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ふつうの生活 ふつうのパラダイス

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読書ノート

2020.02.03
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カテゴリ:読書ノート
日本人は無宗教と言われているし、大概の人はそう思っているだろうと思う。
けれど、本当に宗教は、必要ないのだろうか。
どんなに頑張っても、努力しても、どうにもならないことが人生にはたくさんあるし、
つらいこと、不安なこと、心の不安定がどうにもならないこともある。
そんな時に、無意識に神様に祈っていることってないだろうか。
日本には、神道と、仏教の二つの宗教がちゃんとあって、
神社にお参りに行ったり、お寺にお参りに行ったり、
お宮参りや七五三や、
お葬式や法事がある。
ちゃんと生活の中に普通に宗教はある。
2000年以上の日本の歴史の中で、連綿と続いてきた二つの宗教が、なぜ今こんなに薄いものになってきてしまったのだろうか。かつての日本では、信仰は、もっとずっと濃かったのではないかと思う。
それは、明治維新による、神仏分離、廃仏毀釈などの政治的な理由と、科学の発展により、目に見えないものを否定する価値観によるのだろうかと、私なりに考えてみる。
日本の中にある新興宗教って、迷惑だなと思う。日本にきちんとした宗教がないからなのではと思う。
新興宗教ってはいってる本人たちはいいけれど、周りは大概やめてほしいと思っている。
お布施も高い。
もし、日本の中で本来の宗教がきちんとした存在感を持っていれば、
不安な時、新興宗教に流れなくてもすむのではと思う。
今、神社がすごくブームで、特に御朱印集めが流行っている。
そんな形で、神道が、広がって、普及して、個人の宗教が普及していったらいいのにと思う。
団体としての宗教には、どうしても、『集団の中での組織化、組織の防衛という問題や、世俗的なものがからんでしまうというジレンマがある』と、河合隼雄氏が『ユング心理学と仏教』で書いている。
だからこそ、個人として宗教にかかわっていくということである。
それはまさに日本の環境でこそできる宗教とのかかわり方なのではないかと思う。
キリスト教社会や、イスラム教社会では、宗教に入らないだけで、変人扱いされてしまうほど、
ある意味宗教を信仰することに対して、社会圧がかかってしまうのだという。
そんな個人としての宗教のあり方を指南してくれるのが、まさに桜井識子の数々の著作なのである。
特定の集団に入ることなく、高いお布施を払うことも、集団の論理を強制されることもなく、
もっとずっと自由に自信の感性で、神や仏とかかわっていく。
その方法論や、見えない世界の話を数々語ってくれる著書なのである。
集団にかかわらず、神社やお寺に個人で通う時、たった一人で孤独に信仰を深めていこうとする時、個としての宗教を支えてくれる本であると思う。
現在、桜井識子さんの著作は、16冊あって、私もまだ、読み切ってはいない。
本書はその数々の著作の第一作目なのである。







最終更新日  2020.02.03 11:11:29
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2019.08.29
カテゴリ:読書ノート
一瞬の出会いが人生を決めてしまうことがある。
けれどそれは、本当にたまたまの偶然だったのか。
出会うべくして出会うものだったのか。
主人公外村は、高校で、調律にやってきた板鳥の調律に魅了されて、調律師を目指す。

調律の専門学校を出た外村は、板鳥の勤める楽器店に就職し、調律師を目指す。

調律の道は厳しく、音の世界は果てしなく深い。

ピアニストになることをあきらめた秋野(会社の先輩その1)は、楽器の音の中で育ち、楽器の音をみごとに聴き分ける。人間の決めた音階だけを聴き取ることができるから、それが仕事の速さにもつながっている。

公衆電話の黄緑色さえ気持ち悪いと感じるほどの柳(会社の先輩その2)は、音や色、ものに対しての感度がとても高い。ものすごい感性をもっている。
それは、彼にはつらいもので、都会の中の人の作る音に囲まれて、つらい青春を送らなければならなかった。
けれど、そんな感覚がプラスになる仕事というものがあるもので、彼の感度の良さが調律の道につながっていく。

そして、山村に育ち、多くの時間を北海道の大自然の森の中で過ごしてきた主人公の外村は、世界のすべての音を聴き分けることのできる感性と聴力を持っていた。
楽器に触れずに育ったことで、楽器の音だけに縛られない。
街で育たなかったことで、人間界の音にも縛られない。

