ふつうの生活 ふつうのパラダイス

2009/09/06(日)20:46

『黒き影に抱かれて』 ローラ・キンセイル

読書ノート(71)

物語の冒頭はイギリスからはじまりますが、中世イタリアを舞台にした物語です。ハーレクイーンヒストリカルみたいだなと、思って買ったのですが、まさにハーレクインな内容でした。 でも、700ページ以上もあるやたら分厚い文庫本です。持ち歩くのが大変でした。 最初の100ページ位を我慢して読むと、後は、結構おもしろかったですね。ネットのいろんなブログ書評を読むと、賛否両論でおもしろくなかったという意見も結構ありましたが、私は面白かったです。 久々に読んだラブロマンスでしたが、読んでいくと、途中から二人のラブシーンがSMになってきて、「うわっ、なんで?」と、ここで読者は戸惑います。 セックスの時にヒロインのエレナが相手のアレグレートの体に噛み付いたり、二人で、女王様と奴隷というSMプレイを始めたり。ほのぼのしたファンタジックであまーいラブロマンスを期待して読んでいた読者にするとびっくりです。 でも、作者はどうして、こんなシーンをいれたのかなと、ちょっと考えてみました。 イギリスで育ったヒロインエレナは、故国イタリアへと嫁ぐことになります。ところが途中で海賊につかまってしまい、その海賊アレグレート・イル・コルヴォと、結婚することになってしまいます。 この物語のテーマは、「人は愛によってしか支配できない」ということだと、私は思います。 人を支配する方法は二つあります。一つは、力で、もう一つは愛で。 殴られるのが怖くて他人の言うことを聞く場合と、愛する人からの願いや頼みだから聞く場合があるのです。そして、一つの国家もまた、武力による支配と、支配者の国民への愛、国民のリーダーへの愛である場合とがあります。 フランコ・リアータの力によって支配されていたエレナの故国モンテヴェルデが、故国に戻ったエレナのその愛によって、統治されるようになるという物語なのです。 愛しているはずの父親に、力と恐怖によって支配されていたアレグレートは、エレナと出会い、愛によって支配されることになるのです。 SMプレイのシーンで、アレグレートは、エレナにしばられ、ムチ打たれます。けれど、力の上では、アレグレートの方がずっと上です。彼がいやなら、逆らうこともできます。それなのに、エレナの為すがままにされていく上で、しばられ、痛めつけられていたはずの彼は、エレナとの愛の行為の中で、絶頂の愛の喜びに浸ります。彼を幸福の快楽に導いたものは、チカラや暴力でしょうか。いいえ、どんな状況にあっても、愛する彼女との行為ゆえに彼は、幸福であり、喜びを感じたのです。 アレグレートの心をの描写がこんな風にかかれています。 「征服されたのだ。私は、何千もの軍勢に勝る力で」 この行為によってエレナは、力によって人を支配することは無駄なことであり、無理なことなのだと、実感させたのです。そして、これ以降彼の中で何かが変わっていきます。 そしてまた、この描写は、物語の後半、女大公となるエレナと、その家臣となるアレグレートという立場、人間関係へと変化していく複線でもあります。その時までは、絶対的に、アレグレートの方が上の立場にいたはずなのですから。 最初の時にはまだ、アレグレートの方が力があり、エレナは何の力も持たず、ただ彼の為すがままになるしかありませんでした。けれど、エレナは、力によって征服されることに抵抗したのです。その時できた唯一の方法が彼のからだに噛み付くこと。彼女は力よって支配されることに徹底的に抗い、そしてまた決して、他者を力で支配することもしませんでした。 中盤から物語は意外な展開になります。宿敵フランコを殺すために訪れたモンテヴェルデで、微妙な状況の一瞬を捉えて、モンテヴェルデ共和国の正当な相続権をもつエレナは、故国モンテヴェルデの女大公となったのです。この展開には私はとてもびっくりしました。もともと彼女の祖父が大公として支配していたモンテヴェルデは、フランコ・ピエトロ・リアータの武力と、暴力によって支配されていました。