■フタバの歴史・第7話

■フタバの歴史・第7話(2004年07月28日の日記より)

 平成1年8月5日僕は救急車で国立東静病院に担ぎ込まれた。250ccのオートバイで対抗の右折車に激突した。診断は全治は鳥口突起骨折(右肩の内部の骨の骨折)、と肋骨6本骨折、全身打撲で全治2ヶ月。

 よくテレビで『ぎゃぁ~~~~!』という叫び声がありますが、あれはテレビだけだと思っていました。全身の筋肉の突然の痙攣による激痛…

 入院初日の深夜、寝ているベッドの下から腰をめがけて力任せにキリを突き上げられるような地獄の激痛…鎮痛剤を打とうと看護師が飛び乗ってきても痛みで暴れているので注射が打てないありさま…『動かないで下さい!!動かないで!!』看護師の悲鳴と『ぎゃ~~~~!!』が混ざって異様な光景だったと思う。看護師二人がかりで注射をやっと打って、『座薬を入れますよ!!』には『なんでもいいから楽にしてくれぇぇ~~!』と叫んだ。恥も外聞もない状況…完全看護だから付き添いがない。それが良かった。父母、女房、子供には聞かせられない断末魔の叫びだった。

 あの頃はシシド先生と退職したT先生が中心になって必死に夏期講習を廻してくれた。僕に代わる運転手の手配、入院中の僕の夏期講習の全てのコマの手配からすべてを切り盛りしてくれた。245名の最大人数も、僕の入院中にシシド先生、T先生の尽力と、ミユキ先生、ヨシコ先生の協力で達成された。今もあの事故の事を思い出すと、よく切り抜けてくれたな…と感謝の念で一杯になる。

 その後はオートバイもやめ大人しくしていた。
そして平成2年に個別指導を導入。これが…   …続く



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