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へにょへにょ日記[スムースチワワ写真ブログ]

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臓器移植

Nov 4, 2009
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カテゴリ:臓器移植
お天気がいいので一眼レフカメラを持ってお散歩。もみじの紅葉はまだだけど、葉っぱがみんな落ちちゃってる木もありました。いつの間にかすっかり秋です。公園で工事をしていてすごい音がしていました。チワワの小太郎、しっぽが「し」の字に垂れてしまってます。

秋の花

毎日新聞で臓器移植についての連載。法改正で15歳以下の脳死での臓器移植や、生前の本人の意思表示がない場合の移植も(条件をクリアすれば)可能になるけれど、現行法で可能な心臓停止後の臓器提供も増えていないらしい。

「改正法(10年7月全面施行)では本人が生前に拒否していない限り家族同意で臓器提供できる。だが、本人意思だけが提供のハードルではないのは、心停止後の提供が増えていないことからも明らかだ。医療者側の意識とともに鍵を握るのは、医療者から患者家族への情報提供である。」(毎日新聞/ドナーは増えるか:改正臓器移植法の課題/2

臓器移植の問題点は法律だけで解決できることではないのですよね。もちろん、医療機関側の体制やサポートが不十分ということも提供者が増えない大きな理由ではあるのでしょうが、日本人の生死観や宗教観にも深く関わっている気がします。

前にも書いたかもしれないけれど、欧米人は死んだら魂は肉体から離れてしまうから、遺体にはあまり執着しないらしいです。対して日本人は亡くなった後の遺体をとても大切にします。(欧米の方が遺体を粗末に扱うとかそういう意味ではないですよ)

日航機事故のルポルタージュで読んだエピソードで、日本人の遺族は遺体の一部でもいいから早く引き取りたいという方が多かったけれど、欧米人の遺族は、亡くなったという事実がわかれば遺体は判別しなくてもいい、と申し出られたという話があった気がします。

つまり、亡くなったあとに遺体から臓器を取り出す、という行為に対する心持ちが、外国の方と日本人ではかなり違うのだろうなと思うのです。だから、例えばアメリカではこういう法律(またはシステム)でこんなに臓器提供があるのだから日本でも同じようにすれば提供者が増える、などと一概には言えないですよね。

それでも、提供したいという方の気持ちを尊重し、提供を受けたいという方の希望が最大限にかなうように、政府は支援していって欲しいと思います。日本人が外国で移植を受けるということは、それだけ、その国の方々の移植の機会を奪ってしまうことになります。日本人の移植は日本国内でできるようにするのが理想だと思います。

とはいえ、私自身は臓器提供に対しては消極的なので、臓器提供を拒否するという意思表示もきちんと尊重されるようなシステムにして欲しいとも思うのでした。

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最終更新日  Nov 4, 2009 05:56:21 PM


Jun 19, 2009
カテゴリ:臓器移植
臓器移植法改正案、衆議院で可決。日本人が移植を受けるために海外に行っている現状を変えるためには、法案の改正が不可欠。そういう意味で、可決されたことに一安心。あ、でもまだ参議院があるんでした。

アジサイとキンシバイ

で、テレビ見ていたら、賛成派、反対派両方のコメントが放送されていました。賛成派の意見にはほぼ納得。A案での改正を推し進めている国会議員・河野太郎氏(太郎氏は父の衆議院議長・河野洋平氏に肝臓を提供しています)のメルマガをずっと読んでいるので、なんとなく流れはわかっていたのだけど、詳しいところまではあんまり関知せず。太郎氏はずっと、A案でなければ意味がない、と言っていて、その理由にも納得。

そして、昨日のニュースの反対派のコメントのなかで、「一律に脳死を人の死とする改正に反対。議員のみなさんが本当に理解して賛成しているのか疑問」というようなものがあって、私は、「あ、こりゃだめだ」と思ったのでした。太郎氏によれば「A案は、「脳死を人の死と考えない」人のために、法的脳死判定を拒否することを認めています。ドナーカードで臓器提供を拒否している人、脳死を人の死と考えない意思を表明している人および脳死状態に陥った人の家族が脳死を人の死と考えない場合は、法的脳死判定は行われません。法的脳死判定が行われなければ脳死にはなりませんので、心臓が止まるまでその人は生きています。」とのこと。まぁ、どちらの意見を信用するかって問題でもあるのかもしれないけれど、私は太郎氏の説明で納得しました。理解していないのは反対派の方々のほうでは…。