リアータ家に対立するモンテヴェルデ共和国のもうひとつの名家の非嫡出子という微妙な生まれであったアルグレート・イル・コルヴォ・ナヴォナは、宿敵フランコを殺害しようとしたはずなのに、その瞬間、大公となったエレナに捕らえられてしまうのです。 大公となったエレナは、フランコとアレグレートの二人をけれど、死刑にするでもなく、武力や暴力で支配するでもなく、それぞれの城に高待遇で幽閉し、あくまで二人が、仲直りすることを平和的に説得し続けるのです。 そしてそれは、モンテヴェルデを狙う他国の策略にはまり、窮地となったエレナたちを、フランコとアレグレートの二人が協力して助け出すことで、かなえられていきます。大公となったエレナは、自分の国も、自分の国の国民たちも、自分の部下たちも、すべて、彼女の持つ愛の力だけで、支配していく。そういう物語なのだと、思います。 二人は、SMなのかなと、思う描写にびっくりしましたが、それ以降の二人の愛のシーンは、もっとずっとふつうですし、状況的に妊娠できないエレナのために、アレグレートは、いろいろと彼女に気遣いもしてくれています。 そしてアレグレートは、愛するエレナには、決してあらがえないけれど、いざ敵の前に立った時には、驚くほどの英知と、勇気と、剣さばきやたくましさを見せてくれます。そしてなにより、ものすごーくきれいないい男らしいのです。もし、映画化されたら、どんなかっこいい俳優さんが、彼の役をやってくれるのか。ちょっと楽しみなくらい。 そして、もう一つ。この物語の中にでてくる西洋人の信仰心。ほとんど宗教のない日本人には、彼らの感覚や価値観はかなり、理解しにくいものですが、この物語における重要な部分でもあります。そして、当時のキリスト教がどんな意味とどんな社会的位置を持っていて、西洋社会の中で、どんな意味を持っていたのかを知らないと、この物語は、分かりにくいのではないかと、思います。 司祭さまに自分のやった悪行を告白するだけで、許されると、本気で信じているなんて、私たち日本人には到底理解できないです。それでも、自分の行動を常に第三者的な視点で捉え、言葉にして、他人に話すことで、自分という人間と、その行動を冷静に見直すという行為を、日常的に繰り返していくということは、とてもいいことだと思います。許されるかどうかは別として。 そして、物語の中で結構悪いことをくりかえしているフランコも、アレグレート、エレナも、司祭に告白することで、許されるという部分をすごく大切にしているし、それがなければ死後は、地獄に落ちると、本気で信じている。そのあたりがすごく不思議です。そして、そこまで信じていながら、アレグレートのために司祭への罪の告白をしないということで、エレナのアレグレートへの愛がいかに深いものかが、描かれているのです。日本人には、分かりづらいけど。 また、どんな状況にあっても、しかたないとか、自分にはできないとか、どうしようもないとか、そんな風にあきらめずに、どんな苦しい状況でも、自分の信念を決して曲げずに、生きていく、突き進んでいくヒロインエレナの生き方が、全編を読んでいて、すごく素晴らしくてステキだったです。 タイトルの原題は、『SHADOWHEART』です。コレを意訳して邦題は『黒き影に抱かれて』となっています。黒き影とは、カラスの異名をもつ海賊アレグレートをあらわし、彼に守られるエレナをイメージさせますが、原題は、シャドウハーツ、つまり、心の影。 非嫡出子として、名家ナヴォナの血をもちながら父親の愛を得ることができず、力と恐怖に支配されていたアレグレートが、その身の内に持ち続けていた心の影、闇を意味しているのではないかと、思います。そして、彼のそんな心の闇の部分を解きほぐし、愛によって、彼を支配し、人の心は、愛よってしか支配できないことを、国もまた愛によってしか支配できないことを示した、ヒロインエレナの物語なのです。 人も国も、剣や武力ではなく、愛によってしか支配できないことを、世界の全ての人たちが、理解できたら、世界から戦争はなくなって、平和になるのになぁっと、ずっとずっと、思っています。                 

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