人為的な音の一切ない森の中で、微妙な自然界の音、世界のすべての音を聴き分ける力を身につけて育つ。
それゆえに、感度がよすぎて、普通の人が聞き取れない、聞き漏らしてしまうような微細な音も聴き取ってしまうことが、調律にマイナスに働いてしまう。
機械すら読み取らないような微細な音まで聴いてしまう故に、音が決められず、調律に時間がかかってしまうのだ。

ピアノと同じ部屋に中に、布が一枚入るだけでも変わる音の微妙な差と変化を、彼は聴き分けてしまう。
それは、絶対音感よりさらに深い、究極の音感なのではないかと思う。
最初は初心者ゆえに、戸惑い、音を決められないのは、自分の能力の低さだと思っている。
けれど、たくさんの経験をつむ中で、微妙な調律の設定の差が、音の差を生みだすことを知り、望まれる音の見つけ方を少しづつ理解していく。

都会の空では、星座になるような大きな星しか見えないけれど、北海道の自然の中の、人界の光の一切ない真の闇の中に浮かび上がる星空が、星座になる大きな星すら埋め尽くしてしまうほどの細かい小さな星々まで見られるそんな夜空を見るように、外村は、音の世界を聴き取ってしまう。

普通の人間では聴き分けられないような音の世界の、まるで森のように、ピアノの音の世界を深く深く、限りない美しい世界を、ただ、彼だけが視ることができる。
森の中ではねるシカのように、光を放つ木々のように、草と葉のあいだをぬける風のように。

そして、今まで誰も聴き取れず、誰も作れなかった音の世界を、誰もが聞き取れるピアノの音として、再現できたとしたら、それこそが、究極の調律なのかもしれない。

それができるのが、外村だとしたら、それはとても素晴らしいこと。
そんな彼を、見つけたのが、板鳥さんで、
天才(外村)は天才(板鳥)にしか見つけられない。のだと思う。

普段なかなか出会うことも知ることもできないような仕事を、紹介してくれるような小説やドラマが、最近増えたなあと思う。この作品も、調律というあまりかかわることも知ることもできない仕事を、実にみごとに実に細やかに教えてくれたありがたい小説です。


◆◆羊と鋼の森 上巻 / 水谷愛/漫画 宮下奈都/原作 / 小学館







最終更新日  2019.08.29 07:54:43
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2019.08.23
カテゴリ:読書ノート
週刊新潮に連載されたエッセイのまとめ本。

サクサク読みやすい文章と内容だったので、3かで読み終わることができました。
娘に返さなくちゃというプレッシャーもあって、ほかのことを二の次にして読んだので、なおさら。

こういう今までの思い込みや価値観の転換を提示するものは面白い。

特に面白かったのは、「来世を信じれば楽になる」
スピリチュアルみたいだけど、要するに、人生は一回きりだからといって、その一回の人生に悔いのないくらいすべてのことを消化しなくてもいいんじゃないかという話。世界中の観光名所に行くことはできないし、世界中の美味しいものを食べつくすことも、世界中の人と知り合うことも、すべての本も読むことも、当然できないし。
私も、最近はめんどくさくて、海外に行くことをあきらめた。
どうにも、めんどくさい。
海外は大好きですけどね。

「東京とは大いなる田舎である」
都会というと、高層ビルが乱立しているイメージだけれど、そんなのはごく一部で、それ以外は、ほとんどがちっちゃな民家が立ち並んでいる。つまり、田舎と変わらない。ただそれで、とても広い面積で、延々と続いているのである。
いわれてみれば、確かにそうだなーと思った。
だいたい東京っていうのは、地方からの移住者の集まりであって、本当の都会人なんていない。
先祖代々住んでいるヂモッティの人口もごくわずか。
そもそも、都会とか、都会人の設定ってなんだ。

「バイライト音楽祭を温暖化が変えた」
ヨーロッパの公式の場所といえば、タキシードなどの正装が常識だけど、いまや、ティーシャツでも、OKらしいです。なんでかというと、温暖化で暑くて、そんなもの着てられないから。昔は涼しかったので、そもそも、クーラーがないそうで。
へーーーー。おもしろい。そして、びっくり。
こんな話テレビでも聞いたことないし、ネットでも、読んだことなかった。