法案の可決には大賛成です。国内での移植を待ち望んでいる人や臓器を提供したいと思っている人(または家族)には、いままであった法律的な壁が(完全ではないかもしれないけど)なくなるのですから。ただ、そのことと、今後、臓器移植が増えるか、という問題はまた別。

個人的には、今は自分の臓器は提供拒否。以前は死んでからのことはどうでもいいから、あげてもいいや、って思っていたんですが、今は、家族のことを考えると、「拒否」です。本人があげる意思を示しているが故に、家族が悩むんじゃないかと…。

移植について深い理解がある家族ならいいのですが、うちの家族はあまりにも理解が浅すぎ。母などは、死んだらわけわかんないからあげてもいいよ、って言うのですが、脳死で、心臓が動いていて、まだ暖かい体から臓器を取り出すということを、家族ができるのかどうか。死んだこと(というかもう二度と意識は戻らないこと)は理解できても、心臓が動いている体から臓器を取り出すっていうのはそれを了承する家族に相当な覚悟と移植に対する理解がないと、後々すごいトラウマになってしまいそうです。

母の場合はともかく、私が脳死での臓器提供の意思を示していて、実際に脳死になってしまった場合に、家族は悩むだろうなと。本人はもう死んじゃってて意識もないかもしれないし、他人の命を救うんだってなんとなく正義感で提供意思を示していたのかもしれないけれど、死んだあとに、生きている家族が深く苦悩する姿が容易に想像できる場合…家族を悩ますくらいなら提供しないって意思表示しておいたほうがいいかな、と思ってしまうのでした。

しかしまぁ、今回法案が改正されて移植医療がもっと一般的になったら、家族の意識も変わるだろうし、脳死での提供はせず、心臓死での提供の意思を示すという選択肢もあるので、その辺のバリエーションが増えたことはいいことだと思います。

あと、海外に行って移植っていうのも、日本人が行くことで、結果的にその国の人たちが移植を受けられなくなってしまうということですので、国内で移植が受けられるようにきちんと法整備をするのはあたりまえのことだと思います。法改正しても、実際に移植を受けるかどうか、臓器を提供するかどうかは選択できるのですから。

生体肝移植とか腎移植なんかも、法改正で減るといいなと思います。あげるほうに負担が大きすぎ。腎臓は二つあるからあげてもいいよって言う人が多いんですが、一つあげて、あとから残った一つが病気(癌とか)になったらどうするの? やっぱりあげなきゃよかったって、思わないかな。あげた人より早く死んじゃったら、あげた人は悩まないかな。移植してもきちんと機能しない場合もあるみたいですし、せっかくあげたのに取り出すことになる場合もあるらしいです。身体の負担もそうですが、精神的負担も(両者に)かなり大きいと思います。

実際、家族が病気になって、移植が必要になって、自分の臓器を移植すれば治るかもしれない、移植しなければ死んじゃうかもしれない、という場面になったらほとんど選択の余地はないのかもしれないですけどね。ただ、私は、たとえばそういう場面になったときに「絶対にあげたくない」という人がいたとしても、そういう人を非難する気にはなれません。逆に勇気あるなぁって思っちゃうかも。

あと、友人の中には「絶対にもらわない」という人もいます。私自身も、他人の臓器をもらってまで生きたいか、と言われると、いまの時点では悩んでしまいますが、死を目前にしたらやっぱり、移植したい、って思うのかもしれません。そして、移植が成功して生き延びたらきっと、「ああ、生きていてよかった」って思うのかも。成功してもたぶん、薬漬けですけどね。それでもよかったって、思うかな。いろいろ考えてしまうと、ほんと、悩ましい問題です。

  
  
↑「ブラックジャックによろしく」は今、移植医療編。話は暗いし、移植医療についてもあまり共感できるものでもないんですけども、、、ま、参考までに。

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最終更新日  Jun 19, 2009 06:04:24 AM
Nov 24, 2007
カテゴリ:臓器移植
ドラマの「医龍2」を見ています。前回(第7話)は、6年(5年だったかな?)前に生体肝移植のドナーとなって娘へ肝臓を提供したお母さんが食道癌にかかるのだけど、移植の影響で肝臓が通常よりも小さいから手術が難しい…というような内容でした。ドラマだから脚色されているのだろうけど、やっぱりドナーのリスクっていうのはかなり高いのだなと思いました。

風呂上がりさっぱり。

移植によって直接的な不利益はあまりないとしても、別の病気になったときに普通の人だったら受けられるはずの治療が受けられなかったりすることってかなりありそうです。癌になったときですら、できるだけ臓器は取らないほうがいいという話をよく聞きます。生体移植では健康な人の健康な臓器を切り取ってしまうのですから、あとあと問題がまったくないとは言えません。

