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ふつうの生活 ふつうのパラダイス

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まんが

2011.03.22
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カテゴリ:まんが
こんなに正統派の女の子は、いまどきちょっといない。

物語のヒロイン黒沼爽子(貞子)は、ひざ下までの長いスカート、上まできちんとボタンをとめたブラウス、白い靴下。黒くてまっすぐな肩下までの髪。

勉強は自主的にきちんとやるし、家の手伝いもするし、料理も作れる。

学校の雑用係も、委員の仕事も、自分から買って出る。

そして、ヒトのためになにか役立てないかと、いつも考えている。

それにもかかわらず、貞子とあだ名され、彼女とかかわれば呪われるとか、霊感があるとか、噂され、嫌われている。

物語を読み始めた時、なぜこんなに嫌われているのか不思議だった。

でも、今の時代。女子高生の間では、制服のスカートは、ウエストをまくりあげることで、ミニにするのが流行っている。それはもう見事なくらい、ほとんどすべての女の子たちのスカートは、短い。場合によっては、下着の見えそうなぎりぎりの丈だったりする。
こうなるともう、本音ではミニスカートがいやでも、足をだしたくなくても、自分の好みに関係なくスカートを短くせざるを得ない。
こんな時代にスカートの丈をひざ下のままにしていたら、まず、周りから浮くに違いないし、ものすごく勇気のいる行為に違いない。

実際、物語の中でも、爽子以外のすべての女の子たちは、いまどきのミニスカートなのだから。

その上勉強はやる。委員はやる。髪は黒い。これでは、実際周りから『うざい奴』と、思われても仕方ないし、いい子ぶりっこと、思われて、嫌われるること必定だと言える。

物語では、貞子の悪評ばかりが、オーバーに語られているので、爽子のこういう本質が見えにくい。

けれどそんな中で、風早君だけは、真実を見抜く目を持っていたのだ。
他人のために、クラスのために、自主的に働く爽子に気づいて、魅かれていく。

ただ、周りは、彼のそんな心中がわからずに、ただ、優しいから、浮いてる子を放っておけなくて、優しくしているだけだというように見えてしまう。

ほとんどの女の子がヒトによく見られようと、必死になっていて、そのためにミニスカートだったり、過剰におしゃれしていたりする中で、爽子だけが、人によい感じを与えるための制服の着こなしや、委員の仕事や、料理、友達のためのノート作りをしていたりする。

けれど、高校生になった彼らは、少しだけ成長していて、やがて、風早君や、初めて爽子の友達になってくれたヤノピンや、吉田さんたちによって、爽子の本質がみえはじめ、彼女を受け入れ始めていく。

爽子自身は、自分の制服が友達の中で、浮く着方だということも、自分がやってるもろもろの行為が逆に回りの同級生たちに、ある意味での不快感を与えていることにも、実は気づいていない。

ただ、ヒトのために動いているだけなんだけれど。

物語の進むうちにどんどん爽子が可愛くなっていく。そして、やがて、風早君のために、ミニスカートをはいたり、おしゃれをしたりするようになっていく。

それから、この物語の大切なメッセージの一つが、思っていることは、ちゃんと言葉にして相手に伝えなくては駄目だよ、ということ。

思いはきちんと言葉にして、相手に届けなければ。

言わなくてもわかるとか、言うのは怖いから逃げちゃったりとか、そんなのは駄目だよってこと。

一生けん命話した私の言葉は、あなたに、君にちゃんと届きましたか。
届いてほしい。
届けっ!

十代のいろんな思い。恋心も、友情も、なかなか思い通りにいかないそんなエピソードのひとつひとつが、読みながら、ドキドキして、青春だなーっと何度も何度も、思いながら、爽子と、風早君の恋の行方を追いかけながら、作者のメッセージをたくさんたくさん、いただきました。

ヒトと、本気でかかわるって難しい。
いままで、ずいぶん逃げていたなと、反省もしましたが。

現在12巻までです。続きがとーっても、楽しみです。手書きハート





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最終更新日  2011.03.22 15:00:31
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2010.02.10
カテゴリ:まんが
最近父性の物語を読むことあるいは、見ることが多い気がする。

母性愛は有名で、そしてまた、そんなのは、幻想だという、反対論もあるけれど、父性が話題にされることは少ない。

先日までみていた、『LOST』は、はじめロビンソンクルーソーの集団版の話かと思っていたら、物語の進んでいくうちにだんだんSFっぽい、ミステリアスな物語になってきた。でも、その物語の中で、たくさんいる登場人物たちの誰もがほぼ、父親とうまくいかずに悩んでいる。そういうエピソードが、毎回一人づつ、語られていく。

