テーマ:DVD映画鑑賞(13566)
カテゴリ:外国映画 な行
兼愛と我執の愛が一つにつながる瞬間。 この映画もすごく評判いいですねえ。ヒロインがすごく美人ですばらしかった。 ここからネタバレしまくります。 宣伝ではラブストーリーと銘打ってあるんだけど、それだけじゃないだろーと思います。 新生の結核菌を治療する新薬の開発は金脈ともいえるほど儲かる。しかし、新薬には治験がつき物。つまりは人体を使わなくてはならない。そこで思いついたのがアフリカの奥地の村に援助物資とともに治験薬を送り、現地の村民を使って治験するというもの。 本来治験は本人の承認を得てやるか、ないしは大学病院で専門の先生の元でやるものじゃなかったかな。でもアフリカでやれれば安上がりだし、大量にデータが取れるわけだしこんないいことはない。しかも、アフリカのど田舎なら、ばれる心配もないはず。 しかしなぜかそんなことに気づく目ざといやつがいるもので、今回その目ざといやつだったのが主人公の妻テッサだったのです。テッサは金儲けのためには人を人と思わないあくどい企業のやり方を告発するたに命をかけた。そして文字通り命を引き換えにした。 先進国の金儲けのためには発展途上国の人たちの命も生活も犠牲にして当たり前の現代社会の問題点を描いた物語でもあります。 ナイロビのスラムはアフリカ一の規模だそうです。『マザーテレサ』にでてくるインドのようにまずしいです。 主人公のジャスティンは外交官で、エリートで、ひたすら温厚主義の、戦いを好まないヤサ男です。しかし、出産の時テッサと病院で同室で、出産後体調が悪いけれど歩いて長距離をかえらなければならない女性を見かけ、テッサは「せめて車に乗せていってあげたい」とジャスティンに頼みます。しかし、ジャスティンは「貧しいのは彼女たちだけじゃない。この村、この国のほとんどの人たちが貧しいんだよ。一人だけ助けてもどうにもならないだろう。」といって拒否します。一見戦争のきらいなやさ男風なのに、やっぱりしっかり男なんだなと感じさせるシーンです。 目の前のかわいそうを切り捨てる男、切り捨てられない女。 その後、テッサの死後、彼女の真実を求めて各地をまわった挙句たどりついた村で、部族間抗争で逃げる現地の少年を助けようとするジャスティン。金を使ってでも助けようとする彼に、頼まれたパイロットは「たとえ金をもらっても少年を助けることは出来ない」と断ります。ジャスティンは妻の真実を追いかけながら、とうとう妻の持つ兼愛の精神と目の前のかわいそうを切り捨てられないという人としての情を持つにいたるのです。 すべてに無関心で事なかれ主義だったはずのジャスティンは、テッサが彼をいかに愛していたかを知るとともに、それと同じようにあるいはそれ以上に、子供を、子供たちを、スラムの人たちを、アフリカの貧しい人たちを、世界のすべての人たちを愛する心を持っていたことを、そして自分自身もまた妻と同じように人を愛する兼愛の心を理解できるようになっていることを知るのです。 女性が持つ自己犠牲すらいとわない愛の感覚を、ジャスティンが始めて理解した瞬間なのです。 「男は戦争しか知らない。だから救援物資の食料はみんな女たちにやるんだ。女の方が賢い。」と現地の村で一人医療活動を続ける白人の医師の言う言葉こそが、まさにこの物語のテーマであり、貧しいアフリカの僻地ですら、部族間での戦いを繰り返す男たちには人間の持つ原罪を、そんな地でもなお子供たちを育て生きようとする女性たちにやはり人としての原点を見るようです。 ラストシーンでジャスティンは言います。「君はぼくの家だ。やっと帰ってきた。」と。 ジャスティンのように、世界のすべての男たちが、女性の持つ兼愛の情を理解できれば、戦争も、人の命を犠牲にしても気にしないお金儲け優先の男社会的価値観も、なくなるのじゃないのか。と、私はそう思います。 戦争なんかやめてみんな我が家に帰ろうよ。 余談ですが、作中死産だったテッサが隣の黒人の女性の産んだ赤ちゃんにお乳を飲ませるシーンがありますね。このシーンはいろいろな含みもあり、また、テッサの博愛の精神を物語る場面でもありますが、実は、産後の女性が赤ちゃんにお乳を飲んでもらうのは医学的にもいいことなんですね。お乳を吸ってもらって乳房に刺激を受けることで産後の子宮が収縮して元に戻るのを助ける大事な役割を持っているんです。だから、死産だったテッサはよその赤ちゃんを借りてお乳を飲ませていたのは人助けだけの意味じゃなくて、テッサの体のためでもあったのです。 でも本音はつらいよねー。 えっと、追記を書き足しました。こっちも読んでね。 『ナイロビの蜂』公式ページ ナイロビの蜂@映画生活 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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