ふつうの生活 ふつうのパラダイス

2010/01/07(木)18:48

『アバター』

外国映画 あ行(22)

かってのローランド・エメリッヒ監督が描き出した『インデペンデぺンス・ディ』においてえがきだされた、侵略される側の心理、恐怖。 今回の『アバター』もまた、侵略される側の立場の視点での、心理、恐怖、戸惑いが描かれている。 かつて、アメリカ大陸には、もともとの先住民族が住んでいた。けれどそこに、ヨーロッパから、利益をもとめて、白人たちがやってくる。 もともと住んでいる側の都合もなにも関係なく、侵略者たちは、殺戮し、侵略し、アメリカという大陸を自分たちのものにしてしまった。当時の侵略した側にとっては、もともといるネイティブアメリカンや、マヤ文明の人々は、ただのじゃまな存在であり、敵でしかなかった。 けれど、長い時間のはてに、実はもともと住んでいた、ネイティブ側に対して、配慮できるところまで、認識が進んできたようだ。 アバターの物語にでてくる、もともとの民族ナヴィは、、パンドラの星で自分たちの生活と文化と文明を築いて暮らしていた。そこに突然やってきた機械文明を持った他の星からの侵略者「スカイピープル」は、自分たちの利益のために、パンドラの地を侵略していく。 映画の中のパンドラの人々ナヴィの姿は、ネイティブアメリカンか、マヤの人々にそっくりなデザインになっている。 そして、そこに、侵略者スカイピープルが、アバターとよばれる人工の身体に精神をおくりこんだ技術によって、 主人公ジェイクは、アバターの身体で、先住民ナヴィの中に入り込んでいく。パンドラの土地にあるレア鉱石を採集することを目的に、鉱石の上に住んでいる彼らと交渉するために送り込まれたはずの主人公ジェイクは、やがて侵略される側の先住民たちの中に入り込み、侵略される側の立場にたち、彼らを助けるために、エイリアンと戦う側となっていく。 アメリカ大陸を侵略し、占領し、先住民たちを殺戮したヨーロッパの白人が、ネイティブアメリカンになって、もともとの侵略される立場のネイティブアメリカンの側につく物語の状況を、パンドラという星を借りて、描き出している映画なのだと、思う。 侵略される側の気持ちを理解して欲しい。自分たちのいままでの行動や歴史は、いったいなんだったのだろうか。 それが、監督ジェームズキャメロンの語るところだろうと、思う。 それにしても、ドラゴンや空飛ぶ生き物に乗って、空を飛んでみたいという夢は、だれでもが一度は、望んだことではないだろうか。飛竜にのって、空を飛ぶ、先住民ナヴィと、主人公ジェイクのシーンは、一番の面白いところ。 けれど、足を怪我して、歩くことのできなくなったジェイクが、アバターとなって、パンドラの大地を冒険し、ナヴィたちの世界に入り込み、恋をして、いくうちに、もともとのリアルの自分より、アバターの自分の方が意識としてメインになっていくあたりは、オンラインゲームにはまりこんで、リアルがだんだんどうでもよくなっていく状況に良く似ていて、ちっょと怖い。オフラインゲームでは、ここまではまり込むことは決してない。物語としては、面白いけれど、ジェイクが最後にアバターの身体に入り込んで、パンドラの地で生きていくことを選択したラストは、一昔前なら爽快であるけれど、コンピュターグラフィックを駆使したこのての映画で、この結末を見るのは、微妙に是非を戸惑う。 さて、その一方で、地球人と先住民ナヴィとの侵略戦争戦で、ジェイクと戦うマイルズ大佐は、「人類を裏切るのか」と、ジェイクにいう。人類のために戦うという大佐の言葉は、見事に洗脳されたものなのか、戦い侵略を正当化するためのものなのか。けれど、実際のところ、パンドラ侵略は高額で売ることで莫大な利益をえるためにパンドラに鉱石採掘と侵略軍を送り込んだ企業のためでしかない。そんな描写に今のアメリカの戦争の真実が語りこまれてもいる。 単純に冒険者としてみれば面白い映画でもある。現在の映像技術ならではの違和感のなさ。ネットのサイトの予告編などで見ている時には、人形のようにもみえるナヴィやパンドラの動物たちが、映画館でみているとすこぶるリアルで、みごとだ。物語にはまり込んで、美しいパンドラの自然の中で、主人公ジェイクとともに、冒険するのも悪くない。 そしてまた、続編の作り安そうな話しでもある。 もういちど、スカイピープルがやってきたら、次はジェイクはどうするのかな。                       アバター@ぴあ映画生活

続きを読む

このブログでよく読まれている記事

もっと見る

総合記事ランキング

もっと見る