物語の舞台となる島の中で、どうしても、子どもがうまれないのは、メインキャラクターの一人であるベンが、彼の出生にからんで、妻を失った父親にせめつづけられる彼の恨みがからんでいるよう思えるのだけれど、どうなのだろう。そういう父親というものが、子どもにあたえる影響のこわさとか。

そして、ついこないだ読み終わった『プルートゥ』もまた、父性が絡んでいるように思えたのだ。
かの巨匠手塚治虫の代表的な作品である『鉄腕アトム』を今話題の浦沢直樹が自分なりにアレンジして、書き上げたものだ。

そのもともとのアトムのアニメも、原作も私は見たことも読んだこともないので、どこがどう同じで、どこがどう違うのか、わからない。
それでも、アニメ化されていく中で、アトムというキャラクターが一人歩きをはじめて、どんどん美化されていき、作者である手塚虫がもともと考えたものとは、まったくちがうものになってしまったことに、手塚治虫がずっと、不満を持ち続けていたこともまた、割と有名な話だと、思う。

作者にとっての作品もまた、自分の子どものようなもので、手塚が理想とするアトムにならなかったことが、彼には、とても苦々しいものだったみたいだ。
物語の中でも、アトムを作った天馬博士は、アトムに対して、自分の望むものとはどこかちがうアトムに対して、イラついている。

母親は、子育ての段階で、いかに子どもが自分の思うとおりにならないものか、つくづく味合わされて、とりあえず、そこそこに育ってくれればそれでいい、位に思っているものだけれど、父親というのは、息子に対して、要求がきびしいというか、もしかすると、理想の自分をみているのかなと、思う。
父親は、娘にたいしては、ただ、かわいいだけなんじゃないかと思うんだけれど、息子に対しての、父の意識ってなんなんだろうと、いつも思う。

で、名画なんかでもよく見かける放蕩息子の帰還とか、父息子のいざこざとか、反発とか、断絶とか、島崎藤村の「和解」という小説も、不仲になった父と息子が、最後に和解して、仲直りする物語だし。

アニメの『鉄腕アトム』で、見ているときには、ロボットと人間がほぼ同じ立ち居地で、それぞれに人権がみとめられ、友達として、人間とロボットがなかよくしている状況は、ほほえましくて楽しく見えた。でも、『プルートゥ』で、えがかれたロボットと共存する社会はこんなに恐ろしくて怖い社会だったのかと、びっくりした。

ロボットが子どもをもったり、家族をもったり、食事をしたり、どこまでいっても、所詮真似事で、人間と同じ暮らしをするイコール同等とは、思えないんだけな。そして、人間のための社会がいつのまにか、ロボットの社会にすりかわっていくのも怖い。

そういうロボットたちをつくっている博士たちが、自分の作ったロボットをわが子のようにみている時、愛情なのか、不満なのか、理想どおりならないロボットたちにやっぱりイラついている。

そういう物語だったりして、そこに、平和とか、戦争はよくないとか、憎しみやそんないろんなマイナスの感情を語っていたりする物語だったりする。

父親は息子に対して、完璧な自分を求めているように見える。そこが母性と違うと思う。じっさいのところ、父親がわが子にたいしてもつ愛情とかって、どんなものなんだろうか。私は女だから、どう考えても、周りの男性たちをみていても、やっぱり、よく分からない。


そして、そんな父性を問い直している物語のような気がする。

ちなみに、このての物語で、戦争をする人類はおろかでとか、かたられるけれど、人類じゃなくて、戦争するのは、あくまで男性ですから。女性は戦争なんて、そもそも、やらないですから。「戦争をする男性はおろかである」と、書き直して欲しいよね。


           



         








最終更新日  2010.02.10 07:53:23
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2009.12.01
カテゴリ:まんが
のだめの新刊がでたーっと、買ってみたら、グランドフィナーレだってー。
なんと最終巻でした。まだまだ続くとおもっていたのに、なに、この終り方。いきなりなので、なにがなんだか良く分からない。
こんど時間のある時、最初から通して読めば納得できるのかも。