それでも、娘の命が助かるのなら…と提供する気持ちもよくわかります。ドラマの中では、「お母さんが病気になったのは私のせい?」と娘さんが医師に問いかける場面がありました。病気になったのは誰のせいでもないけれど、移植の影響でできる治療ができないってのはあるんですよね。ドラマの中では美談にまとまってますが、現実問題として、こういう場合に親族間の確執に繋がってしまうことってないんでしょうか。親子ならまだいいとして、兄弟とか叔父さん叔母さんとかちょっと遠い関係だったりしたら溝ができ易そう。

親切心からドナーとなったのに、移植された本人よりもドナーのほうが先に亡くなったりしたらドナー本人や家族は複雑な心境でしょう。しかし、ドナー本人やご家族はそういうリスクも承知でドナーとなっているのでしょうから、仕方がなかったと受け入れるしかないのかもしれません。

日本の移植医療では欧米に比べてメンタルな部分のケアが十分ではないらしいです。臓器移植法を改正する動きがあるようですが、個人的には、今の法律のままでもっとやれることがたくさんあると思います。法律だけ改正しても、移植に対する国民全体の理解度が上がらなければ問題は解決しないような気がしています。逆に、国民の意識が高まれば、今の法律のままで、脳死での臓器提供者が増える余地は十分にあるはず。

臓器提供の意思表示カードを持っている人の数をもっと増やせばいいのに。私の行動範囲の中で、意思表示カードを配っているところって皆無。もっと身近で配布すればいいのに、といつも思います。

臓器提供を「する」にしても「しない」にしても意思表示することが大事。欧米のどこの国だったか忘れましたが、20歳(18歳だったかも)になると提供の意思を確認する書類が全員に届くんだそうです。日本も法改正の前に、そのくらいのことをすればいいのに。

脳死での提供者が増えれば、生体移植は少なくなって、健康な体にメスを入れる必要もなくなります。

私自身は、最近は臓器はもらうのもあげるのも怖い気がしています。なんとなく、人間の臓器を切り刻んで他人に移植するっていうのは神の領域という感じです。そのうち、ホラーマンガみたいに首だけすげ替えるなんてことも出来てしまいそう。そうしたら、その人の本質は頭のほうなんでしょうか、体の方なんでしょうか。

医者が癌にかかったとき」という本に臓器移植について少しだけ書かれています。脳死の方の体からまだ動いている臓器を取り出すのは抵抗があるというような内容でした。移植というと、どうしても受ける側(死に直面している患者さん)に注目が集まってしまいますが、提供する側のことももっと考えなければいけないのではないかと思いました。生体移植のドナーは命を削って自分の臓器を提供し、脳死移植のドナーの家族はまだ暖かい体から臓器を取り出されるという心の痛みを味わっています。

日本での脳死移植が増えないのって、理解度の低さもあるかもしれませんが、欧米との文化の違いっていうのも大きいのではないかとも思います。脳死を人の死ととらえられない人が多かったり、臓器を移植すること自体に抵抗があったり。法律の問題ではないのではないかなぁ。

ついでなのでペットの医療も高度化しているという記事。ペットよりも人間だ、という意見も聞こえてきそうですが、これはもっとやればいいのにと思います。ペットの医療の高度化は人間の医療にもそのうち反映されるような気がします。人間にはできないけれど動物にはできる治療もあるでしょう。そういう治療のデータが積み重なれば将来的に人間に応用できたりしそう。ま、それも倫理的な問題でどこまでが許されるのかっていうのは難しい問題ではあるのですが。クローンとかね。

【関連サイト】日本臓器移植ネットワークトランスプラント・コミュニケーションNPO法人 日本移植者協議会臓器移植情報センター

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最終更新日  Nov 24, 2007 12:29:26 PM
Nov 28, 2006
カテゴリ:臓器移植
探してるんですが、私の立ち寄り先では見かけないんですよね。臓器提供の意思表示カード。コンビニなんかにも置いてあるところがあるらしいです。免許証などに貼れるように、シールになったものもあるみたいです。(参考:(社)日本臓器移植ネットワーク/意思表示カードは申し込めば送ってもらえるみたいです)

ねぐせ

意思表示カードが置いてある場所を探して、そこまでわざわざ取りに行くほどの熱意はないのです。どこかで見かけたらもらおうという程度。…なんて思っていたら、印刷して記入できるものを発見。とりあえず、これでいいかな。

