2011/10/04(火)15:36
運動場の砂場風景。大人になっても砂場を忘れないと言うこと。インスタレーション2011「世界制作の方法」国立国際美術館
卒業した小学校で町内会対抗の運動会があった。何年ぶりだろう・・・「若手」として走ってきた。そこで見たモノは伸びやかな筋肉を持ち小さなトラックをカラダを斜めにしながら駆け抜けてゆく、美しい若者の姿だった。膝をあげ、前を見て、記憶にある「走り」の記憶を辿りながら、対極の(ミニクイ)姿をみんなに見守ってもらいながら、最後の町内会対抗リレーで足がつる
躍動感
やわらかで
自分なりのコースどりで
キピキピと
目は前向きで
抜かされても力一杯・・・みんなと同じトラックを走ってきた
次の月曜日に国立国際美術館で「世界制作の方法」という展覧会を見た
70年代生まれのアーティス達が
エキソニモ、パラモデル、青木陵子+伊藤存、クワクボリョウタ、
木藤純子、鬼頭健吾、金氏徹平、大西康明、半田真規
招かれていた。フダンできない体験の場が中之島の地下に作られていた
同じトラックを走らない人々・・・アーティスト・・・
小さな電車が暗闇を走っている。ヘッドライトが次々に風景を照らし出す。えらくゆっくりなんだけど。真っ暗闇に導かれた後の小さな明かりは部屋全体に影のアートを描いて走る。
日用品で作られた町。クワクボリョウタさんの作品
ゆっくりなんだけど、はなれずゆっくりと拝見した。最後にざるの山をくぐる、そこは、想像を超えた「ざる影」。あっというまに包まれて、小さなゲージに乗せられたような錯覚に。
ぐいっと連れていかれてしまった
その後突然、どん、と突き当たった列車は、高スピードでバックしはじめるのだ。欲求不満? が一挙に解消される、今までのゆっくりに、ちょっとなーと
スピードのある、毒された日常にツレも出される、ちょっと爽快・・・
脳ミソが(21世紀的スピードの)日常にもどる
高齢化社会の高齢化運動会・・・それでも子供たちの運動会であることは変わらず
子供たちは応援に飽きると「砂場」に集まってきて、すなをいじりはじめる。誰かがペットボトルに水を運んできて「ジャジャじゃー」、と
何人かが水道に走る、手に手にペットボトルを握りながら。水を含んだ土は子供たちの想像力を一挙に触発する。子供たちは、何食わぬ顔をして、力を合わせながら
ほうって、おいても、地球のカタチを変えてゆく
国立国際美術館の地下三階に広がるインスタレーションの如実
そこには30歳を越えても、まだまだ「砂場」から離れようとしないひとたちが
砂と砂との新しいツナギ方を問いかけていた
WAYS OF WORLDMAKING
12月11日まで
応援席のテントがたたまれた閑散の砂場には子供たちの遊んだ痕跡だけが残っていて
もう、一生懸命水を運んで砂を固めた「今日の思い出」は子供たちには残ってない
もうすぐ太陽が沈む
ある時間のあいだだけ、見ることができるもの。普段をフダンじゃないところに出現させて、インスタレーションはその場かぎりのじかんを消滅させてゆく
くりかえし、そして、くりかえし
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「世界制作の方法」には多彩なトーク・イベントが用意されている。砂場の風景、覗いてみたいと思うのだけれど・・・