最初読んでいた時は、まさかのだめがパリの「コンセルバトワール」までいっちゃうとは、思っても見なかった。


コンクールとか、いろいろでてくるけど、のだめは音楽は好きだけど、世界的に有名な音楽家、ピアニストを目指してたわけじゃなくて、幼稚園の先生になりたかっただけ。子どもたちにピアノを弾いてあげたり、自分の作った歌を歌ってあげたり、一緒に歌ったり、そんな風に素朴に、音楽を純粋に楽しみたかっただけ。音楽もスポーツも、もともとは、楽しむためにあるものだったのに、どうして、だんだん競争の道具になっちゃうんだろうね。特に日本はそうですね。運動部に入っても、大会で優勝するための苦しい練習ばっかり。コートや運動場がたらないから、基礎トレばっかり。テニスなら、テニス自体をやりたいのに。
なんかまじめにがんばる方向に行ってしまう。

もっと、純粋に気楽に、ノンキに、音楽を楽しみたい。生きることを楽しみたい。

でも、のだめのおかげで、ふだんクラシック音楽に触れない人も、結構クラシックを聞いたり飼ったりした人が増えた気がする。
なんか映画が楽しみ。

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最終更新日  2009.12.01 22:21:08
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2009.10.09
カテゴリ:まんが
あの人気子育て漫画「ママはぽよぽよザウルスがお好き」の思春期編です。

リュウ編と、アン編があるらしいのだけど、とりあえず、リュウ編だけ買えたのです。

子どもも二十歳になればいいかげん大人になって、手がかからなくなるかと、思っていたら、ぜんぜん!!!
成人したはずなのに、精神年齢は未だに子供です。どうしてこんななんだろうと、悩んでいたら、リュウくんも、うちの息子とそっくりです。どこもおなじなんだと、ほっとしました。結構うちの息子と行動パターンが似ていて、安心しました。

高校の頃、時間割そろえるのがメンドウで、いつもカバンに全部の教科書入れてたりとか。
大学生だと、昼間で寝てたりとか。
出かける時、いろいろと忘れるので、結局母として、いろいろ声かけしちっゃたりとか。
幼稚園時代から、小学校、中学校、高校と、その時のいろんなエピソードなんかも描いてありました。


そして、そんな男の子を育てる母親のいらいらや不安や、不満や、辛さも描いてあって、共感度タップリ。思春期でぜんぜん口を利かない息子の態度の悪さにいかったり、喧嘩して悲しくて泣いてたり、でも、成長して独り立ちして出て行こうとする息子にショックを受けてたり。
息子と喧嘩したあと、毛布にくるまって泣いていたり、それがますます腹立たしくなって、さらに子どもに怒ったり。
息子と喧嘩した夜は、息子が家出しちゃうんじゃないかと、心配で寝られなかったり。

そんないろんなエピソードがすごく似てる。

もっとも、うちは、二年間ほとんど口をきかないとか、家出しないか心配とか、そういうことは、とりあえずなかったけど。

男の子を育てているお母さんには、共感度200パーセントです。

で、買ってきたこの本を見てうちの子達も、「あ、ぽよぽよだ」と、言って、読んでいました。
これを読んで、息子にも、子育てしている母親の心情や辛さをわかってほしいと、思いましたが、彼は、読みながら、母親ともめてるリュウの方に「うわ、ひでえ、リュウかわいそう。」と、逆の方に共感してました。
子どもには、子どもの事情や、気持ちがあるんでしょうねえ。

とりあえずもう、これ以上子どもにあれこれ言いたくなーい。

早く大人になってほしいけど、出て行かれるのはさびしいし、でも、いるとうざいし。相変わらず子どもだし、えーーーーっとお。
どうすればいいんだろう。

いつも行くクリーニングやさんのお姉さんに子育ては一生よっと、やっぱり言われました。彼女、男の子三人の母です。はぁっ。



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                ↑たぶん、表紙のリュウは、美化されすぎだと、思う。








最終更新日  2019.02.13 11:50:47
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2009.09.19
カテゴリ:まんが
『キャリアこぎつねきんのもり』の続編です。「きんのもり」の一巻では、四歳だったわらしちゃんは、とうと小学生になりました。すごいです。この話そんなに私は好きなわけじゃないんだけど、でも、わらしちゃんがかわいいという、それだけで読み続けています。というか、作者の石井先生が好きなので、このセンセイの作品は本屋でみたら、即買いなので、中身チェックなんてしないもん。

わらしちゃんなんと、小学校お受験してます。私立小学校なんて好きじゃないけど、まあ、このお話の場合は、主人公早歩さんの勤めているホテルに近いので、学校終わったら、バスでわらしちゃんがホテルに帰れるからという選択なので、ま、そういう選択もあるんですね。