脳死になったら100%意識は戻らないらしいです。ちょっと前まで思い違いをしていて、脳死でも意識が戻ることがあるのかと思ってました。数年後に意識が回復…とかっていうのは、脳死じゃないんだって。脳死って言われてたとしたら、判定ミスとか、判定基準が甘いとか。

脳死から生還できないんだったら、臓器あげてもいいかな、と思いました。どちらかというと私は臓器移植自体に後ろ向きだったのですが、脳死移植が増えれば、生体移植が減るんです。健康な人の体にメスを入れるくらいなら私の臓器使っていいよ…って思います(もちろん、死んだあとで)。

親子とか、本当に近い間柄なら仕方ないかなぁとも思うのですが、もう少し遠い親戚とかが移植が必要になったときに、どうする?って母に聞いたら、「あげる」って言うんです。母は今は自分が健康だからそう言い切れるのかもしれません。でも私はすごく複雑。私は病気だから、ドナーになってと頼まれることはないと思うのですが、母や父が提供者になるとなったら、気持ち的には止めたいです。でも、逆の立場になった場合のことを考えるとやはり断れないかも。

脳死や心臓死からの移植が増えれば、生体移植は減ります。病気の本人を助けるだけじゃなくて、健康体で臓器を提供する人も減らせるんです。個人的には、そこが決定打でした。あと、病気腎移植のニュース。病気でも移植できるんだ~と驚き。今の時点ではかなり異端みたいですけど。薬漬けの私の臓器でももしかしたら使えるかもね、と思ったのでした。

11月上旬に渡米して心臓移植したものの、様態がよくないとニュースで見た白石逸郎さんのその後が気になって救う会のサイトを見てみました。今は少しずつ回復しているそうで、一安心。このまま元気になってくれることを願います。

さくらちゃんを救う会は目標額達成。まとめサイトを見ていたら、今度はしゅりちゃんを救う会というのができたらしいです。

最初はさくらちゃんを救う会の応援をしていた方が、途中から救う会について疑問を投げかけるようになり、今度のしゅりちゃんについては「応援しません」と公言しているところが興味深いです。もちろん、子どもたちはみんな助かってもらいたいのですが、救う会の活動内容などにはいろいろと問題があるという見解のようです。

さくらちゃんについては、私も利用している宅配野菜のらでぃっしゅぼーやでも募金を集めていて、770万円くらい集まったみたいです。社会貢献の一環としてやったのでしょうが、一個人のための募金をこのような形で集めることには疑問を持ちました。すべての救う会についてやるならともかく、さくらちゃんの場合だけ、というのは納得できません。

しゅりちゃんを救う会は目標額1億円。すでに8,000万円が集まっています。白石貞一郎君を救う会というものもあります。白石さんは大人です。目標額5,000万円ですが、なかなか集まりません。なんか不公平。不条理。

ほかにも移植費用の募金を集めているサイト、いっぱいあると思います。子どもたちは、法改正しないと日本国内で移植手術は受けられないという状況なので、仕方ないかもしれませんが、大人は、死体からの移植が増えれば今の法律のままで助けられます。だけど、国内で移植手術がほとんど受けられない現状。

募金する人は、意思表示カード持ってるんでしょうか。募金したからといって、必ずしも臓器提供しなくてもいいと思うのですが、提供するかどうかという意思表示はして欲しいものです。

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最終更新日  Nov 28, 2006 06:00:17 PM
Aug 16, 2006
カテゴリ:臓器移植
うみゅみゅみゅみゅ。あっちゅ~い。台風が九州と四国の右側の辺に来ると、ダルダル。もれなく子泣き爺もついてきます。いらん。

ひま~

チワワの小太郎もぐでぐで大王。…だったのですが、暑さのあまり硬直してます。その格好はいったいなに? 

昨日、とある臓器移植関連のサイトを読みふけって、思わず涙が。子どもの海外での臓器移植の募金サイトは増える一方ですね。手術が無事に成功して退院したという報告や、募金が目標額に達成したという報告などがありました。みんな無事に日本に帰ってきて、すくすくと成長して欲しいものです。なんだかんだ言って、私はその成長した姿を見たら涙してしまうのだろうな。

昨日思わず涙したというのは、大人の脳死移植体験者のレポート。私と同世代。10年に及ぶ闘病生活の末に国内での生体肝移植とアメリカでの脳死移植を体験した方。そして今は順調に快復して短時間だけどアルバイトもしているそうです。

