テーマ:社会のあり方を考える(116)
カテゴリ:社会系エッセイ
横田めぐみさんの拉致問題のニュースはほとんど毎日見ることができる。
帰国された他の方々の場合ほとんど落ち着いた様子で、ただ、横田さんの問題だけが解決されないまま未だにご両親のいらつきと憤りは変わらない。私の子供達がもし、誘拐されたら私もやはり同じようにその憤りは消えないだろうと思う。 それでも毎日このニュースを見ていると最近なにか釈然としない不快感を感じるのです。 それはやはり自分達の辛さだけが主張されていて、そこに北朝鮮の現状への憐憫や情がないからなのだろうか。 先日私が書いた記事に関してコメントをいただき、今一度知識の補充をした上で考えてみると、(いやそれでもまだ全然足りませんが)、現在の北朝鮮が出現するにいたった経緯や、朝鮮のために大戦中当時の日本がした行為や、アメリカ、中国、ソ連(ロシア)の勢力のせめぎあいが朝鮮にあたえた影響など今一度考え直して見た時、当時朝鮮の苦しい状況をなんとかしようとしながら結局はできなかったというか、中途半端に終わった事を今一度仕切りなおせないのだろうかと思ったのです。 朝鮮がソ連に占領されずにすんだのが日本やアメリカの尽力によるものだとしても、それでも、やっぱり今の北朝鮮(や韓国)の状況は同じくらい苦しいように思える。北朝鮮自身も自らの苦しい状況に身もだえしているようにも見える。 拉致した日本人を返還し、国交の回復を試みて、首脳会談を繰り返しつつも、自国の位置を確保するためにどうにもならない状況で、めぐみさんがらみの情報は国交交渉の上で貴重なキーアイテムなのだろう。 ただその身を全て投げ出して助けてくださいとはいえない、国同士の勢力争いのまさに渦中にある状況のその、 北朝鮮を救い出すことはできないのだろうか。 かつて朝鮮のために日本が行った数々の支援を、今一度アメリカや他の大国の援助も頼んだ上で行いたい。 日本はかつてがんばって見たけれど、それでも、力不足で今の北朝鮮の状況を作り上げてしまったのかもしれないのだから、もう一度日本は、朝鮮のためにがんばってみたい、だから、アメリカも中国もそのほかのいろいろな国も助けて欲しいという主張をしなければ、ただ、拉致事件ばかりをあげつらって日本の辛さばかりを言って見ても国際会議の場で賛同を今ひとつ得られない。 それは、日本側に朝鮮の現状に対しての憐憫や情がないからなのじゃないのかなあと思うのだ。 それはまさに藤原正彦氏の『国家の品格』の中に書かれている「情」を論理の出発点とするということなのではないかと思うのだ。 自らの苦境以上に相手への情を示すことこそが日本という国の品格の表現ではないのかと思うのだ。 と、いろいろ考えつつ、テレビを見ていたら、竹島問題で韓国は怒りまくり、とてもアジア同士仲良くしましょうなんて雰囲気とは遠いなあとため息気分になった。 AU by KDD までの道のりは遠いな。やっぱ理想論で終わるんだな。 それにしても日本は、朝鮮のためにがんばってるつもりなのに、韓国は日本に反感もちまくり。 はたから見てるとなんでこの二人仲良くしてるのだろうと不思議に思うような人間関係と、国単位の国際関係って同じなんだろうか。 日本がアメリカになんだかんだと助けてもらっているように、朝鮮韓国も中国に助けてもらっていたわけで、それなのに、日本が助けるつもりで手を出して、中国と朝鮮の関係にへんなじゃまをしただけってことないのかしら。なにしろ朝鮮と中国の関係は日本とアメリカより長いからねえ。他人にはわからない。結局、朝鮮の頼る国が中国からアメリカに変わっただけなんだろうか。 朝鮮にすればアメリカより同じアジアである中国の方がよかったのかも。 しかし、中国もいまそれどころじゃなさそうだしね。 という訳で、もう少しまじめにニュースを見ないと。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年12月08日 13時22分44秒
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