ふつうの生活 ふつうのパラダイス

2006/08/24(木)12:01

『いのちのハードル』

読書ノート(71)

以前テレビドラマとして放送されましたね。 私は、この手のお涙ちょうだいドラマは好きくなくて、見てません。 でも、娘が夏休みの読書感想文をこれで書くんだけど、かけないよかけないよお母さんどう書くのとうるさいので、ちょっと読んでみた。         『1リットルの涙』母の手記 読んだのは、最後の6ぺーじだけ。 でもそのたった6ページで、涙が出てきてしまいまして。 あらーっと。 だって、やっぱり中学生の女の子を持つ母として、立場は同じですからね。亜也さんは、中学三年生で発病しますが、うちの娘が今まさに中学二年生。ほとんど同じ。 そういう立場でこんなの読んだら、泣けるじゃないか。うちのお嬢さんには、ぜったいこんな病気になって欲しくない。ちゃんと普通に大人になって、普通に結婚して、普通に子供を生んで、普通に幸せな人生を送って欲しい。 「だめよ。貴方が死んじゃったら、おかあさん(私のことだ)は悲しくて悲しくて死んじゃうからね。」とは、つねづね、娘を抱きしめながら、私がのたまう決まりゼリフ、なんですけどね。 そのあと、著者の娘亜也さんが発病し、診察を受けて、病名を知り、死に至る病であること、決して直らない事を知ったそのあたりを読んでたら、また、涙が出ちゃいまして、もう、私にはとても、全編は読めそうにありません。 親が娘と別れるのは、娘が嫁に行く時と、娘が死ぬ時だけだから、娘の葬儀は結婚式なんだと、そう語りながらも、やはり悲しい。 文章の中に書いていなくても、この文章の中に書かれない部分で、著者はどれほどの涙を流した事だろう。 死んでしまうその本人が一番辛いにはちがいない。けれど、娘を失う母もまた辛い。 いとしければいとしいほど、その痛みも深い。 よく読むとこの物語は今最近のことではなくて、亜矢さんの生まれた年はくしくも、私の生まれた年と同じだった。生きていれば私とほぼ同い年で、同じように娘をもって夢中で育てていたのかもしれない。私にとっては、娘も母もどちらにもシンパシィーを感じる物語なのだ。 いつもいつも思うのだけど、私の娘が幸せな一生を送ってくれますように。        こちらが亜矢さん本人の書いた本そして、劇場版  書評、レビュー

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