている生徒は、きっとこのブログの存在すら知らないだろうしね。






Last updated  2015.12.12 20:37:35
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2015.12.10
カテゴリ:勉強のコツ
記憶の記事で、記憶の種類について書いた。

簡単にまとめる。

手続き記憶=無意識に反射的にでてくる知識、反応
意味記憶=1対1の知識、丸暗記
エピソード記憶=自分と関係のある知識、学習においては理解型暗記

解けなかった問題の解答を見た時に、数学であれば答えで使われている公式や定理、理科や社会系の科目であれば用語あるいは答え自体はほとんど全部覚えていて、どうして解けなかったんだろうと思う経験が多いなら、あなたの記憶は意味記憶型(丸暗記型)だ。

さて、意味記憶にせよ、エピソード記憶にせよ学齢によって覚えやすいかどうかの違いはあるが、基本的にはどちらも時間の経過に従って忘却されていく。

記憶を定着させるには「繰り返し」が必要だ。
エビングハウスの忘却曲線に従うと、復習は1日後、3日後、1週間後、1カ月後のタイミングで行うのがよいとされている。かならず復習して繰り返すことが大事である。

さらに、「繰り返し」によって記憶が定着したとしても、受験には時間という制限がある。
理解して記憶していても、時間内に解き終わらなければ「受験においては無意味」である。

そこで「記憶の自動化」という作業が必要になってくる。
記憶の自動化とは意味記憶やエピソード記憶を手続き記憶にすりかえていく作業だ。
手続き記憶は無意識に反射的に記憶を呼び出せる。
この状態に意図的にもっていくことを記憶の自動化と呼んでいる。

スポーツに喩えるのがわかりやすい。
野球やテニスの素振り、バスケットボールのシュートフォーム、こういうものを身に付ける時の事を思い出してほしい。
どんなスポーツでも最初は意識して、つまり動作の目的や意味を理解して基本的動作の繰り返しをする。しかし、フォームを気にしながらの動作が実際の試合に使えるほど甘くはない。
これと同じで、学習の場合も理解したことを一からその道筋をたどりながら考えていては試験時間内に解き終えることは難しい。

では、どうするのかというと、結局繰り返すということになる。
成績の良い人は、意味記憶やエピソード型記憶(学習においては理解型記憶とほぼ同義)を何度も繰り返すことで、無意識に反射的に知識がとりだせるようになっている。

意味記憶を手続き記憶にする場合と、理解記憶を手続き記憶にする場合の違いは最終的な応用力の違いに出る。

さきほどのスポーツの例で言うと、意味記憶の自動化にあたるのは、練習の目的も意味も理解せずに練習をしている状態だ。練習したプレイができるようになりはするだろうし、練習をさせている監督、顧問の考えているプレイはできるようになるだろうが、一流のプレイヤーになれるかというと甚だ疑わしい。ともすると間違ったフォームを身に着けていることさえある。
こういう人は、どうして自分がうまくならないかがわからない。自分の問題点もわからない。
これは、前述の「答えを見てもわからないという状態」と同じ状態だ。

つまり「意味記憶の自動化」がされている人は、理解していない分、知識を組み合わせる組み立てるということができず、典型的な問題、以前解いたパターンと全く同じ問題しか解くことができない。
ところが「理解型記憶の自動化」がされていれば、問題を見てどうやって解くかを考えるとき、問題の特徴を分析して、反射的に問題の論理や理論から必要な知識を導き出して解き方を考え出せる。基礎的な問題は言うに及ばず、知識を組み合わせて思考力を問うような難問でも、問題の特徴から必要となりそうな知識を即座に呼び出して、どのように組み合わせるかを考えることが可能だ。

英単語の覚え方についてであれば、英単語の意味を見出し語(一番大きな意味)とだけ結びつけて覚えるのが一番まずいやり方だ。
せめて、全ての意味に目を通してほしい。文例も見てほしい。
そうすることで、理解型暗記に近づく。

理想を言えば、ある程度の英単語が知識としてはいった時点でココで述べたように、和訳を覚えるというより、読書などの経験を通じて英単語のイメージそのものを覚えたほうが良い。いろんな文脈で何度も出てくる単語を覚えていく。つまり日本語を覚えているように覚えるということだ。