などなど、結構面白い話が載っていた。

古市さんは、炎上マニアとして有名らしいけれど、炎上なんて、気にしないそうです。
私も、炎上が怖くて、ブログにほんとは書きたいけど、書いてないことがある。
書きたいのに、書けないなんて、こんなことで、言論の自由を奪われるなんて、なんか腹立たしいなあ。
と、思っていたら、先日息子が言った。
「炎上するのは、有名な人だけ。アクセスの低い一般の人間が、ツイッターやブログになんか書いても、炎上なんかしない。」
確かに。
炎上するにはまず、有名にならないとーーーー。
アクセス増やさないと。


誰の味方でもありません (新潮新書) [ 古市 憲寿 ]






最終更新日  2019.08.23 12:13:09
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2019.08.20
カテゴリ:読書ノート
意味に疲れたら、無意味で休もう。

が、この本のキャッチフレーズで、
じゃあ、そもそもこの本でいうところの意味って何かというと、
それがどうにもわかりにくい。
インターネットなどによる情報過多と、
有意義な時間の過ごし方と、
価値のある人生の送り方が、
ごっちゃになって、十ば一からげになって、意味という言葉になっている。
だから、読んでいてちょっと頭に入りにくくて、
前半部分は、意味のところを情報に置き換えるとやや読みやすくなってくる。

情報過多に埋没しそうになったら、
その情報をいったん遮断するか、だろうけれど、
時間を無意味に使ってしまうことへの罪悪感に対しては、
有意義に過ごすことが人生のすべてじゃないと、
再認識するしかない。

人生は遠大な暇つぶしともいう。
一人の人間の人生なんてたかが知れている。

そこまでの境地に至れるかどうかだけれど、
とりあえず、情報を遮断して、
有意義ではない時間の過ごし方をいろいろと考えてみる。

それがつまり無意味というもので、
無意味な時間の過ごし方というもので、
そのパターンをいろいろと考えてみる。

ただ、怖いのは、無意味というものは、
無意味であることにこだわって目指してしまえばそこにまた、
無意味にこだわるという意味ができてしまうわけで、
そんな矛盾にどう立ち向かっていくかという
これがまたとてもめんどくさい話なのである。

最後に何か愕然とするような、
感銘を受けるような展開と解釈があるのかと期待して読んでいたけれど、
特に何もなかった。
最後まで、意味と無意味の間を行きつ戻りつする本なのである。

この夏の暑さにどこにも行かずにクーラーのきいた部屋で、
グダグダと過ごしていると、
こんなことでいいのかとか、
もっと有意義にこの夏を過ごすべきじゃないかとか、
夏は特にそんなことに焦燥感を掻き立てられる季節だけれど、
まあ、本を読みながら過ごす夏もいい。
特にこんな本を読んでいれば、
夏の焦燥に燃え尽きないですむかもしれない。

夏の午後の昼寝ほど、気持ちいいものはない。


無意味のススメ 〈意味〉に疲れたら、〈無意味〉で休もう。 [ 川崎 昌平 ]






最終更新日  2019.08.20 10:40:15
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2019.02.22
カテゴリ:読書ノート
映画『来る』とは、後半がやや違う。
映画では、ぼぎわんというバケモノは、国家を挙げて倒すほどのバケモノになっているけれど、
原作ではあくまで、K市に存在するバケモノなのである。
けれど、社会的事情、経済的事情、家庭の事情、個人の事情、経済的困窮により育てられなくなった子供の遺棄、親の虐待、子殺し、いろんな理由で捨てられた子供、殺された子供の恨みや怨念がバケモノとなって、人を襲う。
それは、日本のどこにでもあったことで、それを第一章の主人公秀樹の祖父母の故郷である地方の小都市K市にスポットを当てて描き出す原作と、全国レベルのバケモノとして描き出す映画との違いである。

それがどちらであっても、今現在の社会の子育ての問題や、少子化、人口減少と、現代の社会問題にテーマを絞り、それが、過去にも繋がっていく展開が、ホラーでは終わらない深い物語として、みごとだなと思う。
現在、ニュースで取り上げられる虐待による殺人が、必ずしも現代に起きたものだけでなく、過去から連綿と続く問題であること、それがこれからの少子化、人口減少を問題とする現代にあっては、ただ万全と個人の問題として、取り上げられて終わってしまってはいけない問題なのだと、再認識させてくれる。

