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2006/09/22(金)09:40

『紙屋悦子の青春』追記

日本映画(81)

それにしても、岩波ホール入ったの初めてです。若い頃はしょっちゅう神保町あたりうろついてて、ここのことは知ってたんだけど、入ったことなかった。そして、いまだにプライド高い映画館だなあ。 イマドキどこでもやってる水曜サービスもないし、整理券の配布もないし、席は高低差がほとんどなくて、すこぶるみにくいし。劇場は小ぶりなままですし。そして、自分たちがいいと思う上作しか上映しないその独自路線はいまだに変わらない。岩波ホールなら、まずはずれはないんでしょうね。名だたる単館上映館です。もっとも映画を見た帰りに「整理券配ってほしい」と他のお客さんが怒ってたけどね。 ちなみに今の時期はすでに以前ほど混んでいないと思います。ホームページには混んでますと書いてあるけど、休日以外は普通に行って、普通に座って見られます。それでも、平日でも、あの入りはすごいですね。満席まではいきませんけど。シネコンが当たり前の昨今。逆に単館上映の映画が新鮮であります。 ところで、劇中に見合いの席に出すためにおはぎが作られます。戦中のもののない時代に、いくらやりくり上手な兄嫁とはいえ、小豆なんて、ずいぶん贅沢だなと思ったのですが、よくよく考えてみれば、おはぎというのは、春と秋の彼岸に作られる食べ物です。死者への弔いの食べ物なのですね。 ここまで考えるにいたって、監督は戦争で死んでいった当時の兵士たちへの慰霊の気持ちも込めて、登場人物たちに劇中で、おはぎを食べさせたのだなと思いました。 悦子の見合いの席で、明石と永与と、悦子がお膳を囲んで、おはぎを食べるシーン。 何気ないもてなしのシーンだけれど、この中に監督は太平洋戦争で死んでいった人たちへの慰霊の思いを込めて、彼らにおはぎを食べさせたのですね。 静かで何気ない映画ですが、その何気ない描写の一つ一つに、監督の語ろうとするものが多くひそんでいる映画でもありました。 明石が特攻として飛び立っていったこともそののち死んでしまったことも、永与の言葉で語られるだけです。 今までの映画であれば、戦闘機に乗っている明石とそのそばで別れを告げる永与。明石の最後の言葉、うなづく、永与。飛び立っていく戦闘機。太平洋上で撃ち落されるシーン。そんなのが画面にあったと思うのですが、この作品では、そういうような描写はあえて、一切なしなのです。 戦争を娯楽映画にしたくない。監督の作品は一貫して、静かに反戦映画なのだそうです。 もうひとつ、ところでですが、兄嫁役の本上まなみ。正統派の美人で原田知世と好対照でした。知世ちゃんかわいいけど、ちょっとしたすきにビンボーくさいところあるんだもの。 そして、あの時代に珍しくかなり自分の気持ちをストレートにいうタイプ。 現代っ子代表という感じで、あの時代の理不尽を現代人が見る時の違和感を見事に代弁してくれているのですね。 「戦争なんて負けてさっさと終わればいいのに」とか、「悦子ちゃんが好きだから、悦子ちゃんと一緒暮らせると思って悦子ちゃんのお兄さんとと結婚した」とか、自分の本音をためらいなく、語る。とにかくよく喋ります。明るくてとても活発そうです。時代に泣かされない女性を対称的に描いてあるのもまた、計算されたシナリオの見事さなのでしょうか。 そして、彼女によって悦子が同姓にも好かれるような女性であり、明石少尉を慕っていることも語られて、見ている側は、すんなりと悦子の心の中に入っていくことができるのですね。 映画の中のおはぎがあんまりおいしそうだったので、私も始めておはぎを作ってみたけど、難しい。ラップのない時代に美しいおはぎを作るのは大変そうだよ。昔はみんな手作り。安くて、安全でとても、おいしい。今はネットのおかげでレシピにも苦労しないですむし。 ちょうどお彼岸ですからね。                    

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