いままで、自分がその立場になったら…っていろいろ考えていたけれど、やっぱり体験者のレポートというのはすごい力がありますね。がつんとやられた感じ。寄付を募ってまで脳死移植を受けにアメリカに行くってどうよって思っていたけど、私がこの人の立場だったら、行っちゃうなって思えました。そして、今、帰国して元気に過ごしているという事実。この人にとって、この選択は間違ってなかったのだろうと思えました。

何事も、当事者にならないとわからないよ。ほんと。

こういうレポート読むと、日本でも脳死移植をもっと推進すべきなのかもって思えます。ただ、振り返るとやっぱり脳死判定とか脳死に対する日本人の感情的な部分とかいろいろ問題山積なんですよね。

脳死移植で助かる命がたくさんあるというのは事実。国内で移植の順番待ちをしていてもなかなかそのときは訪れない。時間切れが迫って、海外へ。資金がない人は募金を募る。影で、諦めている人もたくさんいるんだろうな…。時間切れで命を落とす人もいるんだろうな…。

募金、集まり方にも差がありますね。一気に目標額達成する方もいれば、なかなか集まらない方もいるんじゃないでしょうか。世の中の不条理というか、不公平感…。

この問題、折に触れて書いてますが、まったく答えはでません。命の問題。難しいです。

当事者にならないとわからない…っていうのは、病気になってからの実感です。筋肉の病気で、自分の思う通りに体が動かないということを体験して、バリアフリーのありがたさを実感しました。反射神経も鈍くなるし、視界は狭くなるし、思考はのろいし、記憶力は低下するし、老化っていうのはきっとこういう感じなのだろうな、と思いました。元気だったときにはとても想像できませんでした。そして逆に、元気な人には想像できないのだ、ということも実感。病気の辛さは本人しかわからないです。私のことではなくて、他の病気の方に安易に「あなたの辛さはよくわかる」とか言ってはいけないなと思ったのでした。

最近会った友人が、「妊婦になって初めて妊婦の辛さがわかった」と言ってました。私は卵巣のう腫で疑似妊婦体したので、妊婦のお腹の重さと出産後のすっきり感はなんとなくわかります。手術で取ったのう腫が3kgくらいあったらしいので、あれが赤ちゃんだったら今頃小学生かぁ…などとときどき感慨に耽っているのでした。

ただ、やっぱり違うな、と思ったのは、ほんとうの妊婦さんのお腹には本当の人間が入っていること。自分とは違う人が入っているのですよね。不思議。秋には数人の友人たちの赤ちゃんが続々誕生の予定。みんな元気に世の中に出てきておくれ。おばちゃんはみんなに会えるのを楽しみに待ってるよ。

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最終更新日  Aug 16, 2006 05:47:32 PM
May 30, 2006
テーマ:ニュース(86854)
カテゴリ:臓器移植
新聞に、臓器移植法に関する小さい記事が載っていたのでちょっと感想を書こうと思ったのですが、その記事がネットで見つかりませんでした。先日国会に提出された臓器移植法改正二案について、それぞれの議員が説明したというような記事でした。

くてくて

脳死を人の死とし、本人の意思が確認できなくても「遺族の同意」だけで臓器提供できるという案と、提供の年齢制限を十五歳以上から十二歳以上に引き下げる案。前者は自民党の河野太郎議員が中心となって提出した法案で、ご自身の生体肝移植の経験から脳死移植を推進したい意図があるらしいです。

あんまり無責任なことは書けないと思ってちょっと関連サイトを見ていたんですが、生体肝移植というのは世界的にはあまり行われていないのですね。日本では脳死からの臓器移植がほとんどないので、それができるようになるまでの“つなぎ”としての医療行為だったようです。世界的には肝臓移植は脳死からの移植が多いようです。

確かに、生体からの移植はドナーの負担が重いことは想像できます。健康な体にメスを入れるのだし、そのリスクは高いと思います。私の周りにも鍼治療の鍼が怖いと言う人が多いですから、臓器を摘出するなんて相当に怖いでしょうね。でも、家族のためと思えば怖いからと拒否もできないだろうし、辛い選択です。脳死移植が一般化すれば生体肝移植も減るのでしょう。だからもっと脳死の臓器提供者を増やしたいという河野議員の思いはよく分かる気がします。

以前は自分が移植される立場になった時には移植を受けるだろうと思っていたので、自分自身も臓器を提供してもいいかなと思っていたのですが、最近、脳死での臓器提供はしないし、受けないという方向に気持ちが動いています。いろんな記事を読んでいるうちに、どうも脳死が人の死だとは思えなくなってきました。漠然と、なんですが。