核家庭だけではこなしきれない子育て、家庭だけでは負担しきれない肥大化された現代の教育費、社会の維持のために、社会が負担し、問題視し、助けて、救い上げていかなければならない子育てと、教育を、社会がもっと真剣に向き合わなければいけない問題なのだと、物語が語る。
人口減少でやばいのに、虐待なんてしてる場合じゃないだろうと思うのです。

バケモノは怖いけれど、そのバケモノを生み出しているのは結局は、人だ。
第一章では、主人公秀樹が意識した瞬間に、ぼぎわんが出現する。
第二章では、夫秀樹を呪う妻香奈の恨みの心が、ぼぎわんを呼び寄せる。
第三章では、子供を作れない、子供を持てない者の心の痛みが、子供をもつ他者を呪う心がぼぎわんを呼び出す。
そして、夫に子供を殺された母の呪いがぼぎわんを、生み出す。
呪いと恨みが化け物を生み出し、成長させる。

そんなぼぎわんに連れ去られ、飲み込まれたはずの知沙が、ぼぎわんに吸収されなかったのはなぜか。

ぼぎわんに飲み込まれるのは、愛されず、邪魔にされ、捨てられる子供。
けれど、知沙は、秀樹にも、香奈にも、真琴にも、愛されている子供。
それは、ぼぎわんの中では異質のもの。

呪いがぼぎわんを生んで、愛がぼぎわんを否定する。
苦しいけれど、子供を愛する心は、いつの時代にだってあったはず。
これからの世界にだってもちろんあるはず。










最終更新日  2019.02.24 08:10:34
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2018.09.19
カテゴリ:読書ノート
いくつかの本は読んだけれど、ここまで、添加物について詳しく説明された本は、初めてである。
著者は、長年添加物の専門商社に努めて、数々の加工品を添加物を駆使して作り出した人である。

この本を読んで、スーパーの数々の商品を見てみて、
改めて、現代社会の食品のほとんどには添加物が入っているんだとわかった。
10年以上前に書かれた1冊目と最近書かれた2冊目。

添加物のぜひが問われてからずいぶん経つけれど、
いまだにどころかますます添加物は使われているらしく、
さらに増える一方。
その添加物ががんの原因となる可能性も高く、
ヨーロッパなどでは禁止されているものでも、
なぜか日本では外圧によって、さらに認可されたりしている。

ずっと添加物入りの食品を作り続けていた著者はある日我が子が、
自分が作ったくず肉と添加物だらけのミートボールを食べるのを見てショックを受ける。

自分たちもまた、添加物の消費者であることにきずく。
作る側なら、どんなものでもとにかく安ければいいと思っていても、
食べる側になることを想像していなかった。

それから会社を辞めて、
各地にでかけ、添加物の実態を講演で語るようになる。
そうして、この本も書かれる。

添加物はよくないと何かしかで、聞くことはあるけれど、
その添加物の実態をこの本を読んで初めて知った。

そうはいっても、今の時代、まったく添加物を取らないなんて、不可能だ。

なるべく加工品を買わずに、自分で作る。

けれど、自分で作るにしても、そのもととなる豆板醤のビンをみたら、ここにすら、添加物が入っていた。
醤油ですら、大豆油を搾ってたあとの大豆のカスで作られている。
みりんだって、偽物が普通に出回っている。

そして、人口の半分は、がんになるといわれているし。
国は、医療費を減らしたいと考えているはずなのに、
がんになる元である添加物は、外国からの圧力で、どんどん認可しているし、
過去適当に認可したものや、
今の技術で再検査すれば認可取り消しになりそうなものも、そのまんま。

私たちのできることは、添加物をチェックしつつ、
なるべく加工品を買わずに、自分で作る。しかない。
それから、なるべくまともな生協に入る。
その生協すら、ピンからキリまであるそうで。

スーパーのお弁当屋サンドイッチをみながら、ため息が出た。
もう、以前ほど気楽に買えないなぁ。

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最終更新日  2019.02.09 16:55:55
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2018.09.08
カテゴリ:読書ノート
今話題のブロガー本である。