日本語の単語も最初は丸暗記するしかない。幼児にとって、目の前にいる「ママですよ~。」って毎日言ってくる人が「ママ」だ。この時点では「ママ」の意味さえわかっていない。お父さんにもおばあさんにも「ママ」と言ってしまう。そのうち経験(エピソード)を通して、つまり間違えながら、正しい言葉の使い方をマスターしていく。基本単語を意味記憶として覚え、エピソード記憶に変換しながら、何度も使ううちに手続き記憶に変わっていく。
学校の先生を「ママ」と呼んでしまうのは手続き記憶の反射のせいだから、それほど恥ずかしいことではない。
そして基本単語がある程度身につくと、新しい単語は文脈の中で推測しながら(勝手な理解をしながら)エピソード記憶として覚えていく。

ほとんどの日本人がこの記事で使われている日本語の単語(例えば「典型的」)は知っているし、会話でも作文でも使えると思う。しかし、それは辞書的に意味を知っているということではないはずだ。「典型的」ってどういう意味か説明しなさいとあらためて言われれば、困る人が多いはず。

また、周りの人が、間違った使い方をすることが多いせいで、どんどん意味が間違った方向にいくのも、人がエピソード記憶で言葉を覚えているせいだ。
「確信犯」とか「役不足」とか「他山の石」とかとかとか。


英語を、特に英語長文をネイティブのスピードで読むには、日本語の意味を介さずに直接意味がわかったほうが良い。
以前うちで講師をしていただいていた方(本業は通訳)も、生徒に英単語の意味を聞かれても、「え~っと、これって日本語だとどういう意味になるんだ?」と困っていることが多かった。

そんな難しいことを要求されてもと思うかもしれない。

でも、そういう人は3学年くらい前の英語の教科書を引っ張り出してきて読んでみるとよい。
意外に、英語のまま読めるはずだ。高校生にもなって、「This is a pen.」を、直訳しながら読む人はいない。英語のまま頭にはいってくるはずだ。これが記憶の自動化の効果で、これを意図的にやることが大事なのである。

次回:記憶の体系化、あるいは学習の体系化






Last updated  2015.12.11 00:31:20
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2015.12.07
カテゴリ:勉強のコツ
れいめい塾の中山先生が体系というお話をされていたので補足しようと思う。
だが、そのためにはまず記憶というについてらねばなるまい。
(うん、最近何かに影響され過ぎである。)

記憶には、おおまかに、手続き記憶、意味記憶、エピソード記憶の3つがある。

1.手続き記憶・・・最も原始的な記憶、6歳くらいまで優位であると言われている。潜在記憶であり、無意識に起こり、強固で速い反応をみせるが修正は困難である。

自転車の乗り方のように体で覚えた記憶。幼児が言葉を覚えるのに使っている記憶でもある。したがって、上述の6歳までに言語を習得できないと、言語能力は正常に育たないと言われる。これを臨界期と言う。

「博士の愛した数式」の博士や、先週のドラマ「掟上今日子の備忘録」の掟上今日子に見られるようにいわゆる記憶喪失になっても失われにくい記憶とも言える。それくらい強固で修正しにくい記憶である。

2.意味記憶・・・6歳~10歳くらいで優位な記憶。

九九の暗誦、A=Bの形の記憶。いわゆる丸暗記、棒暗記の類である。
自我の関与しない事実や概念、ルールや定義などの情報に関する記憶であり、学習者個人の経験、印象は付与されていない形で保存されているのが一般的である。小学3年生で九九を習うのには意味がある。

3.エピソード型記憶・・・10歳位から優位になる記憶。つまり中学生、高校生が一番得意とする、得意でないと困るはずの記憶。

時、場所、感情、自我が関与する記憶である。学習者個人の経験、印象が付与された形で保存される。

さて、困ったことに、学校の授業や、受験勉強で獲得する知識のほとんどは意味記憶である。覚えられないのも当然である。

では、どうするのか。
意味記憶をエピソード型記憶に変換して覚えることが大事である。

つまり丸暗記ではなく、解釈し、説明し、自分に関連する出来事として印象づけて覚える必要がある。

1.解釈する。

エピソード型記憶には、時、場所の記憶が同時に保存されると述べた。
これを広義に解するならば、時と場合とは「状況」という解釈ができる。
物事を覚えるにはそれが出現する状況とともに覚えるべきだといえる。
英単語であれば、どういう時にその単語が現れるのか、どういう文脈(場所)に現れるのかを理解することが大事である。
数学であれば、どの範囲(三角比であるとか、数列であるとか)の公式であるとか、どういう証明の中に位置するのか、お互いの関係性を把握することが大切である。
理科、社会系科目では、因果関係、歴史的意義などを自分なりに考えることが大切だ。