日本では医療関係者でも脳死を人の死と思っている人は4割程度らしく、欧州に比べて低い割合らしいです。脳死を人の死とする考え方は、日本の文化・風土には馴染まないのかもしれません。だから、脳死移植があまり普及しないのかも。

でも、脳死移植を受けたいという人と、脳死になったら臓器を提供したいという人がいるのだったら、法律を整備してそういう人たちの希望を叶えられるようにしたほうがいいと思います。特に子どもの場合は海外での移植しか方法がありません。法律が整備されても実際に国内でドナーがどれくらい現れるのかはわかりませんが、選択肢は広がります。(法案は上記二案の他に12歳以上は本人の意思で、6歳以上12歳未満は保護者の意思で臓器提供できる第三案というのも検討されているようです。)

移植医療って難しいですね。生体移植にしても、脳死や心臓死からの移植にしても他人の犠牲の上に成り立っています。なんだか、他人から命をもらうということにすごくプレッシャーを感じます。私はそれほどの価値のある人間なんだろうかと…。だから今の私は移植を拒否するかもしれません。でも、小さい子どもがいるとか、面倒を見なきゃいけない親がいるとか、なんとしてでも生きなければという強い思い入れがあれば、移植を受けるかもしれません。そのときになってみないとわからないです。

法整備に関してはどういう法案がいいのか、よくわからないのですが、もっとみんなの関心が高まって、議論がなされればいいなと思います。臓器提供、したい人も、したくない人もはっきり意思表示することが大切だと思います。なんとなく、提供するほうがいいような気がして、なかなか臓器提供したくないって言えないですけど、そういう意思表示もはっきり示してもいいのではないかと最近思い始めています。

↓参考にしたリンク一覧、備忘録代わりに載せておきます。
臓器移植情報センター
NPO法人 日本移植者協議会
(社)日本臓器移植ネットワーク
トランスプラント・コミュニケーション(リンク集が充実してます)
渡航移植/もつれた糸を解きほぐせ(神戸新聞・社説)
臓器移植法/生前の意思は動かせない(神戸新聞・社説)
生体肝移植/ドナーの立場で医療を見直したい(神戸新聞・社説)
臓器移植(Yahoo! NEWS)
臓器移植法改正 2案を国会提出(Yahoo! NEWS)
臓器移植法改正に第3案 小児は親の意思で提供可能(Yahoo! NEWS)
臓器移植法改正を考える

それにしても、移植医療って今後どうなっていくんでしょうね。顔面の移植まで出来てしまう世の中。映画の中だけじゃないのね。そのうち、首から下だけすげ替えたりとか、ほんとうに出来てしまいそう。倫理的な問題ももっと議論していく余地がありそうです。

今日の小太郎さん。相変わらずマザーボールでくてくてしてました。犬には移植なんて関係ないもんね~。

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最終更新日  May 30, 2006 11:20:37 PM
Mar 9, 2006
カテゴリ:臓器移植
へにょへにょ日記は季節感があって好きです、と言って下さる方が多いです。そこで今日は出血大サービスです。季節感を満喫してください。

花粉

梅林の向こう側に見えるのは、、、、スギ花粉~! ごめんなさい。嫌がらせではありません…。いや、嫌がらせ…かも…。

自宅周辺、スギ花粉多発地帯なのです。もう、お山からいっぱい飛んできます。お散歩コースの広場周辺の山もほんのり花粉色です。テレビ映像でおなじみの花粉が間近で見られます。風が吹いたらそよそよと花粉が飛びます。げんなり…。

小太郎も今朝はクシャミしてましたが、犬も花粉症になるのかな。

また、海外で移植手術を受ける乳児ための募金呼びかけのニュースです。募金については複雑な思いがあるんですが、この募金を募っている会は東京都知事あてに、日本でも15歳未満の臓器提供ができるよう国に法改正を働きかけてほしいとの要望書を提出したそうですので、この要望が通ることいいなと思います。(募金について詳しくはこちら→まなちゃんを救う会

個々のケースに募金活動をすることについて、いいのかどうかわからないのですけど、こういう活動が移植医療についての感心を高めていることは確かでしょうから、一定の評価はできる気はします。

いろいろな問題はあると思いますが、移植を希望する方が海外に行かなくても日本で移植が受けられるようになるといいと思います。しかし、子どもで心臓移植のドナーになるっていうのはどういうケースなんでしょうね。日本で移植できるようになったとして、ドナーは確保できるんでしょうか…。できないとしたら、海外で移植を受けやすくするための助成金を出すとか、こういう個々の募金活動に寄らずに移植医療を受けられるような体勢が必要なのかも、とも思います。