でも、このお受験シーンがなかなか面白かったです。読んでいて、うちの息子も筑波大付属くらい受けてもよかったかもしれないと、思ってしまいました。おもしろそう。筑付なら、国立だから、安いし。でも、あそこは、中学、高校と上がるための内部進学にきびしい成績チェックがあるので、大変そう。ほかも、私立によっては、小学校受験では、むずかしいのに、上にいくほど、レベルや偏差値のたいしたことのない学校になっていくところもありなのでねえ。

それにしても、学力なんて、はかれないし、私立小学校っていったい、どうやって、選考するのでしょう。やはり、面接で、いかにもお金ありそうな家からえらぶとか?
面接ってたぶん、やくざかどうかとか、危ない世界の人かどうかとかも、チェックしてそう。親の中には、いかにも、品のない人たちもいるし、この人若い頃は、ギャルだったのかなとか、そういう人もいるからねぇ。あ、こんなこと書くと、差別とか、いろいろクレームのコメントがきそうで怖い。

ただね。公立小って、おとなになったら絶対かかわらないような世界の人の子どもたちとかとも、同じ教室で、関わってかなきゃならないから。貧乏人や、危ないひとたちと、うちのかわいい子どもを接点もたせたくないと、思えば、私立入れるのでしょう。お金のある家はいいなぁ。
でももちろん、うちの子達は、公立小で、問題なく、成長させていただきました。はい。

話がそれました。人に顔をみせるのもいやなほど、心に傷をもっていたはずのわらしちゃんが、いつのまにこんなにタフになったのでしょう。びっくりです。やはり、ホテルの保育室って、子どもながらにいろんな子どもたちとオープンに接している場所。子どものうちからいろんな人たちとかかわることのできるオープンな場所で育ててもらえるって、すごくラッキーなことだし、子どもにもいいことなんですね。うらやましい。
日本は働かないかぎり、保育に預けるってできないからなぁ。その保育所自体不足してて、問題になってますからね。


しかし、中盤で早歩さんがわらしちゃんの人間関係で悩んだ時の十川さんのセリフ。

「人に好かれるように生きる学校生活は生き地獄ですよ。」

つて、うーん。すごい。この巻の中ですごくインパクトありました。
私もほとんど人の機嫌をとるような行動のできない人間なので、もう少し他人の機嫌とるような行動とればもっとラクなんじゃとかずーっと、思っていたけど、そうでもないのかぁ。うちの母親なんか会うたんびにいかに他人の機嫌をとって、うまく立ち回ることが大事かをえんえんと説教してくれますが、聴いてる私はもう、しらけるばっかり。めんどくさいから、だまって聞き流してますが。

ま、だいたい自分の行動の基準を他人の機嫌取りにおいてたら、どうにもなんないものねえ。人の機嫌や価値観なんて、人によっても違うし、その時の気分や体調や都合でも変わるし、あくまでこっち側の想像でしか予測できないことを基準に動くなんて、…不可能です。


それにしても、十川さん。早歩さんのこと、好きだったんですね。それを思うと早歩さんの言動はある意味とっても残酷ですが、それがまた、たまらなくよかったりするのかもしれないし、はらはらしながらも、もしかしてたのしいのか?

いえいえ。ほんとに最後には、二人がくっついてほしいなと、読者としては、心待ちにしつつ、ずーっと読んでます。
この二人がカップルになりそうなのは、「きんのもり」の最初から想像はつくんだけど、最近の漫画ってたまに読者の期待を裏切ることがあるからね。

早歩さん。自分の産んだわけでもない子をここまで必死に育てていて、偉いです。早歩さんの場合は、恋愛と結婚すっとばして、いきなり子育てですからねぇ。今の私は、息子がかわいいながらも、早くでてかないかなあとか、時々考えることアルもので。ははははははは。子育てって自分の子でもたいへんですからねえ。
ま、子どもが成人したら、そう思うのは、ふつうのことですが。

いるとうざいけど、いないと、さびしい。矛盾だらけ。



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最終更新日  2009.09.19 08:39:11
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2008.11.11
カテゴリ:まんが
漫画です。『オタリーマン』の理系版です。
オタリーマンは読んだことないんだけどさぁ。

理系だ文系だと騒がれる昨今。(騒いでるのは私だけか)
でも、その違いって実際どんなものなんだ。

理科をやるのが理系で、文学をやるのが文系?

