~朝4時起床のすすめ~

2011/06/26(日)22:03

宗教について考える(書きかけです…)

多くの日本人にとって「宗教」は縁遠いものだと思う。 実際には、冠婚葬祭時にお世話になっているのではあるが、七五三では神社に行き、結婚式は教会で挙げ、クリスマスにはプレゼントを交換し、葬式はお寺にお願いする…という感じで、特定の宗教ではなく、様々な宗教の儀式・イベントを自分に都合の良いように利用しているというのが実情である。 古来より、万物に神を見い出す(アミニズム)といのが日本の宗教観である。農漁業の中で自然を崇拝し、その恵みを頂戴しながら生活していく村社会が農村・漁村の基盤であった。 しかし、戦後の日本ではそのような自然宗教は機能不全に陥っている。すなわち村社会の崩壊、核家族化の拡大、先祖・親族との関係の希薄化等により、高度資本主義社会において「自然」とは神のような存在ではなく、人間がコントロールする客体なのである。 現代人は現世に固執するあまり「自分さえ良ければ…」という考えになりがちである。宗教どころか社会性までも失いつつある。 科学技術の前では、古来からの宗教がその物語性を失い、地下鉄サリン事件などの影響から新興宗教の胡散臭さも拭えない今、宗教に対する嫌悪感は想像以上のものである。 そもそも、現代社会を生きる我々に宗教は必要なのであろうか? 形式的なイベントを取り仕切るだけであれば、宗教にこだわらなくても遂行可能なように思える。 ただ、先日の大震災のような事態に直面した時、通常の心理状態でいられなくなるような事態に遭遇した時に宗教の持つ物語性は依然として有効なようである。お坊さんの唱える説法や神父・牧師の説く教義に自分の全てを委ねることによって、一時的に自分の置かれた困難な環境から離れることが出来る。 その居心地のよさから、人によってはそこから抜け出せなくなることもあるが、自分を客体化し、冷静に自分自身を見つめなおすことによって、 (続く…)

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