たかが家の掃除と思っていたけれど、
本気を出したら、ここまでできるものなのかと、
びっくりした。

そもそも、掃除ってどんなものなのか、
実は私の母は、家事が嫌いで、家の掃除をしているのをほとんど見たことがなかった。
母がやっている掃除は、せいぜい掃除機をかけるぐらい。
当然わたしは、掃除なんて知らない。
母が窓ガラスをふくのさえ見たことがない。
そんな母が
結婚した私の家にやってきて、
お前はだらしない、
家が散らかってる、といって、
私の目の前で初めて窓ガラスをふくのを見た。

いやいや、そんな話はいいとして、
子育ても終わって暇なので、
少しまじめに家の掃除をしようかと
この本を読んで、つくづく思った。

著者は、掃除好きがこうじて、やりすぎてへとへとになり、
うっかりすると体を壊しそうなくらいであるが、
私はさすがに、そこまではできないだろう。

体を壊さないためには、
掃除を場所ごとに分けて、さらに分割して、
一か月単位で、スケジュールを組んで掃除する。
ようするに、毎日少しづつやっていくってことだ。

重曹、セスキ、クエン酸、お酢などを使って、エコクリーニングを目指す。

掃除のために、極力物を置かない。

マイクロファイバー雑巾と、アクリルたわしを使う。

基本はこのあたりだが、
さらにそこまでやるのかというくらい、
家の隅々まで、できるらしい。
その気になれば、掃除するところはいくらでもあるんだなと、
実感しました。

とりあえず、できるところまで、頑張ろうかと思った一冊でした。
夏も終わったしね。






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最終更新日  2019.02.09 16:56:46
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2018.08.27
カテゴリ:読書ノート
旧約聖書のことなんて、
映画『十戒』を何度か見たことがあるくらい。
あとは、ほかに、何がしかで、聖書のことを少しは知っていたけれど、
今回の本を読んでかなりよく分かった。

それでも、まだまだダイジェストである。
聖書は途轍もなく内容が濃い。
まして、キリスト教嫌いの私には、
この手の本を読むのが精いっぱいである。

数千年も前の時代から始まるイスラエルの民族の物語は、
人類が今のような道徳を持たず、
右も左もわからず、
何が正しいのかもわからないところから、
始まる。
人間は驚くほどひどいことばかりしている。

イスラエルの神は根気よく、イスラエル人たちに
人としての正しい行いを教え続ける。

まずは、一人の人間に、
アブラハムや、その子孫たちに、
そして、少しつづ広がっていく
神への信仰は、
人として正しく生きるとは、どういうことかを
神が人類に必死に教え続けた歴史である。

アブラハム、ダビデ、ソロモン、
本当に民族を指導していけるほどの力量のある人間なんて、
数千年の歴史の中でも、数えられるほどしかいない。
それ以外は、ほとんどが普通の愚かな人間ばかり。

だから、日々、感じる自分の無能さに絶望したり、
がっかりしたりする必要なんてないんだなと思った。
人間なんて、こんなものだ。
ただせめて、
神の教えのままに、ヒトとして、正しく生きていくことだけが、
人が人としてあるということなのだ。

聖書で神様が言い続けているのはそういうことだ。

一つの民族にとって、自分たちを溺愛し、必死に守り、指導してくれる神様は、
やはりいたほうがいい。

民族独自の神をもつ民族は強い。
戦争の時、自分たちだけを守って、導いてくれる神がいると思えば、
必死に戦うこともできる。

神様は、すべての人類を平等に見ていると思っていたけれど、
神様は民族のもの。
自分たちだけのもの。
イスラエルにイスラエルの神がいるように、
日本にも、この島国に昔から住んでいるやおよろずの神様がいる。
日本を諸外国から守り、
植民地にもならずに、
日本人が安心して住み続けてこられた島があるのは、
神様のおかげ。

そんな風に人間がまっとうに育った果てに、やっと、
人類共通の神様が現れる。
そうして人類すべてを愛しながら、守り、導いてくれているんだろうと思う。

読みやすくて、面白かった。
阿刀田 高が好きになった。



旧約聖書を知っていますか【電子書籍】[ 阿刀田高 ]









最終更新日  2018.09.02 20:06:56
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2018.07.25
カテゴリ:読書ノート

最後に読む育毛の本 [ 久田篤 ]