っていうか、理科をやる以外は、全部一緒くたに文系なのでは。

で、話題になる割りに分かってない、理系人間の実態が描いてあって、結構なるほどーーーーーーの世界です。

実際にSEの仕事をしている理系の人が書いた漫画。でも、この漫画の中では、理系以外の人イコール営業マンていう認識みたい。

遅刻ばかりして自己管理がゆるい理系と対照的に、早起きで自己管理できて、きれいな生活をしていて、人付き合いが上手でそつがない。というのが、漫画の中の営業系人間。

性格的にどうみても、理系なのに、経済学部なんかいっちゃって、将来は営業マンであろう息子に営業マンというものを認識させるのに、便利だったかも。私が口で説明しても、会社勤めもしたことのないやつに、営業とか、会社ってどんなものなのか、到底想像できないのだった。

で、理系か文系か悩んでいる娘にも読ませてみた。どう考えても、理系なんか無理だから、文系にしとけよという母の言葉をちっとも理解してない娘には、この本は逆に「理系---いいかも。」に、なってしまったような気がする。やばし。

この漫画では、理系が実際に何を勉強して、何をやるのか、何を要求されるのかは、わからんもの。

でも、理論屋で、理屈好きな理系なひとたちが、かわいい。現実にはうざがられてますが。

私、個人的な趣味としては、理系、好きなんですけどね。



          









最終更新日  2008.11.11 11:43:12
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2008.06.28
カテゴリ:まんが
伝説の長編SFの文庫化なんだそうですが、いまどき、宇宙でのすったもんだの戦争のお話なんかを読むとすこぶる白々しくて陳腐だ。私が若い頃は、アポロが月まで飛んで、人類の未来は、宇宙へ出て行くことだったのに、いざとなってみると、NASAは、予算不足で縮小気味だし、ソ連はなくなっちゃったし、なんだか、宇宙開発なんてどこ吹く風。宇宙戦争なんて、『スターウォーズ』みたいなこと、とてもじゃないが、おこりそうにない。

そう思ってたら、この本のあとがきで作者自らが、そう自白していて、うーんやっぱりそうだよね。と、思った。今時の若者は、自動車なんかには、興味を示さなくて、免許も取らないらしい。実際、うちの息子も免許なんてものには、とんと興味を示さない。小さい頃から親の車に乗せられて連れ回らされて、車は乗せられるものではあっても、自分で乗るものではないらしい。というか、子供時代ですでに、満足して、飽きちゃってて、満腹なのでしょうね。機械が当たり前のように日常の生活の中にある環境で育った彼らには、私たちが若い頃、これからどんどん世界が機械化されていって便利になっていくことへのわくわくした期待感なんてものは、ないらしい。

だからもう、いまさら、スペースオペラも、スターウォーズも、スタートレックも宇宙戦争も若い人たちには、当たり前すぎて未来なんてないみたい。

どうも、人類は、宇宙開発には、二の足を踏み始めたような。他の星に移住しないなら、もっと地球を大事にしないとね。第一爆発的に増えるはずだった人類も、すでに先進国では、少子化し始めて、減少の兆し。

もっとも、恐ろしいのは、水なのですが。昔は予想もしなかったけれど、よくよく考えてみると、人類がロケットを作って宇宙に出て行くということは、地球というカプセルの中から、貴重な水を持ち出してしまうという恐ろしい事実。地球に生命があるのは、なんといっても水があるから。この水が、地球というカプセルの中で、順繰りにめぐっているぶんには、どんなに無駄遣いしても、なくならないものなのだが、一旦、宇宙に持ち出したら、二度ともどせないし、地球の中の水がなくなったら、地球という環境のバランスはくるってしまう。水のない地球は、すでに、生命の星ではなくなってしまう。

だから、地球の水を確実に維持することを考えたら、宇宙開発はやらない方がいいはず。人類は宇宙になんかいかないで、地球の中におとなしくおさまっていた方が。それとも、他の星で、水の分子Hを、見つけられるのだろうか。

まったく宇宙に出ることなく、最終的な滅びに至るまで、地球の中で、引きこもりであり続ける人類って、こわいのか、普通なのか。微妙だ。

そんなこんなで、いまさら読むと、いろいろ矛盾だらけだし。素直に楽しく読めないものになってしまった、SF漫画。作者のいうとおり陳腐だし、細かいところでいろいろ矛盾だらけ。