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最終更新日  Mar 9, 2006 10:59:14 AM
Feb 12, 2006
テーマ:たわごと(23111)
カテゴリ:臓器移植
朝から寒いです。部屋がちっとも暖まらなくて、震えながらパソコンの前に座っていたのですが、小太郎の散歩に行こうと思って部屋の外に出たら極寒でした。昨日は暖かかったのに…。暖かい日が増えるのはいいのですが、日によって気温差が大きくなるこの時期は体調も不安定です。だからと言って、寒い日ばかりの真冬も、暑い日ばかりの真夏も苦手。一年中だめじゃん。要するに、私は日本の気候に順応してないのでしょうか。どっか常夏の国にでも移住しようかな…。

家の外に出たらみぞれ混じりの雨が降ってきたので、お散歩は中止。おうちの中で遊びました。

さぁ、考えよう

今朝の毎日新聞の投書欄に、臓器移植についての投書が載っていました。先日わたしが書いたのと同じような趣旨だったので、思わず膝を打ちました。海外で移植を受ける難病の子どものために多くの募金が集められ、それはとても喜ばしいことなのだけど、海外での移植を受けるという背景には日本人は脳死に対する抵抗感が強く、日本国内で子どもの臓器移植が認められていないという事情があり、日本人の子どもからの臓器移植には抵抗があるのに外国人の子どもからの移植はよいのか、という疑問が投げかけられていました。

これを読んで、私自身、改めて子どもの臓器移植について考えてみました。15歳以下の子どもからの臓器移植が認められていないのは、子どもは意思表示が不可能というのが大きな理由のようですが、そんなことはないと思います。だから、“大人の臓器移植が認められるのならば”、大人の場合と同じように子どもも自ら意思表示した場合は臓器移植が認められてもいいのではないかと、個人的には思います。

が、ここで大きな問題が。子どもの臓器移植を考える前に、まずは臓器移植自体の是非を考えなければいけないのです。心臓死からの移植にはそれほど抵抗はありませんが、脳死移植にはかなり抵抗があります。だから、子どもの臓器移植についても“大人の臓器移植が認められるのならば”とカッコ付き。

脳死移植のときに臓器提供者に麻酔をかけるという話があります。それは、脳死患者が痛みを感じるからだとか。それって本当に人の死なのって思いますよね。しかし、医学的にも精神的にも、死の基準は人それぞれ。日本の今の法律では「臓器を提供しない」という意思表示もできるので、「提供したい」という人と両方の意思が尊重できるのなら脳死移植を認めてもいいのかなと思います。それと同時に、臓器移植をすれば助かるという場合でも「臓器の提供を受けない」という権利もあるのだそうです。考えてみれば当然のことですが、抜け落ちてしまいがちです。しかし、この選択肢を選ぶかどうかはそのときになってみないとわからないですね。自分は脳死での臓器提供はしたくないと思っていても、逆に提供を受ければ助かるかもしれないとなったとき、悩んでしまうかも知れません。

日本臓器移植ネットワークのサイトにはいろいろなデータや移植に関する説明が載っていました。また、「つれづれなるままに」というサイトの脳死と臓器移植やその歴史についての文章には考えされられます。「臓器移植法改正を考える」というページも参考になります。脳死や臓器移植に関する本もたくさん出ています。

臓器移植については私自身はどちらかというと消極的です。骨髄移植だって怖くてドナー登録に躊躇してしまいます。私の場合は自身が薬漬けなので登録以前の問題なのですが。

それはともかく、子どもの臓器移植ができるような法改正が進みつつはあるようですが、大きな運動はないみたいですね。臓器移植のために海外へ行く子どもに募金がたくさん集まるのですから、それをバネにもっと大きな運動が起こってもいいと思うんですけど、やはり、「難病の(移植による)治療のための募金」=「子どもを含む臓器移植全体への賛成の意思表示」という意識はあまりないのでしょうか。日本での日本人の子どもからの移植には抵抗があるけれど、外国での治療となると、外国人から臓器提供されるという意識は希薄になってしまうのかもしれません。

私が歯がゆく思っているのは、募金運動が子どもの臓器移植の法改正への運動に移行していかないところです。やっているけど私が知らないだけなのかな。口コミやマスコミやブログの力で短期間で多くの募金が集まった実績があるのですから、世論を法改正に導くような大きな動きがあってもいいような気がします。どうしてそうならないんでしょう。なんかね、募金運動がね、とっても偽善的なものに思えてしまいます。そしてそんな風に思ってしまう自分に対しても自己嫌悪。私やっぱり腹黒いのかも。