2.説明する・発表する

説明したり発表することで、学習が出来事(エピソード)化する。また発表には、常に緊張、時には恥、ごくまれに栄誉がつきものである。嫌でもそこには感情が同時に保存される。教科書の棒読みではなく、自らの言葉で語ることで、語った内容はエピソード型記憶のひとつである自伝的記憶に昇華される。
れいめい塾や、双葉において後輩を指導させるのは、この効果を狙っている。

3.自分に関連付ける。

すでに自分の中にある知識と融合させる。そうすることで、覚えるべき知識を自分とは無関係な事物として認識するのではなく、自分と関連した事象として捉える。
例えば、以前述べたように、過去に遡って、あるいは未来において、自分の興味(感情)がある漫画、アニメ、ドラマ、映画、ニュース、なんでも良い。そういうもので得た知見と結びつけることができれば忘れにくくなる。

また、1、2ともかぶるが、他人(教師、参考書、解答)の説明を鵜呑みにするのではなく、それに次分なりの解釈をつけることで、印象づけることができる。知識を自分のものとすることができる。ある異性に対する印象が人それぞれ違うように、事象にたいする解釈、印象はひとそれぞれ違っていて構わない。ただし、あまり常識とかけ離れた印象を持ったり、解釈をしてしまうと変人の扱いとなるので注意は必要。

うちの塾では、五文型が嫌いなら自分で勝手にルールを作れと言う。私自身も五文型が好きではないので、一応五文型も教えるけれど、私なりの統語論で教えている

4.おまけ

エピソード型記憶は、一般的に視覚よりも聴覚優位であると言われている。黙読するよりも音読したほうが良い。音読することで出来事としても認識できる。記憶とは関係なく、理解度の低いものは音読したほうが理解しやすいとも言われている。

5.ついでに

以前の記事で紹介したようなゴロ合わせについても触れておく。
実はゴロ合わせは作っている本人が一番覚える。作るということによって、完全にエピソード型記憶となるからだ。そこで、ゴロ合わせはできれば自分で作ることが望ましい。しかし、やってみればわかるが200個を超えるゴロ合わせを作るのはなかなか骨の折れる作業である。
たいていの場合、他人の作ったゴロ合わせを利用することになる。
他人が作ったゴロ合わせで学習する時、そのゴロ合わせの意味を理解できなければ丸暗記つまり意味記憶である。しかし、ゴロ作成者のイメージを共有することでエピソード型記憶に近づく。
だからこそ、学習者がイメージを想起しやすいように、史実にもとづいてゴロ合わせというのを目指した。このゴロ合わせで学習するのであれば、ゴロが史実の何を語っているのか、もしくは騙っているのか把握して覚えるようにしてほしい。せめてゴロを音読することくらいはしてほしい。

コチラコチラも参照されたし。

次回:記憶の自動化あるいは記憶のすり替え






Last updated  2015.12.07 16:32:54
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2015.04.10
カテゴリ:勉強のコツ
一問一答問題とか短答式問題と呼ばれるものの長所は手っ取り早く知識を網羅することができるというところだ。
とりあえず叩きこむというのには向いている。

しかし、罠も多い。

まず、図や機序が問われる問題の単語だけを覚えても問題が解けるようにはならない。

生物基礎の授業でも強調したように、1対1でしか対応しない知識は棒暗記であり、応用が効かないだけでなく忘れてしまいやすい。忘れないようにするためには周辺知識と共に、知識をまとまった塊にする必要がある。双葉ではこれを「知識を引き出しに入れる」と表現する。引き出しにラベルをつけ、引き出しを開ければ関連知識が全て出てくるようにするべきである。

したがって、まず図や機序をきちんと理解した上で、一問一答に進むべきである。

そういう意味では、れいめい塾において模擬試験や過去問を解いた後、その内容を一問一答形式で叩き込むというのは理に適っている。

さきほどアップした「生物基礎一問一答」も是非、配布テキストの問題を解いた上で臨んで欲しい。

次に、人によっては繰り返すうちに「作業化」してしまうのも困りものだ。例えば

「723年に出された灌漑施設を新設して開墾した土地は三代にわたって、既存灌漑施設を利用して開墾した土地は1代に限って私有を認める格(法令)は何か」→「三世一身の法」

という問題を解くのに、作業化が行われると「723年」→「三世一身の法」であるとか、「三代に渡って私有」」→「三世一身の法」」というように、問題文の一部だけに反応して答えてしまうようになり、問題文全体を把握しなくなる。これも棒暗記である。