それでも、この作者さんの漫画は、絵がしっかりしていて好きなのですけどね。

とりあえず、物語は、アステロイドベルトに殖民したベルターたちと、地球を支配する巨大コンピューターオーバーロードとの対決。そして、銀河の反対側からやってきた、機械生命体たちとの対決。機械生命体なんて、『トランスフォーマー』みたい。たぶん、この漫画の方が先。というか、この頃の漫画には、当たり前のように出てきた存在だと思うけど。

宇宙開発って、これからどうなるんだろう。





          
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メガクロス(下)








最終更新日  2008.06.29 08:14:01
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2008.05.28
カテゴリ:まんが
『コンスタンティン』とかぶる時間帯にNHK教育のETVで、石ノ森章太郎の特集をやっていた。

内容のほとんどは、彼の代表作『サイボーグ009』だった。

闇の武器商人「ブラックゴースト団」によって作られた9人のサイボーグたちが、そこから、脱出して、ブラックゴースト団と戦う物語だ。

第一部のラストで、闇の武器商人と戦って、死んだはずの009、島村ジョーは、ファンの熱望で同じように、生き返るけれど、そのあとの新シリーズでは、タイムリーにも、『コンスタンティン』と同じように、天使が出てくる物語なのだ。天国にいるはずの天使は実は人間を地球上で、放牧して、育てていた、宇宙人だったという設定。

天使たちとの戦いは、やがて精神世界の描写へと変化して、作者の石ノ森章太郎自身もかきこなせなくなってしまっていくのだ。
サイボーグは、機械と戦うのが本業なのに、精神世界の話になっちっゃたら、もうサイボーグである必要もなくなっちゃうし。

彼の息子さんが、残されたメモ書きから、小説として、サイボーグ戦士たちの結末を書き始めていて、出版し始めたらしいのだけど。はたしてどうなのだろう。読みたいような、読まない方がいいような。でも、興味深深。だけどね。




              










最終更新日  2008.05.28 08:22:14
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2008.05.01
カテゴリ:まんが
かの有名なバレエ漫画『アラベスク』の作者山岸涼子先生が久々に書き上げた超力作のバレエ漫画です。タイトルの意味は「舞姫」なんだそう。二つくらい漫画大賞をとっている名作だそうです。

バレエ漫画といえば、少女マンガの原点。かつて、子供の頃、小学館の『小学○年生』の雑誌のどの学年向けでも、かならずのっていた、バレエ漫画。バレエは当時ではとっても贅沢ではなやかーで浮世離れしていて、少女のあこがれだっのです。最近はそこいらにもバレエ教室がいっぱいあって、バレエの習い事が簡単にできるようになりました。あこがれのバレエをわが子に習わせる母。いい年だけどきにせず習い始める中年の女性たち。バレエもみじかになりました。

で、主人公の少女六花(ゆき)も、バレエスタジオを経営する母のもとで姉の千花と一緒に日々バレエに打ち込む日々。
でも、姉ほどの根性もなく、自分の体が実はバレエにはむかないと知って一時バレエをやめようとしたりする。このあたり、一度テニスがいやになってやめちゃう『エースをねらえ!』の岡ひろみと同じです。この手の話はかならず一回くらい主人公がやめようとする展開になるんですよね。そうじゃないとそれ以降すごくつらい練習の中でなんでヒロインは辞めないんだろうという読者の疑問をかわせなくなるからね。

そこに、転校生ですごくバレエのうまい少女空美(くみ)がやってきたりして、このあたり結構お決まりの展開なんですが、実はこの転校生の空美の家庭が、元名バレリーナをおばに持つ今はおちぶれた極貧の家庭だったりして、お金のためにに彼女は裸の写真を撮らされていたりします。このあたり、『白夜行』と、同じなのです。
『白夜行』では、描写されていなかった、裸体撮影の状況がこの漫画では、克明に描かれていて、お金のために裸の写真をとられる少女の過酷さがよくわかりました。写真撮るだけで本番があるわけじゃないんだけど、小学生の少女には十分というか相当きつい話です。山岸涼子ってこういう過酷な描写の話を意外とよく描くんですよね。でも、二巻か、三巻以降で、なぜか、空美は引っ越してしまい、出てこなくなってしまいます。
あまりの過酷な描写に、読者からクレームがついたのか、もともとそういう展開の予定だったのか、不明です。

