公平と平等(私にひいきの意識はありや)
また波風をたてるかもしれないが・・・見かけだけの凪などいらない。公平と平等、似ているようで違う。公平とは「公的に観て同じように扱うこと。判断や処理に偏りのないこと。」平等とは、「偏りや差別、区別がなくみな同じこと」と私は考える。あまりかわらないように見えて意味は大きく違う。公平とはその者の置かれている立場、状況を考慮に入れて同じ基準をあてはめること。平等は、なんら区別することなく全く同じ扱いをすることだ。スポーツでいうなら、シード権やハンデ、階級別戦これらは公平ではあるが、平等ではない。シード権とは、頑張ったからもらえるご褒美であり頑張れば誰にでも与えられる。つまり誰に対しても同じ判断にもとづき同じ対処で行われる。したがって公平である。ハンデ戦とは、年齢、経験の差を埋め誰にでも公平に勝つチャンスを与えるものである。大人と子供が、ハンデなしで戦っても仕方ない。もちろん基準を満たせばハンデは奪われる。つまり、誰もが一定の基準でハンデが与えられ奪われる。したがって公平である。階級制は・・・面倒くさくなってきたから割愛。さて、中学生と高校生、または同じ高校生でも高3受験生とそうでない者、この扱いを同じにしないことは平等ではない。だが不公平であったりひいきであったりするだろうか。きちんと言われたことを遂行する者としない者、この扱いを同じにすることは公平だろうか。当塾においては単語は文章の中においてわからなかったものを覚えるものであり単語帳を棒暗記するものではない。また、出来うる限り意味(語の本質)を覚えるのであり一単語一訳を覚えるものでもない。また、努力をしていても実を伴わなければ当然怒られる。全ての生徒に対して、同じスタンスである。英文法においては、可能な限り(よほど実力が不足していない限り)ロイヤル英文法をすることになっておりとりあえずは、高1の時点で取り組んでもらうことになっている。数学は、二次試験に耐えうる解答を作るのであり解答とみなせないものが提出されれば基本怒られる。チャートの解答を丸写ししたり安易に私に解答を求めたりと思考を他人に預けるようなことをすれば怒られる。私はヒントは与えても、なにか事情がないかぎり解答を作ることはない。ただし、その段階に及ばない者もしくはその段階を必要としない者に対しては免除することもある。これがスタンダードであり、誰に対しても基本変わらない。もちろんあなたたちから見えない部分はある。それをするに足る力があるかないかは私の判断で周囲からはわからないだろう。また、保護者から内密に伝えられている内容これは公開することさえできない。だから時に、私の対応を不審に思うこともあるだろう。しかし、それはもう信じていただくしかない。「私が、あの子の立場なら、同じに扱われるのだろう」とそう信じてもらうしかない。「先生ひいきしている」とあなたたちが言うその当の生徒自身が「私が大変な時に、他の子に時間が取られて、私が見てもらえない。」と退塾したのも皮肉な話だ。ひいきされてると言われた生徒も、言った生徒もどちらもお互いが見えていない。三重高生と松高生を平等に扱えというなら「三重高生は、早くからは来られないから松高生もそれに合わせて夜9時からしか塾に来ては駄目ですよ。」これが、高校の差異を無視した完全平等だ。また、私の大事な時間を他の子を怒る時間で奪われるは嫌だというなら、自分の怒られる時間はどうするのだ。いかんともしようがないではないか。子供の権利(これ自体が悪いとは言わないが)だのが声高に叫ばれ日本と言う国が裕福になって、大人のすることの大半が子供にも与えられている状況になり子供と大人が同等であるかの風潮になってきている。子供と大人は同等ではなく、平等に扱われてはならない。友達親子なるものが闊歩し、学校の先生の権威は喪失し大人が子供を指導するということの本質からかけはなれたところで、教育が行われているように思う。子供を見守るということと、媚びるということとは大きく違う。子供の意見であろうとも、尊重はすべきである。私のやっていることがひいきに見えるという意見もそれはそれで、最大限に尊重している。少なくとも、その子にとってそう見えたという事実は事実だ。指摘を受けてから、ずっとそのことは考えている。しかし、感情論、わがままに振り回されるわけにはいかない。子供がわがままになった。協調性、思いやりに欠ける子供が増えてきた今他人を意識せずにすむ個別指導がはやるのも当然だといえる。(極論、暴論、危険思想、etc ご容赦)あえて、今私が特定の相手に対して態度を変え、ひいきをしているとしたら、馬に蹴られて頓死する恐れが高すぎるあまり「眠たい? 夜中に携帯いじくってんじゃないだろな?」「そんな携帯電話解約してしまえ。」かつてGやMなどを怒鳴りつけたこの言葉が言えない事だ。私とて人間、自分がかわいい。ちなみに、自分は機嫌が悪くなると他人からどう思われようと知ったこっちゃない。でも、私が機嫌が悪くて(実際には機嫌が悪かったのではなく考え事をしていただけ)態度が悪いと、文句を言うのはそれは不公平じゃないか?ダブルスタンダードじゃないか?機嫌が悪ければ態度が悪くてもいい。この基準を自分にだけ適用し他人には適用しないのは公平さにかける。結局、生徒に信用されない私の人徳の無さが世間様に露呈しているだけの記事となったな・・・。