|
カテゴリ:店長日記
昭和47年(1972年)、故郷の頓原中学校を卒業し県都松江市の高校へ進みましたがその年は大水害、宍道湖や大橋川が溢れ市内はほぼ冠水しました。因みに松江市の南北を結ぶ三番目の橋として建設された宍道湖大橋が完成したのがこの年、彼は生れて直ぐに濁流の洗礼を受けた悲しい過去を持っています。 そして次の年、昭和48年は大渇水、故郷では経験したことが無い2年続きの大災害に、「松江なんかに来るんじゃなかった」と正直思いましたねえ。 それでも歴史ある松江大橋、新大橋、そして件の宍道湖大橋は故郷では見ることの出来ない立派な橋でございました。特に松江大橋、橋の中ほどから見る風景や見下ろす大橋川は小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の往時を思わせ、少年の目にも城下町の情緒深さを感じさせたものでございます。 閑話休題、川や湖ではなく、生れて初めて海に架かる橋を渡ったのは何時だったろう? 先日、急にそんな疑問が生じたのです。 しかし昭和31年、1956年製ですからねえ、ちょっとガタが来てますんで“直ぐに“と言う訳には参りません。あれでそう、四~五日も経った頃でしょうか、唐突に思い出しました。 『うんそう、呉のループ橋、瀬戸音戸大橋 !! 小学校の修学旅行で海上自衛隊へ行った時だ !! そう、呉だよ呉 !!』 小学校の修学旅行は広島行、その時目にしたループ橋、あんなの初めて見ましたからねえ。それに眼下は狭いとは言え海峡、その高さと共に興奮の声がバス中に巻き起こったことでございましょう。 そしてもう一カ所、一緒に思い出したのが天草五橋です。連想なんでしょうね、小学校の修学旅行は音戸大橋、じゃあ中学校は? ってことなんでしょうが、これも閃光のように頭に浮かびました。 『待て待て、長崎から熊本へは島原港から熊本港へのフェリーと思っとったけど、何だか海の上の長~い橋を渡った様な気がするなあ、あれ、ひょっとして天草五橋なのか?』 6月3日、亡き友の墓参に同行してくれた幼馴染みのKに話しますとこうキッパリと断言致しました、「うん、天草五橋に間違い無し !!」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[店長日記] カテゴリの最新記事
日本全国あちこち歩いたけど
天草五橋は、通った事ありません。 長崎から熊本にはその手があったか 私は、長崎から佐賀県柳川での川下りを楽しんで 熊本へ 天草は、行ってみたいところです。 (2020年06月06日 13時16分59秒)
カメラ小僧さんへ
西鉄柳川駅、 大川の展示会で毎度お世話になる駅です。 昔は出口が西側一カ所の木造駅舎でしたが、 近年は東口も出来て開発が進みました。 この頃は駅至近のホテルルートイン柳川駅前を利用してますが 何と隣が居酒屋チェーンのはなの舞、 シャミネにも有るこの店なら安心ですわ。 もう何十年と柳川には通うけど、 北原白秋生家も 川下りも 名物鰻のせいろ蒸しも 全て、all、未体験。 悲しい。 あっそれとね、 柳川は福岡県だけえね。 有明海を左回りに柳川⇒大川⇒佐賀、 うちらで言うと 玉造温泉駅⇒乃木駅⇒松江駅って感じかな。 (2020年06月07日 06時56分02秒)
府中家具店長さんへ
ホンマや、柳川は福岡県だ。 有明海に面しているのは 佐賀県、熊本県だと思っていた。 佐賀駅で降りたことは覚えている。 そこからバス移動か。 有明海まで行って、ムツゴロウの甘露煮を 試食した。 鰻の蒸籠蒸しは、口には入らず。 (2020年06月07日 16時38分17秒)
カメラ小僧さんへ
佐賀駅前の東横インには何度か泊まりました。 と言うのも以前は柳川に適当なホテルが無かったけえ、 柳川の次に大川に近い佐賀に泊まってたのよ。 しかし佐賀駅周辺には何も無い、 良さげな飲み屋も見当たらない、 ともかく無いったら無い !! 結果、三番目に大川に近い久留米に泊まる事が多かったなあ。 焼き鳥発祥の地と聞いてハシゴしたこともあったけど、 久留米は内陸ながら玄界灘と有明海までは等距離、 ともかく双方の魚が美味しかったイメージが強いですねえ。 戦前は父が入隊した久留米戦車第一連隊、 戦後跡地は陸上自衛隊に。 歴史的に軍の要衝であったことから、 双方の魚介類が頻繁に運ばれる地であった思われます。 それが今では博多~久留米17分、 その上「九州新幹線日帰り2枚切符」だと博多⇔久留米2,500円、 そりゃあ博多に泊まるわなあ。 ワシの柳川と博多の宿泊割合は半々かな? 銭に余裕が在ったら当然博多、 ♪ネオンが俺を 呼んでるぜ♪ (2020年06月08日 07時19分44秒) |