もし、『白夜行』で、この描写があれば、ヒロイン雪穂の心理変化はかなり捉えやすかったけれど、そのあたりの実情を知らない読者が読むと、作者の書こうとして書かずにいる過酷な状況は想像するしかなくて、知らないとぜんぜん分からない。あの小説のむずかしさはそのあたりにあるんでしょうねえ。

なにしろ、裸体写真の撮影だけじゃなくて、その後、紐でしばったり、特別な器具をつけられていたり、そのあたりの過酷な部分の書き方が、山岸涼子ってうまいんですよね。

さて、そこまでひどいめにあってもなお、空美が従うのは、それにたえれば、バレエを習うことが出来たから。雪穂は耐え切れずに相手を殺してしまうけれど、この物語の空美はバレエをやりたいがために我慢しちゃうんですね。

そこまでしてもやりたいもの。バレエにとりつかれた少女たちの物語です。

そして、この後、もう一度バレエをやりはじめた六花と、その姉の千花は、コンクールに出たり、バレエ団の発表会に出ます。
けれど、その発表会の舞台で転んで、膝をうった千花は、そのあとその膝が完治することなく、バレエのできない体になってしまいます。そして、自殺してしまうのです。そこまでしてでも、やるほどのものなのか。できなければ生きる意味もなくなるほどのバレエの魅力に取り付かれた物語なのか。

それほどまでしてやるものなのか。それとも、それほどまでになるほどの魅力をバレエはもっているのか。この展開を読者はどちらにとらえるものなのか。

さらに、もう一人の少女ひとみは、毎日バレエを踊っているのにどうしてもやせることが出来ず、踊れば踊るほど筋肉がついて固太りしてしまい、極度のダイエットからやがて拒食、摂食障害になってしまいます。踊りの技術自体はあるのだけれど、基本的に体質的にバレリーナに向く体をしていない。それならいっそもうあきらめてバレエをやめてもいいんじゃないのかなと思うのだけど、彼女はやめない。

そして、主人公六花もまた、体型的に無理と知りつつも、バレエを続ける中で、バレエ自体を創作し作り出す才能の萌芽をそのうちに見せ始めつつ、物語は終るのです。

物語にでてくる少女たちはどの子もみんななにかしかバレエを続けていく上での障害をもちつつ、それでも、バレエをやめることだけはできない。

それほどまでのバレエの魅力にとりつかれている舞姫たちの物語なのです。


一方で、しっかり者の長女千花は、勉強もバレエも懸命にやる。学校でのイジメにもたえて家族にもうちあけない。母は彼女にひたすらしっかりすること頑張ること、強さを要求し続ける。彼女の死後初めて千花がイジメに絶えていたこと、過酷なまでの強さを強いられ続けていたことにきずく。

それとは対照的に妹の六花は、二番目らしく、やや甘えん坊であまり頑張らない。ところが、バレエの舞台のいざ本番で、ひとみや千花がいろいろな理由で踊れなくなるにもかかわらず、なぜか彼女は本番に強い。気弱で、あがっしまったりしても、なぜか周りの人たちに助けられて、ぎりぎりのところで舞台を踊りきってしまうのだ。そして、踊ることだけでなく、振り付けを考え始めたり、独自の創造性のなかで新しいバレエをつくりはじめそうな予感を見せ始める。

千花が踊れなくなってもなお、彼女がバレエを続けることにこだわっている母が、六花がやめたいと言った時には、あっさりと認めてしまう。舞台のそでであがりそうになる六花をおもわず回りの大人たちがいろいろな手段で援助し、助言し、助けてしまう。まわりに助けられることも、自分の弱さもそのま素直に自分のものとして受け止めてなんらに迷わない六花のもつ、隠れた強さ。おもわず回りの人たちの力までを自分のもとにとりこんでしまう不思議さ。

六花の才能に見込んで数々の支援をおしまない先生たち。

甘えていて、甘やかされているようでいて、気がつくとそれなりに強くなって、成長していく六花。やさしい先生と厳しい先生とそれぞれのいろんな大人たちに囲まれて、やさしさを土台に厳しさを吸収していく。

バレエの物語とともに、バレエを通して人が成長していく上で、どんな接し方や育て方が子供にとっていいんだろうかと、考えさせられるような物語でもあるなと思う。

日本の子育ては基本的に厳しいけれど、厳しいだけじゃ駄目なんで、やさしくあたたかく見守りつつ、要所要所でポイント的にずばっと厳しいといいのかも。六花のお母さんは厳しいので、その厳しさに千花は育てられてるんだけど、六花の場合は、金子先生が母親代わりに彼女の甘えを受け止めてあげていて、その安心できる土台がある上で、他の厳しい先生の指導を乗り越えていくのです。

