小さん 湯屋番
データ・・・五代目 柳家小さん 大正4(1915)年1月2日~平成14(2002)年5月16日 享年87 前名=九代目 小三治 出囃子=序の舞 本名=小林盛夫 生前は人間国宝 仕事先の湯屋の名前は・・・柳派は「奴湯」。三遊派は「桜湯」でやると慣習的に決まってます。それは明治時代に、そう云う名前の湯屋があって、その経営者がそれぞれの派を贔屓にしていたからだと、「ラジオ名人劇場」で玉置宏さんが解説していたのを聴きました。 私が聴いた事のある湯屋番の主な音源では・・・ 圓生・・・ライブの45分モノ。一時間の百席音源。いずれも、日本橋の「梅の湯」。圓生は、16,7歳の頃に小せん学校でこの根多を仕入れているので、三遊派の大将ながら、初代 小せんがやっていた「梅の湯」でやっている。 四代目 圓遊・・・28分モノ。浜町の「桜風呂」。私は、この音源が「湯屋番」のベストだと思っている。 三代目 三平・・・23分モノ。「松の湯」。「時間ですよ」かい? (^ω^) 笑福亭仁鶴・・・30分モノ。上方だから、玉造の「桜湯」。 当代 圓蔵・・・16分モノ。「奴湯」。圓鏡時代の音源か? 写真は、五代目 小さんを襲名した頃(35歳)の、まだ痩せていた若い小さん。左にいるのは、三代目 桂三木助。三木助は小さんよりも13歳年上なのですが、二人とも本名が小林なので気が合って、義兄弟の杯を交わしたほどの大親友でした。小さん 湯屋番2012/11/08竹庵藪井 湯屋番(ゆやばん)と云う落語演目は、トップ10に入れてもおかしくないくらいの人気演目で、東京落語の定番とも云える滑稽噺です。 何故か江戸っ子は、「湯」が好きだとされていて、とにかく、朝の一番風呂から熱っつい湯にへぇったりします。こんな書き出しだと「強情灸」の記事を書いてしまいそうですが・・・(^ω^) 「湯」と申しましても、現代のように自宅に当たり前のように風呂があると云う事は、江戸時代の都会にはありませんでした。どんなに大きな商店でも、自宅に風呂はなく銭湯へ通ったようです。 ここで「湯」について、ちょっと触れておく必要がありますが・・・江戸では、風呂ではなく、単に「湯」と云ってました。もちろん女性の場合は、「お湯」です。風呂と云うのは関西の云い方で、江戸では使いませんでした。また、自宅に風呂がない時代でしたので、わざわざ有料の「銭湯」とも、云いませんでした。私が子供の頃に銭湯と云う言葉を使った記憶はなく、「お湯~屋」と云ってました。 そんな理由から、江戸では単に「湯」としか云ってなかったのですが、飲む「湯」と間違える場合もありますので、「湯屋」と云ったりした場合もあったようです。「祇園祭」と云う演目では、京都へ旅した江戸っ子の、その辺の勘違いが語られます。京都では、「おぶ」と云ったりしますね。それは、「お風呂」の短縮形だと思います。 「湯屋番」と云う演題は、「湯屋の番台」の略ですが、江戸時代からあった演目らしく、現在の形にしたのは、三代目 柳家小さんだと云われています。ですから本来は柳派の持ち根多と云う事になりますが、三遊派の噺家さんの多くも持ち根多にしているようです。また、この江戸落語の定番の滑稽噺を、笑福亭仁鶴が上方に移植したりもしています。 内容は、滑稽噺ですから特に個々の部分を解説するまでもなく、聴いて笑えば良いだけの落語です。お定まりの勘当された大店(おおだな=大商店)の若旦那が、出入りの職人の二階に居候。いつまでもブラブラしていてもしょうがないでしょうって事で、湯屋の仕事を斡旋され、汚な仕事はやりたくないので、ひとまず番台へ・・・