また、ひどい場合には解答の配列自体を覚えてしまう。

これでは、実際の入試で使える知識とはなっていかない。

私の作る一問一答は出来る限りそれを防ぐように作ってはいるし、れいめい塾においても問題配列を時折変えて防止策としているようだが、それも限界がある。

さらに、一問一答形式の問題集は概して問題数が多く、一所懸命勉強しているつもりになりやすいのも問題だ。
一問一答に終始し、一向に実践問題や応用問題に入ろうとしなかったり、そもそも覚えるのに時間が掛かり過ぎて、そこまで手が回らないうちに受験日が来てしまう場合もありえる。

社会にでてから必要とされるのはアウトプット型の能力で、インプットはさして重要でなかったりする。それも踏まえてインプットだけを重視する受験勉強に偏ることは避けて欲しい。






Last updated  2015.04.10 18:20:11
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2015.02.16
カテゴリ:勉強のコツ
年末年始に帰省してきた山上先輩が「人を動かすのは結局敬意やよな。」と話していた。

今日、平成14年度三重県立高校・国語の「まりおくんの言動」を解説中に人の言動は一致しなければならない。言動が一致するつまり「言ったことが成る」ことが「誠」という漢字の成り立ちだという話から「人を動かすには誠意が必要である」というような話になっていったので少しまとめておく。

ちなみに、受験近くなっても、授業時間の大半がその手の話で費やされるのは、当塾では平常運転である。

 人を動かすのは「金」だという向きもあるだろうが、それは置いておくと、人を動かすのは「感謝」「敬意」「礼儀」の3つ、もしくはその複合だ。
 人は誰でも、心から「ありがとう」と言われると嬉しくなる。それが次の行動への原動力となる。小さいころ、お母さんや、幼稚園、小学校の先生に「ありがとう」と言われると、本当に嬉しかったものだ。大人になると言う方も言われる方も慣れてしまうのか、心がこもっていないことが多い。
 人は誰でも「すごい!」と誉められると、ちょっと嬉しくなる。人によっては、とんでもなく調子に乗る。「豚もおだてりゃ木に登る」である。相手の人格、技量、言動を「尊い=貴い」と認めることで、相手は動いてくれる。「ありがとう=有り難し=貴重だ=貴い=尊い」である点も考えてほしい。
 「礼義」は本当は難しい。本来なら「礼を尽くす」(こちらを参考にしてください)ことなのだが、人を動かすということにおいては、形式的に礼儀を守るだけでも動いてくれる。どのような相手であれ、相手の置かれた立場、役割に対して礼儀を守れば、相手は動く。上司、先輩、先生などに対して失礼のないように対応すれば、それなりに相手も動いてくれるものだ。だから、ここでいう「最低限の礼儀」とは「相手の立場を認める、相手の立場を尊重する」と捉えてくれればよい。有名なスタンフォード監獄実験にも認められるように、人は役割を与えられ、役割を演じているうちに、元の個人の性格とは無関係に、よりその役割に期待される行動をとるようになる。つまり先生や上司に対して「最低限の礼儀を守る」ことで相手の立場、役割を認めれば、相手はその役割を演じざるを得ないのだ。ちょっと面倒くさいので、上司とか先輩とか抜いてしまう。先生に対して「最低限の礼儀」を守れば、先生も先生として心理学的に「最低限の指導」をするようになるということだ。
 理想を言えば、相手の技量、人格に対して「敬意」を持てば、自然に「礼を尽くす」ようになり、相手の言動に「感謝」するというサイクルが正しい。
 そういうお話を生徒にした。

・・・したのはいいのだが・・・

 困ったことに、私は国語の解説をするのに本文をほとんど読まない。それは、限られた時間内で解かなければならない「国語」という教科における解答技術を教えているからで、今日も本文を読まずに解説をしていた。上記のような話は解答が終わった後の余談に過ぎない。長々と上のような話をした後、大問ニに移った。
 この年度の大問ニは、斎藤次郎さんの「自立をめぐるおとなの事情と子どもの事情」だった。「子どもの自立を助けるとは、高水準のモデルを示すことによって、子どもの現段階の至らなさをあげつらうことではなく、現段階の精一杯を生きる子どもたちの自尊心に敬意をはらうことなのである。」という文章でカウンターをくらった。ノックアウト・・・。

 私の指導力のなさは、子どもたちへの「敬意」が不足しているのかもしれない。まあ、この斎藤次郎さんの文章は幼児期の子どもへの指導というお話だから・・・ということにしておこう。
 








Last updated  2015.02.16 23:53:05
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