子育ての場では、男の子がいるとだいたい男の子というのは母親がいくら頑張っても容易に言うことをきいてくれなくて、四苦八苦させられるので、そのあとに女の子が生まれるとその聞き分けの良さに思わずびっくりするんです。なんて女の子って子育てが楽なノーって。でも、最初に女の子だと、女の子ってわりと聞き分けがよくてしつけも楽だし、親の命令をチャンと実行してくれるんですよね。で、ききわけがよいので、うっかりすると親の要求がどんどんエスカレートして厳しくなっていってしまうのです。このあたり親は気をつけないといけないんじゃないかと思うのですよ。それでも、姉妹で下の子になると親もなんとなく手をぬきはじめて甘くなっちゃうのだけど、なぜか長女には厳しくなりがち。それがこの物語にもあらわれていて、六花にはわりと甘いこのお母さんが、姉の千花には、最後まで厳しくて、結局自殺においこんでしまっていると思えました。

だから、姉妹の長女とか、第一子の女の子にはあまり厳しくしないよう、しつけとかいろいろ要求がエスカレートしてきて、きびしくなりがちなので母親は気をつけないといけないと思いますよ。

それにしても、こんなに細くなってこんな風にきれいに踊ってみたいものですねえ。

バレエに魅力があるのはわかるけど、やっぱり所詮習い事なんだし。物語とは別に現実にはほどほどにしといたほうがいいですけどね。

         










最終更新日  2008.05.01 09:28:44
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2008.03.27
カテゴリ:まんが
銀座のトップホステスいずみ、イケメンの国際線パイロットゼウス、麻布に住むセレブでイケメンのロマンスグレーの紳士コウジュン、筋骨隆々でたくましくてイケメンで独特なファッションの個性的な爪師ハデス。でてくる登場人物たちはとても豪華で、一見、セレブなしゃれた恋愛ものに見えるのです。ところが実は、物語が進んでいくうちに、ファザコンのヒロイン、ファザコンの青年(ゼウス)、浮気性の男(コウジュン)、ブラコンの男(ハデス)という登場人物たちによるかなり危ない物語であることがだんだん分かってきます。このほかにも大人になってる息子(ハデス)からいつまでたっても子離れできない母親であるクラブ勤めの男とか。

ファザコンで年寄り好みでまだ若いのに50歳近い男(コウジュン)と結婚しちゃうヒロインいずみ。その彼女にプロポーズするのが、その義理の息子たち(ゼウス、ハデス)だったりする。

母親の身勝手とわがままのせいで、実の父と暮らすことのできなかったゼウスは、父親への憧憬からやがて異様なまでのファザーコンプレックスとなり、どうしても父離れができない。その妄執はやがて彼の人格を破壊していく。

同じように母の身勝手でただ一人の兄と一緒に暮らして育つことの出来なかった弟ハデス。彼もまた兄へのブラザーコンプレックスから抜け出すことが出来ない。

母の死によって初めて実の父と双子の兄弟ゼウスとハデスはやっと一緒に暮らすことが出来るようになるけれど、思春期になってから突然一緒に暮らしてもいきなり仲良く暮らせるはずもない。思春期までの貴重な時間を家庭、家族というオアシスですごすことの出来なかった彼らの喪失感は永遠に埋められない。

だから彼らの異常なまでのファザコンも、ブラコンも、かなり危なくて、そして悲しい。

いずみもまた、不幸な家庭に育ち、自分を守ってくれる頼れる存在としての年上の男性への憧れと恋愛感情が同一化してしまう。いずみが手に入れたと思ったはずのオアシスもまた、実はあぶなく、いつ失われるか分からない危うさの上にある。

登場人物たち全てがあこがれ続け、得ることの出来ない家庭というオアシスは、手に入らないゆえにいっそう甘美な憧れの夢となって、スィートなスィートなその憧れのオアシスは、けれど永遠の蜃気楼のようになってたどり着けない。

物語は5巻でおわるけれど、彼らの喪失感と幻のオアシスは、永遠に続く。

思春期までの時間を両親兄弟家族そろって楽しくぬくぬく暮らすって大切なことなのかなって思う。


めちゃくちゃ危ない設定がなかなか新鮮でおもしろかったです。



      









最終更新日  2008.03.27 23:12:06
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