そうそう、募金についてですけど、ご自身が臓器移植に賛成か反対かは置いておいて、海外での臓器移植を望む両親の意思を支援したいという気持ちでの募金というのもあるかと思います。そういう場合でもやっぱり日本で移植できるような法改正には賛成ということですよね。なんかややこしいけど。「臓器を提供したい」「臓器を提供を受けたい」「臓器を提供したくない」「臓器を提供を受けたくない」みんなの意思が尊重されるような法改正がされるといいと思います。意思表示ができない乳児や幼児についてはとても難しいけれど、「受けたい」「提供したい」という親御さんがいるのなら、できれば多くの命が救えるようになればいいなぁと思います。親に虐待された子どもが脳死になって親が臓器提供を申し出るという事例もあるようで、なかなか難しい問題だなと考えさせられました。

海外で臓器移植を受けたあやかちゃんを救う会のサイトを見たら、すごくちゃんとしていてちょっと感動。自分の腹黒を反省しましたよ。当事者の方々は今は治療に専念して法改正運動どころじゃないのかもしれないですね。日本でもこういう難病の子どもが臓器移植で救えるようになればいいのに。でもそのためにはドナーが必要。うーん、堂々巡りだわ…。

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最終更新日  Feb 12, 2006 01:47:53 PM
Jan 21, 2006
テーマ:たわごと(23111)
カテゴリ:臓器移植
七海ちゃんを救って」という募金活動がありました。テレビなどでも報道されたようですが、私は地元の新聞で知りました。昨年7月に産まれた七海ちゃんは重い腎臓障害で、アメリカでの腎臓移植しか助かる道がないそうです。活動の結果、目標額の9000万円を達成して近く渡米するらしいです。(→ななみちゃんを救う会

猫ではありません
※写真は本文とは関係ありません。

こういうニュースを知ると、複雑な気分になります。もちろん、自分と少しでも関わりがあれば、なんとかして助けてあげたいと思うだろうし、募金活動もするかもしれません。私は素人だし事実誤認があるかもしれませんが、正直、こういう活動に自ら進んで参加したほうがいいものなのかどうか考えてしまうのです。こういう活動自体がいいか悪いか、ではなく、私個人が参加するかどうかの問題。

そして、人の命というものはお金で買える物なのかどうかとか、人の命の価値というのは平等ではないのではないかとか、ぐるぐるといろいろ考えてしまいます。

七海ちゃんは多くの人の熱意と善意で渡米します。それは決してお金だけの問題ではないのでしょうけれど、募金という形で支援してくれた方々の思いを背負って渡米するのです。自分が当事者となったときに、果たしてそれだけの重い思いを受け止められるかと想像してしまいました。赤ちゃんが助かって生きていくとして、たくさんの人たちの思いを背負って生きてゆくのですよね。すごいことです。私は自分の子どもにそれだけのものを背負わせられるかな。しかし命は何にも代え難いものという気持ちもあります。それだけのものを背負ってでも生きていかなければならないのかもしれないです。そういう運命だと思って。

もう一つには、こういう募金活動もできずに資金がないために諦めざるを得ない人もいるのだろうなという思いがあります。それは子どもに限らず、高額の治療費が払えずに受けたい治療を受けられず命を縮める人たちがいるのではないかと。重病人ではなくても、高い薬を使えば症状をやわらげられるとか、生活の質があがる可能性があるけれど、泣く泣く諦めている人がたくさんいるはずです。この募金で集まった金額で、もしかしたらもっと大勢の人の命を救えるのかもしれないと考えてしまいます。それが、いいか悪いか、実際にできるかどうかは別として。

そして、渡米して移植を受ける背景には、日本では子どもの脳死移植が認められていないという現実があります。ですから、この活動を支援する人たちは日本での子どもの脳死移植に賛成し、それを推進する意思表示もしないとおかしい気がします。この募金をした方たちは、全員がそこまで考えて募金したのでしょうか。私個人としては、子どもの脳死移植についてどう考えたらいいのかよく分かりません。自分で意思決定のできない子どもの脳死移植は当然、親が決めるのでしょうが、自分の子どもが臓器を提供する側になったときに、どういう気持ちになるか想像がつきません。また逆に、移植を受ける側になったときに、どういう感情になるのか想像できません。他人の死の上に成り立つ命、その受け止め方は真剣に考えれば考える程、複雑で答えを見つけるのが難しいです。






最終更新日  Jan 21, 2006 06:48:20 PM

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