息子が薄毛で悩んでいるので、図書館で見つけたこの本を読んでみました。

世の中の男の人の多くが薄毛に悩んでいることを再認識。
息子の愚痴を軽く受け流して本気で聞いていなかったことに反省。
彼の悩みをもっと真摯に受け止めてあげるべきかもしれない。

巷で一般に宣伝している育毛商品の数々がほとんど役に立たないことも、
増毛の意味のなさも、
植毛の大変さも、
そして、育毛商品を売る業界や、育毛サロンなどの闇のような部分もよくわかりました。

現在、育毛は専門の医療施設で、きちんと薬を飲んで直すところまで
やっと進んできたらしいです。

そして、髪のためには、きちんとした生活、
栄養バランスの取れた食生活、
きちんとしたシャンプーなど、
クスリ以外にもいろいろ気を付けるべきことがあることも。

現在わかっていることとしては、
悪性の男性ホルモンが髪の生える部分にある酵素と合体すると
脱毛因子になってしまうそうです。
そのための薬なども発見され始めているらしく。
ただ、薄毛は、命に係わる病気ではないので、
保険も聞かず、治療費も高い。
最低でも、6か月は服用を続けなくてはならず、

それでも、生えるかどうかはわからないのです。

生えたとしても、リバウンドなどもあり、戦いは一生もの。

少し前から専門の医療機関に通いだした息子。
毎日薬を飲んでいるけれど、
望みの叶う日は来るのか。

すごく勉強になった一冊でした。






最終更新日  2018.07.25 08:16:46
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2018.04.15
カテゴリ:読書ノート
読解力のある人なんて、いろいろなブログを読んでいても、ほとんどいない。
ほとんどはよくわからないまま、なんとか感想をひねり出して書いている場合が多い。
私も、読んだ本全部の感想までは、さすがに、記事に挙げることはできない。
ちゃんと解釈できないことも多いからだ。

それにしても、この本の読解についての説明には驚かされた。

普段何気なく読んでいる簡単な文章さえ、ここまで読み解くことが可能なのか。
こんなところから、読みときは始まるのか。

読んでいてつくづく、日本の国語教育はひどいなと思った。

私自身、何年間も学校に通い、国語の授業を受けたにも関わらず、
まともな国語の授業は受けていないなとつくづく思う。

私が今までに見聞きした中では、有名な難関私立の灘や、麻布の国語が素晴らしそうだし、
そして、娘の小学校の時の担任の先生の国語の授業が素晴らしかった。

文章の一字一字、言葉の一つ一つを細かく解釈していく授業。
授業参観で見ていたが、壮絶だった。

こんなことをやっていくとさすがに、この本のような読解力が付くと思うが、
ほとんど国語の先生たちはこんなことはやってくれない。
本の音読、漢字の書き取り以外に何をしていたのか、
まるで思い出せない。

私も息子の中学受験に絡んでの勉強と、娘の国語の先生の授業の様子と、学校での読み語りを通して、やっと少しだけ、読解力が付いたかもしれないと思う。

国語というのは、日本語の勉強だけではない。
文章の正しい理解と、正しく伝わるような文章の書き方、ヒトの心の読み方を習う。はず。
こんな大事なことが、きちんと教育されていないから、
今どきのネット社会で、SNS、ライン、メールなどを通しての言葉のやり取りが、未熟な文章力のまま、行き違いや誤解を生んで、仲たがいや、喧嘩、ひいては、いじめなどのトラブルになるとも思える。

大学には、文学部があんなたくさんにあるのに、ほとんど役に立たない学部扱い。
本当は、文章も文学もとても大切なことなのに。

それにしても、この本の中で、いちばんドキッとさせられたのが、
善意の無難な解釈や表現による「わかったつもり」を演じてしまうというところ。
説明された何パターンもの「わかったつもり」の中でも、いちばんドキッとさせられた。
書く方は、善意の表現だから、何とかこれでごまかせたし、文としてカタがついたと思ってしまうし、ブログを書く時によく使っている手段でもあるので、
本当にドキッとさせられたのだ。やばい。
このあたり、今後気を付けたいけれど、
又、使ってしまうかもしれない。

ブログや、書評を書くならぜひ一読しておきたい一冊だと思う。


わかったつもり 読解力がつかない本当の原因 (光文社新書) [ 西林克彦 ]







最終更新日  2019.02.09 16:58:59
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